3月27日のことです。


一条戻橋で、河津桜の最期の美しさと安倍晴明の伝説を想った後は、そこから歩いて10分程度の距離にある。

こちらに凸💨

晴明神社の由緒

晴明神社は、平安時代中期の天文学者である安倍晴明公をお祀する神社です。

創建は、寛弘4年(1007年)。晴明公の偉業を讃えた一条天皇の命により、そのみたまを鎮めるために、晴明公の屋敷跡である現在の場所に社殿が設けられました。
古い資料によれば、創建当時の晴明神社は、東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通という広大なものであったとされています。ところが、応仁の乱の後、豊臣秀吉による都の造営や度重なる戦火によって、その規模は縮小。古書、宝物なども散逸し、社殿も荒れたままの時代が続きました。
その後、式年祭の度に、氏子が中心となって整備・改修が行われ、昭和25年(1950)には、多年の宿望であった堀川通に面する境内地が拡張されるなど、晴明公の御神徳を仰ぎ尊ぶ崇敬者の真心によって復興が進められました。

近年は、文芸、漫画、映画などを通じて晴明公の存在は広く知られ、全国にその崇敬者を集めるようになりました。平成15年(2003年)には、御鎮座壱千年祭が斎行されました。


※. 京都観光Naviより抜粋編集

とまぁ僕は安倍晴明陰陽師は、夢枕獏の小説が今現在の全国的な認知度に繋がっていると思います。

映画が決定打だと思いますが、その原作はあくまでも夢枕獏ですからね👍

一の鳥居

ってなことで冒頭の写真を再度貼っていますが、こちらが堀川通りという広い通りに面している一の鳥居です。

↑の写真でも分かる通り鳥居に掲げられた扁額には社号ではなく金色の星のマークが使われていますが、このように社号や御祭神の名前では無い扁額は全国的にも珍しいのではないでしょうか。

この星マーク。一般的には『五芒星』と呼ばれていますが、この五芒星は安倍晴明が陰陽道に用いた祈祷呪符です。

祈祷呪符とは文字や記号などが書かれたお札のことで、安倍晴明はこれを魔除けの札に使われていて、特に安倍晴明が用いた五芒星は『晴明桔梗』と呼ばれていました。

旧一条戻橋

ここ晴明神社の南に約100メートルほど離れたところを流れる堀川に架かる、先ほど行ってきた一条戻橋は平成7年(1995年)に架け替えられ、その際に先代の橋の欄干に使われていた親柱を、こちらに写して一条戻橋を縮小版にして再現したものです。 

そして橋の傍らには……

式神の石像

式神の石像が。

式神は陰陽道で用いる精霊で、安倍晴明の妻が怖がったと言われていますが、僕にはこのデザインは少々マンガチックに過ぎるかなと😅

もう少しおどろおどろしくして欲しかったかな。


注). あくまでも個人の感想です。

日月柱

旧一条戻橋から視線を本殿側に移すと日月柱があります。

正面に向かって左側(南側)の柱の上には『日』が。

右側(北側)には『月』があり、これはまさに陰陽をあらわしています。

この月と日は篤志家から奉納されたもので、石柱はかつて四神門(しじんもん)の門柱(後述)に使われていたものです。

二の鳥居

こちらが二の鳥居で、その奥に四神門があります。

写真だと分かりづらいですがゴールデン君の左横に見えている石柱です。

当時は客が来たら門扉が自然と開き、帰ったら自然と閉まったという逸話が伝えられています。

二の鳥居の扁額は社号でした。

門柱の前にはと。

晴明桔梗があしらわれた提灯が。

そして門扉にも晴明桔梗が。

当時は自動で開閉していたそうですが、現在は電動で開閉するとかしないとか😅


四神とは……


青龍(せいりゅう=東) 

白虎(びゃっこ=西) 

朱雀(すざく=南) 

玄武(げんぶ=北)

晴明井(せいめいい)

四神門を潜ってすぐ右側に晴明井があります。

こちらは安倍晴明が念力で水を湧き出させたとされていて病気平癒の御利益があると言われています。

今でも飲み水として利用でき毎年立春に、その年の恵方の方角に向きを変えるのだそうな。

手水舎

晴明井のすぐ隣には手水舎が。

こちら写真を撮った時には気づかず、ブログを書く際の写真編集の際に花手水だったことに気づきました。 こりゃ失敗😔

本殿

そして正面突き当たりの本殿

各所に晴明桔梗があしらわれた安倍晴明が祀られている本殿は、明治38年(1905年)に再建されたもので厳かな雰囲気に包まれています。

安倍晴明公像

本殿向かって右にある安倍晴明公像

こちらは晴明神社にある肖像画を元に制作されたもので、着物の袖の中で印を結び夜空の天体観測をしている様子なのだそうな。

厄除桃

そして本殿向かって右側には厄除桃が。

古来より中国や陰陽道では桃は魔除け・厄除けの果物とされています。

これを撫でると厄が払われ清々しい気持ちになるのだそうな。

御神木の楠

厄除桃の右隣には御神木の楠が。

ちょうど、この写真を撮っている時に御神木からパワーを貰おうと、木の幹を両手で触れている妙齢の御婦人がおられました。

末社 齋稲荷社

御神木の奥、本殿の右側には末社である齋稲荷社が。

齋(いつき)は、このお稲荷さんが齋院(さいいん=鴨神社に仕える齋王がおこもりする場所)にあったことに由来します。

安倍晴明は、お稲荷さんの生まれ変わりだとされる説があり、各地で稲荷信仰と同一視されています。



とまぁ早朝(具体的に到着したのは6時50分でした)だというのに修学旅行生がいたりして、早足に境内を巡りましたが、前々から来たかったところだったので大満足で次の目的地である嵐山に向かいました。とさ。

 



ではでは👋