3月17日のことです。


仕事終わりに途中の駅で降りまして。そこから久しぶりにウォーキングをしながら帰宅しましょうとなりまして。 その道すがら。

ここら近辺の地名にもなっている、こちらに凸💨

高円寺の由緒

宿鳳山高園寺は、弘治元年(1555年)、中野成願寺第世建室宗正(けんしつそうせい)によって開山された曹洞宗の寺院で、『高円寺』の地名は当寺に由来します。

現在の本尊は彫刻家・三木宗策作の聖観世音菩薩立像で、室町期の作と伝えられる阿弥陀如来坐像も安置されています。

かつてこの地は、周辺に桃の木が多くあったことから桃園と称され、恵心僧都(えしんそうず)源信作の本尊は桃園観音、御堂は桃堂の名で呼ばれていましたが、弘化41847年当寺が広くその名を知られるようになったのは、第世耕益道の時、代将軍徳川家光の知遇を得たことによります。現本堂裏の高台が「御殿山」と呼ばれるのも、家光が鷹狩りの際に寺に立ち寄り休息した茶室跡に由来すると伝わります。また、それまで小沢村と呼ばれた村名を、名をとって高円寺村と改めさせたのも家光といわれています。以来、「高円寺」の名は駅名などにもなり、現在に至っています。

寺は、寛保年間(1741年1744年)以降、昭和20年1945年)まで、たびたび火災に見舞われ、堂舎と共に記録類の多くを焼失しました。現在の本堂は、昭和29年1954年)に建されたものです。


ということで徳川家光と縁があり、その後地名にもなった高円寺ですが、まずは青梅街道から環状七号線を北にテクテク。

そして環七通りから南中央通りに左折して西に向かってテクテク。

ここ南中央通りは歩道と車道を隔てる街路樹が年中花を楽しめるように多種の花が植えられています。

今は↑の白梅や。

ユキヤナギが咲いています。

夏場は長い期間に渡り咲き続けてくれるサルスベリ(百日紅)が目を楽しませてくれます。

入り口

そして南中央通りを西に行くと築地塀に挟まれるように交番があり、その先に石造りの門柱が見えます。

ということで通りの向かい側に渡ってパシャリ✨

門柱の向かって右側に山号標があり。

そして左側に寺号標が。

築地塀の壁には定規筋がありませんが……

塀の裏側を見ると3本線の定規筋が確認できました。 

京都遠征のブログの中でも触れていますが、こちらで定規筋について少々。

定規筋には3本線、4本線、5本線とあり、それが寺社の『格』を表すものです。が。

最近は築地塀に定規筋が無いところが多いです。

その理由として、先のブログでは明治元年神仏分離令により、明治政府が推し進めた神道国教化策によって引き起こされた仏教排斥運動という、日本の黒歴史と言っても過言ではない愚策『廃仏毀釈』により、多くの寺院が破壊されたことが大きかったと触れました。


もちろんその一端も大いにあると思いますが、寺社が創建された頃から江戸時代のかけては人でもそうですが寺社でも、ご多分に洩れず厳格な階級制度があり『格』を明らかにするのは当然のことという時代でした。

しかし近代から現代にかけては、その格付け意識はかつての厳格なものでは無くなり、わざわざ『うちの寺はこういう格です』と表すことをしないようになり、廃仏毀釈で破壊された寺を再建する際に最初から定規筋を入れなかったり、破壊されていなかったけれども壁を塗り替えて定規筋を消してしまうパターンが多かったようです。

