面然大師






お盆では多くのご家庭で、お墓参りや棚経参りなどの先祖供養をされていることと思います。





実はその他にもう一つ、お盆で大切な供養として施餓鬼があります。






施餓鬼は「施食」とも言って、文字通り餓鬼にお供え物などを施す法要のことです。






黄檗宗では動物、魑魅魍魎も含め、有縁無縁のあらゆる霊を供養する行事として伝えられています。




施餓鬼の由来について「瑜伽焔口科範」という経典に載っているお話をしましょう。











昔、お釈迦様の弟子の一人に阿難(アナン)という僧がいました。



阿難は非常に修行熱心な若者で、その夜もいつものように一人で林の中で坐禅をしておりました。




夜もふけた頃、突然月が雲に隠れ辺りが闇に包まれたかと思うと、阿難の目の前に一匹の鬼が現れました。



阿難はその姿を見て声を失いました。



口から火を吐き、髪の毛を煙のように振り乱し、それは醜い姿だったのです。



そして鬼は、その針のように細くやつれた喉から、この世のものとは思えぬ恐ろしい声で阿難に言いました。




「俺は餓鬼の王、面然大師(めんねんだいし)。お前もあと三日もすれば俺と同じような餓鬼になって醜く苦しむのだ。」




阿難は恐怖のあまり一目散にその場を逃れ、お釈迦さまの元へ助けを求めに行きました。




「お釈迦様、先ほど林の中で坐禅をしておりましたら、面然大師という鬼に会いました。



そして私もいずれ同じ道に堕ちるなどと不吉なことを告げられました。



私は鬼に呪われてしまいました。



修行をきちんとしているのに、なぜ私がこんな目にあわねばならないのでしょう。



お釈迦様、どうかお助けください。」




するとお釈迦様は



「落ち着きなさい、阿難よ。餓鬼たちを供養するのです。」



そう言って施餓鬼の法を阿難に授けました。




阿難は早速、たくさんの供物を用意し、お釈迦様の法を試しました。



すると供物が千倍にも万倍にもなって、この世のあらゆる霊たちのもとへと届けられました。



お釈迦様の授けた法は、餓鬼だけでなく、すべての霊を救うものでした。



その様子を見て、やがて面然大師は姿を消し、二度と阿難の前に現れなくなったそうです。








後にお釈迦様はおっしゃいました。




「阿難よ、お前は確かによく修行に励んでいる。



しかし、そればかりにかまけて他への思いやりの気持ちに欠けてはいなかったか。



自分さえ良ければそれでいいという自己満足の中に修行をしていなかったか。



そんな身勝手な心が面然大師を呼び寄せたのだろう。



他への思いやりを知らない者は、どんなにがんばったところで満足は得られない。



それこそ飢えから解放されない餓鬼の姿そのものではないか。



これからは自分の修行の合間でよいから、きちんと他を思いやることも忘れないようにしなさい。



それもまた自身の修行になるだろう。」









毎年7月27日は不動寺の施餓鬼会です。




どうぞ足をお運びください。