「なんとか思い出してくれ。
頼むわ」





と言った父に、





「お義父さんに電話して
いいですか?」





とモラ夫。





今日の訪問前には、
私や私の母に電話していた
モラ夫でしたが、





今回話してみて、
母の方が怖かったのかも
しれません。




父は快諾しました。





「ちょっと悔しいですけど」





モラ夫が、涙を見せました。





父が何が悔しいのか問うと、





「自分に。こんななってですよ、
本当に覚えてない、
思い出しきれない」





「思い出したら、いいじゃない。





時間が経ったら、思い出すかも
しれないじゃない」




と父が諭します。





「もう全部、僕が謝るんです。
もう全部、僕が悪いんです。」





情に訴えかけるモラ夫に、





父は、





「全部謝れなんて、
誰も言ってないんだから。




このまま話してたら、
半日かかるから。一回考えてみて」





「多すぎて、
酷いこと言ったんだなっては
思ってるんですけど、




多すぎて見当がつかない」





たくさん虐待したことを、
自覚していたというモラ夫。




モラ夫の演技に父は、





「まあ、最後最後のほうよ」





とヒントを出します。





「最後?
迎えに行った後じゃないですか?」




「いや、◯曜日の話よ。」




「◯曜日の話?最後の方?
車の中で?」




食いつきがすごいモラ夫に、





「まあまあ、ゆっくり考えて。
気をつけて帰ってね」





と父。






「電話します」
とモラ夫。






「おう、待ってるよ。





思い出したら、電話したら
いいんだから。
本人に言うことがあるはずだから。」




と父。





こうして、モラ夫の訪問が
終わりました。




おそらく、この日で決着を
つけたかった、モラ夫。





それならば、休みなのだから、
早い時間に訪問すれば良いのです。




他人の迷惑を考えず、




夕飯時に訪問し、




まともな謝罪はなく、




つらつらと言い訳を並べ立てる姿は、





醜さしかありませんでした。




そして、自分で考えるということを
放棄しているようにしか思えない、
態度。




どうにか私の両親から、
暴言を聞き出そうと。





言うまでもありませんが、





両親は、意地悪で教えなかった
わけではありません。





本気で自分の言動と向き合い、
反省してほしかっただけです。





蛇足ですが、






仲直りまで漕ぎつけることが
できなかったモラ夫は、





仲直りの証であったであろう花も、
持ち帰りました。





さて、一旦帰ったモラ夫は、
どのような行動に出るのでしょうか。




お読みいただき、ありがとう
ございました。