山門

話しを戻しまして。

先ほどの入り口の先を進むと北側に1本道路があり、その道に面して山門があります。

そして山門に向かって左側に立派な寺号碑が。

山門に掲げられている山号の扁額

その下の扉には大きな三つ葉葵が。

山門の屋根瓦にも三つ葉葵の紋があり徳川家との所縁を窺わせます。

鬼瓦の上の鳥衾瓦(とりぶすまがわら)にも三つ葉葵が。

ここにもちょっとだけ定規壁が。

屋根&壁チェックもそこそこに本堂に向かって参道をテクテク。

本堂の手前に、その本堂を覆い隠すように大きなイチョウの木が今は枝だけになって聳え立っています。

そして、そのイチョウの木の下にピンクや赤の花が咲いているのが見えます。

地蔵堂

その花のある本堂の手前で左を見ると、お堂が見えていて、その左右に。

紅梅や。

椿が咲いています。

赤と白の混ざっている椿もパシャリ✨

その奥に白梅の高い木があり下の部分は蕾の状態で、この先しばらくは梅を楽しめそうです。

この梅の木にはヒヨドリが陣取っていて。

花の蜜を啄んでいます。

突き当たりのお堂の中には桃園子育地蔵尊が祀られていて、ちょうどお寺の方が花を活けに来ていました。

↑この記事を書いている時に気づきましたが、ちょうど花を活けている手が映り込んでいました😅

緑の葉が伸びてきているので終わりに近づいてきていますね。

本堂

そしていよいよ本堂です。

本堂にも山門同様に木の柵がされていて近づくことができません。

ちなみに写真に映っている柵では無く、この写真を撮っている足元にも柵で結界してあり、これ以上は進めません。イタズラ防止の為ですかね。

千鳥破風唐破風が組み合わさった屋根の下には

『高圓寺』と書かれた扁額があり、その上の向拝虹梁には緻密な彫刻が施されていて、その意匠は屋根下マニアには堪りませんです✨

虹梁には手前に対の天女が舞っていて、その奥に御殿が見えるので極楽を表しているのでしょうか?

あと見えづらいですが、その上の懸魚(げぎょ)の奥まった唐破風の小窓には左に松で右に鷹が。

唐破風小窓前の懸魚には天女鳳凰の彫刻が施されています。

さらに視線を上げると千鳥破風の鬼瓦があり、鬼瓦の下には、これまた三つ葉葵が。

唐破風屋根の上の左右には。

飛翔獅子の巴蓋

飛翔獅子は対なのですが、写真は片方だけ撮りました。

その下には正面を向いている唐獅子と横向きのの彫刻が施されている木鼻が。

そしてこの木鼻ですががあり、それぞれ似ているので判断に迷ったりするのですが、獏は鼻が短めでウネリのある毛が装飾されているので↑の木鼻は象で間違いないと思われます。

東京三鳥居の双龍鳥居

本堂から向かって左側(西側)には、こちらを目当てに来る方も多い東京三鳥居に数えられる石造りの双龍鳥居がある稲荷社があります。

三鳥居は、この他に品川神社馬橋稲荷神社にあり、龍の彫刻が施されている鳥居は全国的にも珍しいようです。

正面向かって右側の柱には降り龍が彫られていて。

左側が昇り龍🐉

藁座にあたる部分には左側に藻亀

右側に富士山

こう見ると縁起の良いものという意味合いでしょうね。

そして両側共に内側は、お稲荷さんの眷属であるが彫られいます。

稲荷社は実にシンプルというか簡素でした。

稲荷社から見える本堂の西側の屋根。

そこの鬼瓦のアップ!

稲荷社の真後ろを振り向くと黄色い花を咲かせた。

サンシュユの木がありました。


と。


サンシュユの写真を最後に高円寺を後にしました。

高円寺を出て南中央通りに出た、そのすぐ近くに町中華の人気店があります。食べたことは無いけど😅

テクテク道中の花

ということで家までウォーキングを再開しましたが、途中で見かけた花々を何枚か貼っておきます。

もうハクモクレン(白木蓮)が咲いています♪

それほど離れていないところにシモクレン(紫木蓮)も咲いていました。

もともと木蓮と言ったらこっちの方のようです。

ジンチョウゲ(沈丁花)なんかも咲いていて、冬が終わり春の真っ只中に差し掛かりつつあるのを感じざるを得ません。

最後はセイヨウアブラナで〆たいと思います。


 

ではでは👋