takaのブログ

takaのブログ

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!
五木寛之 「死を語り 生を思う」

横尾忠則さんとの対談

横尾忠則は,鬼才で,彼の芸術観や人生観を言葉で要約することは難しい。
ただ,横尾の話の中で面白かった指摘もある。

人間の行いの因果は,インドでは完全に一個人に限って返ってくるが,中国では家に返ってくる。集団のカルマ,国家のカルマ,人類のカルマ,カルマと輪廻を繰り返す大きな世界が物質的に存在していると思っている。
仏教は心を問題にして自己を見つめるが,キリスト教の神は,天にいて仰ぎ見る存在だ。

しかし,この対談の中で語られている,五木さんの次の話に興味をひかれた。

小説は,もっとも夾雑物を多く含んで,濁った俗っぽいものだと考えたい。小説の中に,たとえばいろんなその当時の世相だとか風俗流行だとかはやりことばとか,ブランドだとかをどんどん放り込んでいって,できるだけその瞬間を表現していきたいという気持ちがどこかにある。
自分をこえた大きな力みたいなものに自分をまかせるという姿勢では横尾さんとまったく同じことを考えているが,具体的な表現の方向に関しては正反対だ。

この部分に興味を感じたのは,五木さんの初期,中期の作品には,社会や時代の状況を丹念に,具体的に描き出したものが多いからである。青春の門などはその代表である。
村上春樹氏の作品と対照してほしい。村上さんの小説では,社会や時代状況は,かなり抽象化されている。その方が,問題の核心・本質に迫るのにはよいのかもしれないが,なかなかそこまではいかない。私などには,不満が残る。
これに対して,五木作品は,てんこ盛りだ。しかし,それが通俗的な紹介にとどまらず,もっと深いものを考えさせるし,何より,ドラマを見るような現実感があり,リアルで面白い。
そして,作品に統一感が保たれているのは,五木さんのいう「自分をこえた大きな力みたいなものに自分をまかせるという姿勢」がもたらしたものかもしれない。五木さんが非凡な才能の持ち主であるから,そのような作品が生まれるのだと思う。