満月と杉の影








今日は中秋の名月に当たるとのこと。


昨年は綺麗な月が拝めたが今年はどうだろうと、空を見上げたが一面雲が覆っていて、どうやら拝むことはできなそうです。


本物の月見はできなそうですが、せっかくですから月にまつわることに触れてみようと思います。


今週は彼岸でしたので、先祖供養のお経をあげさせていただくことが多かったのですが、
読経の際、特にこの秋の時期によく添える経典の一節で、次のような句があります。







菩薩清涼の月は 畢竟空に遊ぶ
(ぼさつしょうりょうのつきは  ひっきょうくうにあそぶ)

衆生の心水清ければ 菩提の影中に現ず
(しゅじょうのしんすいきよければ  ぼだいのかげなかにげんず)







ちょっと難しいのですが、要約するとこんな感じでしょうか。



私たちの求める迷いや苦しみのない世界は、ちょうど月のように美しく清らかなもの。

それは一見、手が届かない存在のようだけれども

こんな曇った日でも、ちゃんと空に浮かんでいます。

私たちは思い込みや偏見で物事を見聞きしてしまいがちです。

それは心の水鏡が濁って汚れているようなもの。

心を清らかな水でたたえましょう。

するとどうでしょう、あなたの心にその月がそのまま映りこんで、まるであなたの心そのものが輝いているようです。

そう、遠い存在だと思っていた月は、あなたの心のあり方次第で、近くにもなるのです。



最近は欧米諸国の影響もあってか、

もっと自分を主張していきましょうとか

相手を理屈で論破しましょうとかいう風潮が、世間で強くなってきたように感じます。



私もまた御多分に漏れず、よく頑固な性格と言われるので、心の水が曇らないよう、
もっと心をまあるくまあるく磨かなくては。



そんなことを考えて今、ふと外を見たら

まあるいまあるいお月さんが雲間からひょっこり顔を出してくれました。