引き続き3月28日のことです。
京都御苑を後にして地下鉄とバスを駆使して。
こちらに凸💨
醍醐寺の由緒
真言宗醍醐派の総本山である醍醐寺は、貞観16年(874年)に理源大師・聖宝によって開創されました。
山岳信仰の霊山であった笠取山(醍醐山)に登った聖宝は、白髪の老翁の姿で現れた地主神・横尾明神より、こんこんと水(醍醐水)が湧き出るこの山を譲り受け、准胝・如意輪の両観音を刻み祀りました。それが醍醐寺の始まりです。
開創後、醍醐・朱雀・村上の三代にわたる天皇の深い帰依によって山上に薬師堂、五大堂、山下に釈迦堂、五重塔などが建立され、山上山下にまたがる大伽藍が調いました。
以後皇室をはじめ貴族や武士の支援を得て、三宝院をはじめとする諸院や種々の堂宇が建立され、真言密教の中心的寺院のひとつとして今も多くの信仰を集めています。
平成6年(1994年)には『古都京都の文化財』として、ユネスコの『世界文化遺産』に登録されました。
※. 京都観光Naviより抜粋編集
サブタイトルにも書いたのですが、慶長3年(1598年)に豊臣秀吉が正室の北政所ねね、長男の秀頼、側室の淀君、織田信長の娘で秀吉の側室である三の丸などをはじめとする総勢1300人あまりの女房衆が参加したと言われる『醍醐の花見』はあまりにも有名ですね。
ということで昨年秋の紅葉の際の遠征時に候補に入れていたのですが『醍醐寺はやっぱり桜かな』と、春に取っておいたのですが……
再三言ってしつこいようですが、期待していたソメイヨシノは大外れだったけど『早朝特別参拝』を予約していたので来た次第です。
総門
『醍醐寺前』のバス停で降りて5本線の築地塀を左に見ながら進むと。
すぐに総門が見えてきます。
総門の手前の枝は枝垂れ桜だと思うのですが、寂しい感じです。
総門の先には仁王門まで続く桜馬場と呼ばれる参道が伸びていて、名前の通り両側にソメイヨシノが植栽されていて、ここが淡いピンク色で覆われている桜のトンネルを期待していたのですが……
まぁ、しつこく恨み言を言っても始まりませんね😅
国宝 三宝院唐門
総門から仁王門に向かう途中の左側に、醍醐寺の本坊的な存在の三宝院へと続く国宝の唐門があります。 と言っても、やんごとなき御方以外は唐門からは入ることは許されません。
この唐門の手前に受付と入り口があります。
ちなみに今回は時間の都合上下伽藍エリアのみで三宝院には行きません。
黒漆塗りの扉には『五七の桐』の紋があり、その両サイドには『菊』の紋が大きく彫られていて金箔が施されています。
格調の高さを醸し出す檜皮葺の屋根は、両サイドが唐破風になっていて、入り口側が平らになっている『平唐門』という様式です。
西大門(仁王門)
そして、この記事の最初の写真の西大門、通称仁王門に。
こちらが早朝特別参拝の受付となっていますが、受付開始を待つ方が7名ほどいました。
門の入り口には受付スタッフがスタンバイして、この写真を撮った直前くらいに受付が開始されました。
門の入り口の両側には西大門の通称にもなっている仁王像が睨みを効かせていました。
伽藍の参道には縦縞ではなく上半分が白で下半分が朱の紅白幕に五七の桐紋が。
この参道の両サイドにもソメイヨシノが……
桜まつりのぼんぼりもなんだか裏寂しさを醸し出している…… というのは自分の『やっちまったなぁ』という心の表れかも😅
国宝 五重塔
まわる順番は前後するのですが人のいない写真を撮りたかったので、先に国宝の五重塔をパシャリ✨
こちらには辛うじて咲きはじめの枝垂れ桜が。
ということで五重塔を何枚か。
やはり重厚感というか独特の雰囲気があります✨
枝垂れ桜は、いくらかは咲いていますが、やっぱり早かった。
国宝 金堂
鐘楼があります。
そしてこの鐘楼の奥に。
これまた国宝の金堂があります。
