う3月27日のことです。


宮本武蔵吉岡一門決闘の地である一乗寺にて、二郎さん和洋折衷スイーツを堪能した後に。

こちらに凸💨

平野神社の由緒

延暦13年(794年)、桓武天皇が平安遷都にあたり、大和国の四座の神を勧請したのが起こり。本殿四棟は平野造、または比翼春日造と呼ばれ、重要文化財。現在の建物は寛永年間の再建。拝殿は東福門院が寄進したもので、接木の拝殿といわれ、三十六歌仙の額は海北友雪(かいほうゆうせつ)によるもの。花山天皇がお手植えされてより桜の名所として名高く、江戸時代には平野の夜桜として庶民にも親しまれた。桜園には名木、珍種など約60種類400本の桜樹がある。


※. 『そうだ 京都、行こう。』HPより抜粋編集

京都市営バスの『衣笠校前』バス停を降りてテクテク歩くと、すぐに↑の写真の平野神社の看板が見えてきます。


↑の由緒書きでは触れていませんが、ここ平野神社は日本トップクラスの高い社格を持つ神社です。

あまり知られていませんが、平安時代に作られた『二十二社』という社格制度があり、平野神社は国内トップ22社のひとつに数えられています。

そして、その中の7つの神社は『上七社』と呼ばれて国内鎮護の最高クラスの神社とされています。

ちなみにその神セブンを挙げておきます。(五十音順)


・伊勢神宮

・石清水八幡宮

・春日大社

・賀茂神社(上賀茂・下鴨)

平野神社

・伏見稲荷大社

・松尾大社


とまぁ錚々たる名前が並んでいますね。

古代社格や近代社格、明治維新後のものなど社格のことを取り上げたら複雑で膨大になってしまうので、社格についてはこんな感じで。

ひとつ言い添えると、様々な社格の基準があるのですが、そのどれもいおいて伊勢神宮出雲大社は別格扱いになっていて、そのどれもを見ると、やはり伊勢神宮が日本の神社においてトップなのは間違いないようです。

そして僕の個人的な見解も含んでいますが、上七社の中では全国的には、平野神社はあまり知られていないのかな? と思ってみたり。


なのですが。


ここ数年で一部の若年層の女性から、ここ平野神社が人気を博しているのです。

それは元King&Prince平野紫耀さんと名前が同じだという、ただそれだけの理由で、ここ平野神社が聖地巡礼スポットとして脚光を浴びているのです。

いやはや、オサ〜ンからしてみれば推し活バイタリティーというかエネルギーは眩しいばかりです。

西鳥居

ツバキに覆われた社号標

そしてツバキの葉で隠れていますが、社号の上には官幣大社という文字が刻まれていました。

戦後、GHQにより社格制度が撤廃されて、その際に社号標の社名の上に表記されていた社格はセメントなどで塗りつぶされたりしたのですが、こちらにはしっかり表記されていました。

その社号標の先に西鳥居があります。

正面の入り口は、この反対側の東鳥居北野天満宮の北門から西に向かうとあるのですが、バスからだとこちらからのアプローチになります。

鳥居の向こうは紅白幕で仕切られていて。

その先が桜苑となっています。

先に見えている白い屋根のテントで入場料を支払うのですが、まだソメイヨシノが開花していないからなのか、入場料の支払いはありませんでした。

ご覧の通りソメイヨシノは開花しておらずに寂しい感じでしたが。

視線を下げると。

菜の花が綺麗に咲いていました。

その菜の花を見ながら先に進むと。

石燈籠が。

その火口の部分には桜の紋様が。

後で出てきますが平野神社では各所に桜の神紋を見ることができます。

その先に本殿のある建物が見えてきました。

春日燈籠が本殿の方向に導いてくれています。

この先からは人の量が違ってきます。

もちろん先ほどの西鳥居から、ここに至るまでも人はいたのですけど、数分粘れば人の映り込まない写真が撮れましたが、ここから先は無理そうです😅

手水舎

まずは手水舎があり、ここでは何をとち狂ったのか、珍しく手を清めました。

そして、この手水舎の真後ろには。

魁桜

満開とは言えませんが、魁桜と呼ばれる枝垂れ桜が綺麗に咲いていました♪

こちらの魁桜は、名前の通り京都市内では例年、他に先駆けて花が咲くことから京都の方からは『魁桜が咲いたら、もう桜の季節が始まるね』と言われる存在なのだそうな。

そしてこの。

魁桜の向こうには、先ほどから見切れていた。

神門

本殿拝殿への入り口となる神門が。

神門の両サイドには桜の神紋の大きな提灯が。

この花びらの先端に切り込みが入っている桜の神紋に対して、北野天満宮では花びらの先端に切り込みの無い梅の神紋になっています。


え?


