またまた刻を巻き戻しまして2023年11月30日のことです。


サバ煮定食の人気店で腹ごしらえをした後は、その今井食堂の真向かいにある。

こちらに凸💨

ちょいと引いた画がこちらで、今井食堂は、この写真を撮っている真後ろから少し左手です。

上賀茂神社の由緒

神代(かみよ)の時代から信仰されてきたと伝わる上賀茂神社。正式名称は『賀茂別雷神社』(かもわけいかづちじんじゃ)といい、いまから2600年以上前、ご祭神である「賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)」が、本殿から北北西の方角2キロほどのところにある神山(こうやま)に降臨されたことを起源としています。

現在のような社殿が整えられたのは678年のことで京都最古級の歴史を誇るお社です。

平成6年(1994年)には「古都京都の文化財」のひとつとして、境内全域がユネスコの世界文化遺産に認定されました。


※ 『そうだ 京都、行こう』HPより抜粋編集

このように京都で1番古い神社で、数年前から予定に組み込んでは来れずじまいだった神社です。

社号碑と大鳥居

改めて大鳥居と、その前にある社号碑

ちなみにこの大鳥居は2020年の12月末に建立された、まだ新しいものです。

一の鳥居

大鳥居を潜ってすぐのところにある一の鳥居

この鳥居の先に真っ直ぐに伸びる、200メートルはあろうかという長い参道の先には二の鳥居が小さく見えています。

外幣殿(馬場殿)

こちらは二の鳥居の手前右側にある外幣殿

幣殿とは一般的には、参詣者の献上物を捧げる神殿なのですが、こちらは法皇・上皇・天皇が御幸された際の到着殿としての性格が強かったようです。

また、葵祭の前儀である『加茂競馬足沙式(かもくらべうまあしそろえしき)』の際に、使用される馬の歯や毛並み、馬齢や健康状態を確認する『毛付けの儀』に使われることから『馬場殿』とも呼ばれています。

葵祭とは

薫風が心地良い5月。下鴨神社上賀茂神社例祭である葵祭が行われます。葵祭祇園祭時代祭の三つを『京都三大祭』と言います。正式には『賀茂祭』と言われる葵祭は、平安時代の優雅な王朝装束に葵の葉を飾った行列で知られています。京都御所から下鴨神社を経て上賀茂神社へと向かいます。斎王代の腰輿(およよ)を含む行列は総勢500人を超え、長さは1キロにも及びます。また、行列当日までには下鴨神社・上賀茂神社両社にてさまざまな前儀が行われます。


『そうだ 京都、行こう』HPより抜粋編集

 だそうな。

神馬舎(しんめしゃ)

外幣殿の反対側。

一の鳥居に向かって左側にある神馬舎

ちなみに上賀茂神社の御祭神神山に降臨された際の『馬に鈴を掛けて走らせなさい』というお告げをもとに神迎の祭を執り行ったことから『乗馬発祥の地』とされていて、とにかく馬との縁があるようです。

こちらには『神山号』という神馬がいて日曜・祝日や例祭の日の昼間に、この神馬舎にいるのですが、この日は平日で残念ながらその白くて優雅な姿は拝めませんでした。

二の鳥居 

そして二の鳥居

とにかくスケール感に圧倒されまくりです。

楽屋(がくのや)

二の鳥居を潜ると楽屋が。

壁の無い吹き抜けの楽屋は雅楽の演奏に使われたり、↑の写真の立て看板にある通り神仏習合時代に神社で仏事に奉仕する供僧(ぐそう)が使用していたところです。

細殿(ほそどの)と立砂(たてずな)

そして二の鳥居を潜った、正面からやや左側には、古くから天皇や上皇などが参拝する際に、到着してまず最初に装束等を整える著到殿(ちゃくとうでん)として使用されていた御殿です。

細殿の前には円錐状に盛られた対の『立砂』が。

この立砂は、御祭神である賀茂別雷大神が降臨したとされる神山をかたどったもので、頂点にある松葉は神が降臨する最の目印とされています。

手水舎(ちょうずしゃ)

細殿の裏手に位置する手水舎

ちなみに手水舎には様々な読み方があり神社本庁では『てみずや』大國魂神社では『でみずしゃ』、その他に『ちょうずや』『ちょうずしゃ』と読むところもあるようで、僕は勝手に『ちょうずしゃ』と呼んでいましたが、けっこうマイナーな読み方だったのかな?

手水の中には『橘(たちばな)』が浮かんでいて、その下にはモミジが見えています。

ちなみにこの橘は静岡県の戸田(へだ)に自生するものを戸田森林組合が奉納したもののようです。

水口の上には鳥居や、その上には畳の間がミニチュアで作られていて、八咫烏の置物が並べられています。そのまわりにはモミジが飾られていて神職さんの遊び心が窺えます。

ちなみにこの八咫烏は授与所で購入できる『八咫烏みくじ』ですね。

楼門

そして楼門。

京都に来て様々な神社を巡りますが。

やはり楼門の造りや朱色と壁の白や緑に。

そして屋根の色とのコントラストの造形美が、そこはかとなく好きですね。

四脚中門(しきゃくちゅうもん)

楼門を潜った真正面に四脚中門があり、この先に国宝の本殿と権殿があるのですが。

本殿・権殿は一般参拝者は入ることができないので、パンピーはここから参拝します。

ちなみにこの正面から見ちて左側が『直会殿(なおらいでん)』です。

玉橋と片岡橋

中門から踵を返して楼門を出ると見えるのが玉橋で、渡れないようになっています。

この唐破風の屋根がある方が片岡橋です。

片岡橋は渡れるので、片岡橋の上から玉橋をパシャリ✨


そして、ここで触れておきますが、上賀茂神社に詳しい方ならお分かりだと思いますが、やはり境内は広大で、この時点でも結構な場所を端折っています。

全てを網羅すると、おそらく記事が5つくらいの量になるので😅 この記事も長めですが1本の記事に凝縮していますのでご了承の程を🙇‍♂️

片岡社

片岡橋を渡ったところにある片岡社。

由緒などは、この立て看板にて。

摂社と末社

上賀茂神社には、神社にある小社である摂社と末社が境内・境外を合わせて24社あります。

その神社の主祭神に関係が深いものが摂社で、あまり関係の無いものが末社です。

なんせ24社にも及ぶので全てを細かくは取り上げられないのでダイジェストで。(全ての写真も撮れていないですし)

須波神社。

川尾神社。

社名の札の上に番号が記載されていますね。

時間を余裕をもって来ている方は、これら全てを巡るのでしょうね。

賀茂山口神社。

奈良神社。

岩本神社。

岩上

そしてこれが神山と並んで賀茂信仰の原点とされる岩上。

聖域なのでロープで区切られています。

信仰をする方々曰く、上賀茂神社の中で1番のパワースポットとされています。

こちらもパワーがあるとされる『願い石(陰陽石』

説明看板。

舞殿(橋殿)

重要文化財の舞殿。

橋と付いている通り川に掛かっています。

その川の少しだけ上流部で本殿(北側)に向かって東側から流れる御物忌川(おものいがわ)が。

先ほどの玉橋と片岡橋を流れて。

本殿向かって西側の手水舎の裏手を通って流れる御手洗川と合流して。

ならの小川

ならの小川と名前を変えます。

ならの小川も上賀茂神社の人気スポットで、『奈良』では無く『楢の木』から由来されているようで。

百人一首にも登場します。

ということで超足早に上賀茂神社を取り上げましたが。

全体の3分の1も網羅できていないので、また機会があれば来ちゃうと思います。


やっぱり3分割くらいにすればよかったかな……


ではでは👋