金堂は醍醐天皇の御願により延長4年(926年)に創建され当時は釈迦堂と呼ばれていましたが、永仁年間と文明年間の2度にわたり消失します。
現在の金堂は秀吉の命により紀州(和歌山県)の湯浅から移築が計画され、秀吉が没後の慶長5年(1600年)、秀頼の時代に完成しました。
ここが醍醐寺の中心のお堂で本尊の薬師如来坐像が安置されています。
金堂の横の枝垂れ桜が綺麗でしたが、肝心の金堂のアップの画像はブレッブレで無念の没😅
金堂の前にある舞台越しの五重塔。
清滝宮 拝殿・本殿
五重塔を先に撮りたかったので順番が前後しましたが、金堂から少しだけ仁王門の方向に戻って。
醍醐寺の総鎮守である青龍権現を祀る鎮守社の青龍宮で、↑は本殿。
こちらが拝殿。
咲き始めの枝垂れ桜か綺麗です。
別の桜もパシャリ✨
不動堂
清龍宮を後にしてから伽藍の参道をまた奥に進み。
五重塔を右手に更に進むと。
不動堂が。
不動堂の手前は広めに石柱の仕切りがしてあり、真ん中に丸い部分が見えますが、ここで護摩を焚いて世界平和を始めとする様々な祈念をする護摩道場になっています。
石仏の不動明王の手前に護摩壇があります。
お堂には不動明王を中心に五大明王が安置されています。
真如三昧耶堂
不動堂の奥には隣りあわせるように。
真如三昧耶堂(しんにょさんまやどう)が。
もとは朱雀天皇の御願により法華三昧堂として天暦3年(949年)に創建されましたが、文明2年(1470年)に消失。
現在のお堂は平成9年(1997年)に真如三昧耶堂として再建されたものです。
そこから苔に覆われた石や。
木などを眺めながら進むと。
祖師堂
祖師堂が。
こちらには真言宗を開いた弘法大師・空海と、醍醐寺を開創した空海の孫弟子の理源大師・聖宝とが祀られています。
祖師堂を後にして伽藍の参道を更に奥に進むと。
日月門
日月門が。
こちらは比較的に歴史の新しいもので昭和5年(1930年)に、醍醐天皇一千年御忌を記念して山口玄洞居士より寄進された建造物のひとつです。
この方は神護寺の伽藍も寄進していて、ものすごいお金持ちの方だったのでしょうね。
そして日月門を潜って先に進むと。
観音堂(西国第十一番札所)
観音堂が。
こちらが醍醐寺の納経所で、お堂の中で各種の御朱印が授受されます。
もちろん僕は御朱印は集めていないので。
建物のぐるりの意匠などを見てから写真をパシャッて次に向かいます。
そして、また伽藍の参道を奥に進むと。
弁天堂
五重塔と並び醍醐寺の象徴的なスポットである弁天堂に到着。
朱塗りの輪橋が弁天池に反射したリフレクションに桜も風景に溶け込んで、やっぱり綺麗ですね👍
別角度のものを何枚か。
今は枝のみですか、紅葉の季節には弁天堂の周りにはモミジが取り囲んで綺麗なんですよね。
輪橋越しの弁天堂。
扁額もパシャリ✨
無量寿苑
最後は弁天堂の更に奥の石段を進むと。
無量寿苑が。
石橋を渡る時に振り返ると。
弁天堂前の輪橋が見えます。
先ほどの細く緩い流れを辿ると。
瀧がありました。
こちらは更に季節が進んだ新緑の頃には、もっと見応えがありそうですね。
ということで醍醐寺は下伽藍と上伽藍の2つのエリアに別れていて、今巡ったのが下伽藍です。
参道に戻ると更に奥に上伽藍へと続くのですが、ここからは軽い山登りのようになるので今回は疲労のことも考慮して、ここで引き返すことにしました。
帰り際にもう1度、弁天池からの弁天堂をパシャリ✨
来た道をテクテクと引き返しますが、先に見えている仁王門の向こう側には一般参拝客が参拝の受付所に並んでいました。
キチンと数えていませんが軽く50人以上はいたかと思います。
やはり人気スポットで特別参拝が設定されているところは、少々参拝料が高くなりますが、僕のように『写真を撮りたい』その際に『できれば人が入り込まない写真が撮りたい』という人には有難いかなと思いつつ、秀吉が愛した桜のある醍醐寺を後にしました。とさ。
ではでは👋