神門と神紋?


いえ、たまたまですよ。たまたま😅

そして、この門を潜ると拝殿と本殿があるのですが、ここで先には進まずに回れ右をして。

東鳥居

正面入り口となる東鳥居に来ました。

扁額には『平野皇大神』(ひらのすめおおかみ)と書かれていますが、この『皇大神』は本来は天照大御神(あまてらすおおみかみ)を筆頭に、いくつかの最高神にのみ許された称号です。

ただし平野神社の神様は皇祖神(こうそしん)ではありません。

しかしながら『延喜式』(えんぎしき)『平野皇大神』と記されていたのに基づいて正式名称にしたようです。

『延喜式』とは延喜年間の延喜5年(905年)に編纂(へんさん)が始まり、延長5年(927年)に撰進された、法令の細則、全国の特産品、全国の神社およびその格式、朝廷で用いる物品の原材料などなど、当時の官人の業務マニュアル的なものであり法典でもあります。

そして参道の両サイドの春日燈籠にも桜の神紋。

ということで魁桜の綺麗な神門前に戻ってきました。 平日ですが人出はこんな感じです。

平野紫耀のウチワをかざして桜を撮る人がいるのかな?と思っていましたが、若い女性グループが数組いましたが、ウチワを持っている人はいませんでした😅

ただ写真でも分かるように、ここでも外国人観光客が多かったですね。

枝垂れた桜の横に立って記念写真を撮るのはいいのですが、見ていると8割がたの人が桜の枝を持つんですよね。そして、その度に桜の花びらがハラリと落ちるんです。

まるでわざとそうさせるかのように……

この人達は、そうやって持っている枝が折れちゃっても罪悪感も持たずにキャッキャ言って何事も無かったように、その場を去るんだろうな……

拝殿

気持ちを切り替えて、いよいよ神門を潜った先にある拝殿ですが、何やらイベント事をしていて、古の装束を身に纏った方々が奏でる和な音楽が境内に流れていました。

拝殿のまわりには、けっこうな人が音楽に聴き入っていました♪

中門

そして中門(ちゅうもん)

中門の奥に4つの千木のある屋根が見えていますが、それが重要文化財である本殿ですが、決められた期間以外は入ることができず、参拝はここ中門で行います。

檜皮葺(ひわだぶき)唐破風屋根が静かな存在感を醸し出しています。

菊の御紋に。

桜の神紋

この画角ですと右手前から拝殿、その先に桜の神紋の提灯がぶら下がっている中門、そして本殿の屋根が見えますね。

摂社 縣社(あがたしゃ)

そしてこれが中門から摂社である縣社(あがたしゃ)で中には入れないので、ここから覗き見パシャリ✨

境内社

本殿に向かって右側、方角的には北側に境内社が点在していて、こちらは四社併祀社となっています。

左から春日社

住吉社

蛭子社(えびすしゃ)

そして右が鈿女社(うづめしゃ)となっています。

御神木 楠

そして拝殿前には。

御神木であるが。

前に投稿した晴明神社もそうですが楠が御神木の神社が多いですね。

これは、常緑樹で樹高も高く成長することから生命力の象徴とされるのに加え、枝ぶりも良く防風林にもなり境内および伽藍を守るとされ、樟脳(しょうのう)がとれる薬の木虫除けの木、そして魔除けの効果があるとされているからです。

すえひろがねの巨岩・餅鉄

そしてこれが磁石が吸い付くことから、邪気や厄を吸い取ってくれるとされる『すえひろがね』と呼ばれる日本最大級の餅鉄(べいてつ)です。


とまぁ長くなったので以下はダイジェストで。

境内社の出世導引稲荷社

鳥居を進んで。

扁額をパシャリ✨

眷属の狐もパシャリ✨

猿田彦神社

近くでパシャリ✨


ってな感じで、また桜苑に戻りまして。

葉の花とヨシノツツジ(かな?)の黄色とピンクをパシャリ✨

そして、『さぁそろそろ次に』というところで、それまで何とか持ち堪えていた空のご機嫌が斜めになり雨がポツポツち降り出してきたので。

こちらの。

御所にあったものを下賜された南門を潜って境内から出てきました。


疲労具合と開花を外したモチベの上がらなさで、この後に2か所ほど予定していたところは取り止めにして春のお写んぽ洛旅2日目はこれにて終了としました。


ということで夜はホテル近くのコンビニで適当なものを買ってきて食べたのでした😅

本当に小さな頃から雨が降ると普通の人以上に行動意欲が失せてしまいます(笑)

これはおそらく一生なおらないと思います。


まぁ3月の下旬なので菜種梅雨の真っ只中ということで雨は想定内なのですが、いかんせん性分とは困ったものです。



ではでは👋