12月5日のことです。


篠田屋中華そば皿盛りを食べてから。

こちらに凸💨


こちら建仁寺も前々から予定に入っていて、時間の都合などで、また今度また今度とズルズルと後回しになっていて、やっと来ることができました👍


建仁寺の由緒

臨済宗建仁寺派の大本山。1202年(建仁2年)栄西禅師(ようさいぜんじ・えいさいぜんじ)が建立した京都最古の禅寺。1586年(天正14年)ごろ、安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)により再興され、五山第3位の格式を持った。勅使門(重要文化財)は、銅板葺、切妻造りの四脚門で、扉に矢痕があるところから矢の根門とも呼ばれる。方丈(重要文化財)は、柿葺(こけらぶき)、単層入母屋造で、1599年(慶長4年)に安芸の安国寺から移築した。


※. 京都観光Naviより抜粋編集


篠田屋のある三条京阪駅から歩こうと思えば歩ける距離なのですが、この時点で既に足がキツくなってきていたので三条京阪駅から祇園四条駅までのひと駅だけですが電車に乗りました😅

花見小路は通らずに、建仁寺に向かいます。

↑の写真は、どんぐり通りを東に向かう途中の通りから南側を見たものですが、この道を行かずに左に向かうと。

北門

1枚目の写真の、こちら北門に出ます。

四条通りから花見小路通りを通った突き当たりに、この門があるので、ここから入る人が多いと思いますが、本来だと逆の南側が正面になります。

ですが、御多分に洩れず僕もこちらから入ります。

東鐘楼 陀羅尼の鐘

北門から入るとすぐに陀羅尼の鐘(だらにのかね)があります。

こちら陀羅尼の鐘は、光源氏のモデルと言われている嵯峨天皇の第8皇子である源融(みなもとのとおる)の別荘にあったとも言われています。

本坊

陀羅尼の鐘を通り過ぎると本坊があり。

こちらに受け付けがあって拝観料を納めてから靴を脱いで奥に進みます。

風神雷神図屏風

すると、いきなり国宝の風神雷神図屏風がありました。と言ってもこちらは京都文化協会とキャノンによる高精細なデジタルコピーで、原本は京都国立博物館に寄託されています。

よって↑のものは写真撮影は自由になっています✨

風神

こちらの作品には名前や印などの落款が無いのですが、間違いなく俵屋宗達が晩年に描いたものだと言われています。

雷神

それまでの雷神は肌の色を赤く描かれていたのですが、この絵では白く描かれています。

僕を含めて多くの人は『雷神の肌は白』とイメージするのではないでしょうか? それだけ、この俵屋宗達の絵は後世に影響を与えたと言えると思います。

そして雷神の身体の作りに注目すると、分かりやすいのは左手なのですが、通常は手の平であるべき部分が手の甲になっています。そして右手も然り。

俵屋宗達は、神様を描く際に人間と同じ姿ではまずいのではないかと思い、このように表現したのではなかろうか? と言われています。 あくまでも諸説ありなのですが。

方丈前庭 大雄苑

方丈に進むと大雄苑(だいおうえん)があります。

こちらは方丈の南側から西側にかけてL字型に広がる枯山水庭園で、枯山水庭園としては禅寺らしいシンプルな王道の作庭となっています。

向かい側には向唐門があり唐破風屋根の向こうの屋根は法堂(はっとう)です。

↑の左奥に見える石塔は織田有楽斎(おだうらくさい)が兄の織田信長を弔う為に建立したものだそうな。

方丈襖絵

お客さんを最初に通す『礼の間』には雲龍図の襖絵があり、これは海北友松(かいほうゆうしょう)筆の重要文化財(安土桃山時代・複製)です。

このように通常の寺院では方丈から外側の庭の写真撮影はOKで、方丈内側の室内は撮影禁止というのが普通なのに対して、建仁寺では襖絵や屏風絵を複製にして全て撮影OKにしています。

これについて、どちらが良いのかは個々人の考え方なのでしょうね。

ちなみに、これを描いた海北友松は豊臣秀吉の家臣の武士で、武将でありながら狩野派に入門を許されるという絵の才能の持ち主です。

そのエピソードを知ってからか、雲龍図の絵は猛々しい気性が表れているように感じました。

方丈の扁額。

青空に映える納骨堂白砂敷石紅葉🍁

そして、方丈内の襖絵ですが。

元総理大臣の細川護熙筆による水墨画が。

これは栄西禅宗の生誕880年を記念して奉納されたもので、大書院の12枚の襖の裏表、計24枚の襖絵がありました。

とにかく方丈などの各部屋を仕切る襖には、それぞれ水墨画が施されています。

◯△□乃庭

こちらが◯△□乃庭

真ん中の苔山と、その周りの白砂の波紋が◯で、向こう側に見える井戸が□。

逆側から取りましたが、手前の白砂の盛り上がった部分が△です。

この単純な3つの図形は宇宙の根源的な形態を示していて、◯が水△が火□が地を意味していて、禅宗の思想である地水火風空を象徴したもので残りの風と空は目には見えませんが、漂っている全てのものが空で、それが動いた時に風になる。
つまり、この世の全ては三角四角でできているということです。 
そして△の下の左側に◯を右側に□を配置したら命という漢字になる。つまり命あるものは丸と三角と四角でできているんだよという教えなのだそうな。

潮音庭

そして、建仁寺にある3つの庭の最後は皆さんが思い思いに座って眺めている潮音庭です。

こちらは小書院大書院渡り廊下に四方を囲まれた中庭にあり360度のあらゆる方向から違った表情を楽しめるように作庭されています。

潮音庭には表がありません。庭のぐるりを周って個々人それぞれの『ここが1番綺麗だなぁ』と思ったところが正面で、正面が決まったら初めて裏側ができて、そうしたらそれぞれの心の仏になっているでしょうというコンセプトなのだそうな。

建仁寺は京都市内では下鴨神社糺の森(ただすのもり)と並んで紅葉が遅いところなので、今まで見てきた所よりも青葉が目立ちますが、これはこれでグラデーションが綺麗です。

ということで自分なりの正面が決まったところで法堂に向かいます。

渡り廊下を、先ほどの大雄苑を反対側から見ながら進みます。

火灯窓からの大雄苑

渡り廊下を進んで。

法堂(はっとう)

法堂の建物に。

わざと人を入れ込みますが大きな建物です。

そして、いよいよ法堂の内部に潜入します。

双龍図

双龍図ド〜〜ン‼️

建仁寺創建800年を記念して昭和を代表する日本画家の小泉淳作画伯が約2年を費やして描かれ平成14年(2002年)に奉納されたものです。

龍は、そもそも仏法を守護する霊獣という存在で、更には雲を呼び雨を降らし水を司ると言われています。

日本の寺院は木造建築がほとんどで1番怖いのが火災で、その火災から護ってもらうのと、法堂は仏法を講義するお堂ということで。

壇上に和尚様が上られて説法を説かれた時に、天井の龍が法の雨を降らし皆に功徳を与えるんだという意味で、天井に描かれることが多いのだそうな。

歴史的には新しいものですが。

建仁寺を代表すると言っても過言ではない存在になっていると思います。

山門 望闕楼(ぼうげつろう)

ってなことで、遠影から山門を撮ったのを最後に建仁寺を後にしました。とさ。


いやはや、これでも僕のブログ記事としては長い方で実際に撮影した3分の1も写真を載せていませんが、それなりに網羅できたなかと思いつつ終わりにします。

 



ではでは👋