4月19日のことです。


この日は、つつじの見頃が近いということで。

こちらに凸💨


根津神社の由緒

景行天皇(けいこうてんのう)の御代、日本武尊(やまとたける)が駒込の地に創祀(そうし)して、後文明年間に太田道灌(おおたどうかん)が社殿を奉建した。

 

現在の社殿は宝永三年(1706年)五代将軍徳川綱吉が嗣子家宣の氏神社として当地に奉建したもので、社殿の他にも当時の唐門、透塀、楼門等の結構がすべて現存、国の重要文化財に指定されている。またその祭礼は天下祭として有名で今に伝えられている。

境内は7000坪、古来つつじが岡と称せられ、今も花季には100種3000株が咲き競う名勝である。


※. 東京十社会HPより抜粋編集


となっています。


ちなみに徳川綱吉公ですが、当ブログでは京都の今宮神社に所縁のある桂昌院のところでチラリと名前が出てきました。

この綱吉公。『生類憐みの令』で有名で『バカ殿』だ何だと散々に言われていますよね。 

確かに自分の腕で血を吸っている蚊をペチンとしただけで島流しだとか嘘がホントが分からないようなことを言われていますよね。

確かに生類憐みの令は行き過ぎな部分もあり天下の悪法だと言われても仕方がない部分もありましたが、綱吉公が制定した法令により後世まで影響を及ぼす良いこともあったのです。

それまでは『斬り捨て御免』のように人の命が軽んじらていたことも否めなかったのですが、生類憐みの令の制定後に、安易に人が斬られて亡くなるケースが激減したそうな。

ということて今のゴシップ雑誌のように一面だけを切り抜くのも考えものだという話しでした。


とまぁ初っ端から本題から脱線しているので軌道修正して😅


早めに到着したので神社の方をパシャリ✨ ましたが、今回はサクッとだけで本題に移ります。

表参道口

東京メトロ千代田線根津駅方面から向かうと↑の境内の南側に位置する表参道口がお出迎えします。

再度の貼り付けになりますが、社号碑の社号の上には『元准勅祭(もとじゅんちょくさい)』と刻まれています。

国家鎮護のために天皇陛下から勅使を遣わされる神社が『勅祭社』で、それに准ずるのが元准勅祭社です。

って、このペースでいくとかなり長くなるので今度こそ以下からはダイジェストでパパッといきます😅

神橋

左側につつじが広がっているのですが、そちらは後ほど。神橋の欄干の外側にある竹垣の向こう一面が

つつじ苑です。

楼門

煌びやかな楼門

楼門の扁額

手水舎

手水舎

唐門

唐門と、その両サイドに伸びる透塀(すきべい)

唐門の扉。

拝殿・本殿

手前に見えているのが拝殿で、その奥に本殿があります。

アップで何枚か。

横向きになっている木鼻彫刻は毛のウネリがあり鼻が短めなのでではなくですね。

狛犬

阿。

吽。

舞殿

ということで神社部分はこれくらいにして。

つつじ苑

本来の目的の。

つつじ苑ド〜〜ン‼️

緑の部分もありますが、この時は早咲き中咲きが見頃で遅咲きのつつじはこれからというタイミングでした。

ちなみに上から3枚の写真は有料エリアの開門待ちの際に撮ったもので、サクッと見たり撮ったりするだけの人は無料エリアだけで十分楽しめると思います。

↑のはわざと人が映り込んでいますが、開門10分ほど前で最後尾は見えません。

そして開門したので。

急いで坂を上り、斜面の上からのアングルを狙います。僕はエッチラオッチラなのですが。

高そうなカメラを携えたガチ勢は猛ダッシュで駆け上っていました😅

↑の写真には、つつじ苑の入り口の料金所が見えます。

少々見づらいですが、日陰になっているつつじの向こう側に連なっている鳥居が見えています。

ここが一番人気のあるアングルですね。

本来なら昼過ぎくらいには日陰の部分が無くなると思うのですが、人混みを嫌った故のこの時間なので仕方がないですね。

それにしても肉眼でも眼に差し込んで来るような蛍光色のような色彩が綺麗です。

ということで様々なアングルを何枚か。

アップでも。

下から見上げるアングルも。

ということで今年も来ることができて。

満足して。

根津神社を後にしました。とさ。




ではでは👋