4月4日のことです。


会津二郎でランチを決め込んだ後に、行くかどうか迷ったものの。

こちらに凸💨


鶴ヶ城の由緒

至徳元年(1384年)に葦名直盛(あしななおもり)が築いた東黒川館を起源とし、文禄2年(1593年)に蒲生氏郷(がもううじさと)が東日本で初の本格的な天守閣を建てて『鶴ヶ城』と命名しました。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では新政府軍の一か月に及ぶ猛攻に耐え、難攻不落の名城として知られるようになりました。明治7年(1874年)までに天守閣をはじめとするすべての建物が取り壊されましたが、昭和40年(1965年)に天守閣が再建され、平成に入り茶室や隅櫓も復元されました。平成23年(2011年)には、屋根瓦が幕末当時の赤瓦にふき替えられました。


※. 会津若松観光ビューローより抜粋編集

3年前は、ほぼほぼ同じくらいの日に来たのですが、その時は。

 (2021年4月8日撮影)

このように満開のソメイヨシノが咲き誇っていたのですが、さて今年は……

まちなか周遊バス『あかべぇ』から降りて。

前回、会津若松駅の方向から徒歩で来た時の西口とは別の、北口の方から城内へ💨

敵が攻めてきた際の進軍が遅くなるように造られたクランクの壁面を進み。

そして、ここ椿坂で西口からの道と合流して。

天守閣の方向に向かいます。そして。

天守閣ド〜〜ン‼️

↑の写真に映っている両サイドの木がソメイヨシノですが、ご覧の通りです😅

まぁ京都の時とは違い、こちらでは最初から桜は無理だと分かっているので、ここつだはテンションが下がるなんてことはありませんでした。

ただ、気の早いやつがいないかなと淡い期待を抱いていましたが。

蕾は固く膨らみもまだな感じでした。

ですが、が咲いていたので無理くり額縁構図でパシャリ✨

梅にピントを合わせてパシャリ✨

その他にはサンシュユ(山茱萸)が咲いていたので。

こちらも天守閣を絡めてパシャリ✨

ということで、それほど長いはせずに帰ることにしました。

桜はまだですが観光客(特に外国人)が思いの外多かったです。

帰りは西側から出ようと向かったので、途中武徳殿をパシャリ✨

前回と同様に中では剣道の稽古をしていました。


ということで、この後にソースカツ丼のお店を(仮)で予定に入れていましたが腹はいい感じに満たされているし今度にしようと決めて、いつものお決まりのコースの磐越西線にて新潟へと向かいました。とさ。


この日、新潟に着いた際の写真は一切写真に収めていませんでしたが、今回の福島&新潟遠征の決め手は『北陸応援割』をやっていて、いつも新潟で止まる宿が約1,500円で予約できて尚且つ新潟市独自のクーポンが発行されるので決めました👍


ということで、この日の夜は京都遠征の疲れの残りも手伝って19時くらいにはホテルに入り、そのままコンビニ弁当で済ませて寝ちゃいました。とさ。


歳のせいなのか、年々疲れが抜けづらくなっているのです😅



ではでは👋