雪道




ソチ冬季オリンピックが終わって、メディアはまだまだ熱狂冷めやらぬ感じです。


私も今回のオリンピックをテレビで楽しませていただきました。


私が特に印象的だったのはやはりフィギュアスケートの浅田真央選手。


序盤、ショートでのミスで16位だった順位を、フリーの完璧な演技で巻き返し、6位入賞。


残念ながらメダルは逃しましたが、前人未到のエイトトリプル成功と自己最高得点というすばらしい結果を残されました。


小さいころからずっとフィギュアスケート一本でやってやってきてその間、多くのプレッシャーに耐え、

多くの期待に応えてきたであろう彼女は、若干23歳にして並みの心の強さではなかろうと、ただただ尊敬するばかりです。


常に目標を持ち、それを成し遂げようという強い意志を持ち続ける。なかなかできることではありません。




我々仏門の修行者にも仏の道に入る時に立てる誓いがあります。


衆生無辺誓願度   (救わねばならない存在は果てしなく多いけれど、救うことを誓います。)


煩悩無尽誓願断   (煩悩は尽きないけれど、断つことを誓います。)


法門無量誓願学   (仏教の教えは量り知れないけれど、学ぶことを誓います。)


仏道無上誓願成   (仏の道は果てしなく遠いけれど、成し遂げることを誓います。)


「四弘誓願文(しぐせいがんもん)」というお経です。


私はこのお経を読むといつも思います。


途方もないことを誓っているな。。。と。


「どこまで行ってもゴールはないけど、必ず完走します。」ということですから、もはや矛盾すら感じます。


小さい頃はお経の意味もわからずにただ読んでいましたので、知らないうちにとんでもないことを誓わされていたものです。




私は元来、大変に飽きっぽい性格をしております。


未だかつて人に誇れるほど、長く続けられたものがないように思います。


小学校の時に習っていたピアノはそれっきり。特にうまくなるわけでもなく、今は全然弾かなくなりました。


流行りでやったスケボーも、足首の靭帯を切って1カ月で止めました。


英会話を習ったこともありましたが、その教室が経営破たんして行かなくなりました。


今まで一番長く続いていることといえば


お坊さんくらいでしょうか。


私が何かをやめてしまう時、たいていは途中で嫌になってしまうからというのが多い気がします。




中国の儒学者、孟子にこんなお話がありました。


母と2人で暮らしていた孟子は、日々勉学に励んでおりました。


そのうち家を出て、外の学校に通うようになると、親元を離れたせいか今までよりも勉強に身が入らなくなっていました。


しばらくぶりで母のもとに帰ってきた孟子に母が


「勉強の調子はどうだい?」


と聞くと、孟子は


「うん。。。まぁいつも通りだよ。」


と、気のない返事をしました。


すると母はそんな孟子の様子を察してか急に刀を持ち出すと、今自分が織っていた織物を切り裂いてしま

いました。


これに驚いた孟子に母は言いました。


「お前が途中で勉強をあきらめてしまうことは、私が今、織りかけの布をだめにしてしまったのと同じこと。途中で投げ出しては、今までの努力がまったくの無駄になってしまうのよ。」


この母の言葉で目が覚めた孟子は、それから二度と勉強を怠けることはなかったそうです。





このお話は一応、ハッピーエンドでまとまっていますが、きっとこの後も孟子は何度か心が折れそうになったことがあったでしょう。


そのたびに孟子はこの日の母のことを思い出し、自らを戒めたのでしょうか。


それとも彼が怠ける度に母が織物を切り裂き、叱咤し続けたのかもしれません。


それでも、母子は高い理想を持ち続け、それに向かって一歩一歩前に進み続けたのでしょう。


スケートも学問も仏の教えも、その際限ははかり知れません。



一生かかってもそれを極めきることは不可能でしょう。


けれども「どうせ不可能だから」とはなからあきらめるのではなく、
いつも胸に大きな理想をもって、小さくも確実な一歩を重ね続けていくことが、人を成長させるのです。


四弘誓願文もきっと仏門にいる私たちに、そんな大きな理想を掲げてみせ、
私たちを叱咤激励してくれていることでしょう。



「あきらめたら、そこで試合終了。」



昔、大好きだった漫画のセリフが浮かびました。