12月3日のことです。
昼に唐揚げ食べ放題定食を食べた後は徒歩にて。
こちらに凸💨
菅大臣神社(かんだいじんじんじゃ)の由緒
建立は鎌倉期とされるものの詳しい年代は不明。菅原道真公を祭神とする神社。この地は元は道真公の邸や、菅家廊下といわれた学問所の跡で、誕生の地と伝えられ、天満宮誕浴の井(てんまんぐう たんよくのい)が保存されている。また「東風吹かばにほひおこせよ梅の花 主なしとて春なわすれそ」と詠まれた飛梅の地も当神社である。古くは天神御所紅・白梅殿とも呼ばれ、境内には本殿、幣殿ほか多くの社殿が建つ。本殿はもと下鴨神社の本殿を、1869年(明治2年)に移築したもの。
※. 京都観光Naviより抜粋編集
ということで、こちらは紅葉の名所ではありませんが、前々から予定に組み込んていながら行かずじまいだったところで菅原道真公の生誕の地や邸宅跡地と言われているところです。
が。
同じように生誕地だと言われている場所が他に、京都駅を南西に当時を通り過ぎた先にある吉祥院天満宮と京都御苑の西隣にある菅原院天満宮の3ヶ所があり、それぞれに官公にゆかりがあるのですが、どの神社も可能性があり決定打は無い感じです。
まるで去年行った嵯峨野の小倉百人一首が編纂(へんさん)された時雨亭跡が二尊院・常寂光寺・厭離庵の3ヶ所がそれぞれに、ここだと主張しているのとオーバーラップします。
北鳥居
ということでまずはスマホのナビに従い仏光寺通に面した北鳥居から入ります。
ちなみにここ菅大臣神社は住宅街の中にありながら敷地が広く、ここ仏光寺通に面した北鳥居と西洞院通に面した鳥居に高辻通に面した鳥居の3方向から入ることができます。
西鳥居
こちらは西洞院通から入ることができます。
一の鳥居(南鳥居)
そして高辻通から入ることができる一の鳥居。
二の鳥居
その先にある二の鳥居。
三の鳥居
本殿前にある三の鳥居。
ということで一礼して鳥居を潜ります。
自分で無神仏論者だとか不可知論者だとか言いながら鳥居を潜る時には何故か一礼をしてしまいます😅
何なんでしょうかね。単なる礼儀のようなものなのか日本人特有の同調圧力によるものなのか。
それは神のみぞ知る……
って無神仏論者がこういう表現をしちゃいけないのかな?(笑) まぁまぁこのブログは堅っ苦しいことは抜きで😅 そういう重箱の隅つつきの連中がウザいのでコメント欄はブログ開設以来閉鎖していますしね(笑) はい。気を取り直して前に進みます。
招き狛犬
本殿前の阿形の狛犬。
表情がユーモラスですよね。
吽形の狛犬。
阿形の狛犬よりも更にユーモラスな表情に加えて手招きをしています。
これにもマリアナ海溝よりも深〜い意味が内在しているのでしょうか?
本殿
本殿は1835年(天保6年)に造立された下鴨神社の宮殿を1869年(明治2年)に移築したもので、御祭神は菅原道真公・尼神(あまがみ)・大己貴命(おおなむちのみこと)です。
臥牛像
招き狛犬の近くに神牛がいましたが柵に囲われて何だか狭そう。これにも何か意味があるのかな?
飛梅
飛梅伝説の飛梅…… って看板と気の幹の下部分だけで肝心の飛梅はブレブレで載せられず💦
今回の遠征は何故かこのパターンが多いです😅
手水舎と神牛
水は張られていませんでした。
そして、ここには菅原道真公の生湯に使われた井戸があるのですが、けっこう丹念に探しましたが見つけられず諦めかけていたところ、この手水舎の近くに腰掛けた近所の人と思しき御大がいたので尋ねたところ。
『旅の者よう来なすった。お主の所望のものは彼処じゃて!』と御大が指差すところに向かうと……
天満宮誕浴の井
これはさすがにパッと来た旅行者風情には分からないっしょ!気持ちっしょ!
目当てのものはこの閉まった扉の奥にありました。
近づいて行ってこの隙間から……
玉垣に囲われて、同じく石造りの蓋のようなものがしてある傾いたものが天満宮生誕の井のようです。
これは運良く近所の方が教えてくれたからいいものの、それが無かったら『どこにあったんだろう……』と首を傾げながら帰るところでした。
ちなみに場所的には高辻通の一の鳥居の先の二の鳥居を潜ってすぐの右手にありました。
北菅大臣神社
時系列は前後しますが。
北鳥居を潜る前に、その北鳥居に向かって真後ろに北菅大臣神社があり扁額には『紅梅殿』と認められています。
こちらは菅家廊下(かんけろうか)と呼ばれていた学問所の跡地で官公の書斎のあった場所で後に『紅梅殿』と称され今現在は菅原道真公の父である是善(これよし)を祀っています。
とまぁ色々と紹介しましたが、この神社に来たのには、もうひとつ目的があったのですが、それは後日の投稿にて。
ということで、やっと来ることができた菅大臣神社でした。とさ。
ではでは👋