3月27日のことです。
今出川の松乃家で腹ごしらえをした後はホテルのチェックインまでに時間があるので豊臣秀吉ゆかりの神社である。
こちらに凸💨
豊国神社(とよくにじんじゃ)の由緒
豊臣秀吉を祀るこの神社は、もとは阿弥陀ヶ峯の中腹にあり、豊臣家滅亡後に徳川幕府によって廃社とされたが、明治13年(1880年)に明治政府が秀吉の徳を称えて、方広寺大仏殿跡に再興した。国宝の唐門は、伏見城の城門を移築したものといわれ、唐破風がついた四脚門で、欄間や扉の彫刻に桃山時代の華麗な遺風が偲ばれる。境内には秀吉夫人の北政所を祀る摂社貞照神社もある。秀吉の馬印にちなんだ珍しい千成瓢箪の絵馬があり、宝物館には秀吉ゆかりの品が展示されている。
※. 『そうだ 京都、行こう。』HPより抜粋編集
となっております。
バスを降りてすぐのところに三十三間堂があるのですが、今回もパスして地元の方には『ホウコクさん』と呼ばれる豊国神社に向かいます。
石鳥居
写真が下手くそなので伝わらないと思いますが、かなりな大きさです。
手水舎
石鳥居を潜ると左手に手水舎があります。
手水鉢の側面には『五七の桐』の紋が刻まれています。
五七の桐とは、中央に7つ左右それぞれに5つの花が立っている桐の紋です。
今から1200年以上前に嵯峨天皇によって創案されたもので桐紋の中では1番格が高いとされています。
五七の桐は天皇家の家紋として知られていますが、足利家や豊臣家など政権を担う家に下賜されるものです。
ちなみに現在では日本政府の紋章としても使われています。
そしてこの手水舎の水は、なんと瓢箪から出ています。
瓢箪といえば豊臣秀吉が先兵として稲葉山城内に忍び込んだ時に、竹の先に瓢箪を高く掲げて目印とし、以降、瓢箪は豊臣秀吉の馬印になります。
なんだか心の中で『オオ〜〜!』となりました。
豊臣秀吉像
手水舎の先の参道を進むと左側に。
豊臣秀吉の像が。
バックには、ここに来た目的のひとつでもある蜂須賀桜が。
蜂須賀桜は早咲きの桜で本来ならこの時期には散っていてもおかしくないのですが、今年の厳しい寒の戻りで持ち堪えてくれていました✨
この蜂須賀桜は、徳島城の御殿にあった珍しい寒桜系の交雑種で、ごく限られた人だけしか観ることができませんでしたが1999年に育種家の手により苗の栽培に成功して、決して多くはありませんが東京・大阪・京都・長野などで栽培されています。
散ってしまったものも目立ちますが。
なんとか間に合ったという感じです。
唐門(国宝)
そして豊臣秀吉像を左に見て、真正面の本殿の手前には国宝に指定されている唐門(からもん)が構えています。
とにかく『豪華絢爛』という言葉がよく似合う迫力で、それに加えて『荘厳さ』も兼ね備えていて桃山期の意匠を感じざるを得ません。
こちらの門は、秀吉が建てた伏見城の遺構と伝えられていて、二条城から南禅寺の塔頭寺院である金地院を経て、こちらに移築されたもので西本願寺、大徳寺の唐門とともに『国宝の桃山三唐門』のひとつとされています。
唐門の左脇には龍のオブジェがありましたが、これはその年の干支を飾っているのかな?
そして屋根裏マニアの鎌首かムクムクと👍
まずは『豊国大明神』と書かれた扁額は後陽成天皇の直筆の勅額です。
勅額の上にある虹梁の上の蟇股には、桐の紋が彫刻されていて冠木の上には雌雄一対の鶴(飛び鶴)の彫刻が施されています。
これらは伝説的な彫刻家の左甚五郎作と伝わっています。
ちなみにこの鶴には目がありません。
目を入れると飛び去ってしまうからなのだとか。
瓢箪絵馬の先に見える唐門の扉をクローズアップすると。
1番下の段に鯉の滝登りが彫られています。
これは『滝を登り切った鯉は龍になる』という中国の故事『登竜門』を表しています。
もちろんこの鯉も左甚五郎によるものです。
拝殿・本堂
唐門から見える拝殿と、その先に見える本殿。
と。
拝殿と本殿が見えているのですが、こちらは唐門のところに柵で結界がしてあり、この先には進めません。
この先には、例年ですと元日から3日間だけ解放されて本殿まで行って参拝できるようです
方広寺
ということで唐門から正面に向かって左側(北側)に行くと↑の鐘楼があり、ここから先が方広寺です。
国家安康の銘鐘
そしてこの『国家安康の名鐘』が歴史的なことに深く関わっています。
この梵鐘の側面には多くの文字が刻まれているのですが。4文字づつ2カ所が白い枠線で囲まれています。
ズームして見てみると『国家安康』と『君臣豊楽』という文字が書かれているのが分かります。
この文字を見て徳川家康が『国家安康』は2文字目→4文字目で、家康の名前を分断して呪詛をはかり、『君臣豊楽』は3文字目→2文字目→1文字目と読むと豊臣が君主の座に着くことを画策していると、思いっきり無理矢理に難癖をつけて激怒します。
これが『大阪冬の陣』へと向かい、その後、豊臣家を滅亡に追いやることになる『大阪夏の陣』への導火線となったとされています。
そして件の梵鐘から目線を上に向けると天井画が見えますが……
よく見ると『迦陵頻伽』(かりょうびんが)が。
面白いことに天井画の(ほぼ)全てが迦陵頻伽でした。
意図していないところで、いきなり見られたので、密かにテンションが上がってしまいました。
ちなみに、この天井画は元々は伏見城の女性の化粧室の天井にあったものを移築したもののようです。
とまぁ。
蜂須賀桜が散り始めで、まだ間に合いそうという情をもとに豊国神社をチョイスしたのが理由のひとつですが、やはり歴史好きには堪らない遺構の数々があるというのが豊国神社に来た最も大きな理由です。
やはりそれらを肉眼で見ることができて大満足で豊国神社を後にしました。とさ。
ではでは👋