ジャカルタへ渡航して3日目、パダン料理を食べていた時のこと。
周りをみると右手で美味しそうに料理を食べている。
お店に連れて行ってくださったマラさんたちは監督と私に気を使い、フォークを手にした。
すかさず私は「私も右手で食べるので、みんなでそうしましょう! 」と伝えた。
私は隣のアマルに倣ってと同じように右手で食べはじめた。
するとものの数分で何か違和感を感じた。
美味しく感じないのだ。
隣で親指、人差し指、中指をとても上手に使い、黙々と食べているアマル。
それまでの距離感が一気に遠のき、何故だか急に哀しい気持ちになっていた。
わたしは自分に傷ついていた。
それはたぶん、日本で日本人のなかで、例えばインドカレーを右手でたべてみるようなものとは違い、その国で、その国の人たちのなかでしか感じることができないものがあり、それは興味本位で右手で食べようとした私への罰のようなものだった。
「私はグローバルだ」と思いこんでいたことはとんだ勘違いで、頭だけで思っていることなんてあてにならず、実際に経験し、体験してみて感じたことが本当なのだ。
さっさと手を洗い、フォークに切り替えた。
スパイスの効いた料理は美味しかった。
もう少し若くして行ったら感受するものが違っていたと思う。
今だからこそ感じられること。
このタイミングでジャカルタへ渡航できたことは、きっと生涯の財産に。
感性は透明でありたい。