11月27日のことです。


またまた秋のお写んぽ洛旅に話しを戻します。


詩仙堂を後にして向かったのは。

こちら曼殊院門跡に凸💨


曼殊院の由緒

曼殊院(まんしゅいん)は『小さな桂離宮』とも言われ桂離宮を創始された八条宮智仁親王(はちじょうのみや・としひとしんのう)の皇子である良尚入道法親王(りょうしょうにゅうどうほうしんのう)が1656年、現在地に移された。そのためそこかしこに桂離宮と通うものがある。大書院・小書院・八窓軒茶室・庫裏は重要文化財。枯山水の庭園(名勝)。国宝の不動明王(黄不動)は三不動の一つ。内部の襖絵は主に狩野探幽筆だが、他に狩野永徳筆竹虎図(重文)など。


※ 京都観光Naviより抜粋編集

 

そして。


門跡寺院とは

皇族や公家(摂政家)などが出家して寺主(門主)を就める特別なお寺を『門跡(もんぜき)』と言い、天台宗では曼殊院を含む5つの寺院(妙法院・大原三千院・青蓮院・毘沙門堂)を総して天台宗京都五箇室門跡と呼ばれています。


※毘沙門堂ホームページより抜粋編集

 

だそうな。

詩仙堂から今回はパスした圓光寺の前を通り、北にテクテク歩いて行くと、道端のそこここに見事な紅葉が秋の寒空に彩りを加えています。

すると。

石垣の上にある法面の苔散りモミジかあり、その上に築地塀(ついじべい)が。

苔の緑に散りモミジも綺麗ですね。

ただし、毎年通っている人曰く『今年は散りモミジが枯れていてダメだね。いつもの年はもっと赤くて綺麗なんだよ。今年の夏の暑さは異常だったから』だそうな。

ちなみに築地塀(ついじべい)とは↑の写真のように屋根(ほとんどが瓦屋根)がある土塀のことです。

そして、その壁に地面と水平に白い線が見てとれますが、この線にも意味があり定規筋というもので、この本数で、その寺院などの格を表します。

↑の写真の5本線が1番格が高くて、他に4本線3本線があります。

ですが4本線や3本線などは現在はあまり…… というか、ほぼ見ることができないようです。

定規筋を塗り潰していたり、明治維新の際に明治政府が日本史における一大汚点とも言われる廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により仏教文化の徹底破壊を行うのですが、その際におびただしい数の寺院(仏像なども)が破壊されて廃寺に追い込まれた影響も4本線や3本線の筋塀が見られない理由のひとつだと言われています。

ただし少ないながら無い訳ではなく、例えば祇園のランドマーク的な存在の八坂神社の南楼門で見ることができたりします。

あと筋塀はお寺や神社だけでなく京都御苑二条城などでも5本線を見ることができます。

余談ですが東京の自宅から徒歩圏内にある寺院の築地塀は3本線でした。

勅使門(ちょくしもん)

こちらの勅使門は他の寺社と同様に竹の結界が置かれて通ることはできません。

勅使門は天皇陛下の行幸の際、または陛下の勅使だけしか通ることのできない特別な門です。

北通用門

そして北通用門の方から入るのですが、なぜか僕の指が入り込んで全てボツになったので写真は無しです😅 

庫裡

この庫裡(くり)から中は全て撮影禁止になっていたので、写真は無しで襖や掛け軸などを見学します。

中でも『虎の間』にある襖絵や、災いが起きるので撮影は絶対にNGだという幽霊画の掛け軸などが印象的でした。(ネットでは見ることができますが、あくまでも自己責任で)

ただし、建物から外の庭園を撮影するのはOKなので。

枯山水庭園

遠州好みの枯山水庭園。紅葉も綺麗です。

流れる水を砂で表現しています。

ですが少し予定の組み方の不備で次のところに行く時間が迫っていたので。

こちら曼殊院での滞在時間が短かく撮るべきところはたくさんあったのですが。

後から失敗したなと後悔してしまいました。

本当は、こちらが『小さな桂離宮』と言われる通り、桂離宮を思わせる意匠があちこちにあるのですが、すっ飛ばしてしまいました。

なので曼殊院は、もう一度リベンジに来なければと思いつつ後にすることにしました。

曼殊院を後にして最寄駅に向かう道すがらにも見事な紅葉がありました。

肉眼で見ても蛍光スプレーでも吹いてあるような色合いです。

もちろんウチの近所でも見かけますが、それでも京都の一般家庭の庭に南天が多く植えられているのが目立ちます。

南天は昔から『難じて福をなすと言われて縁起がいい木とされています。


ということで、足早ですが次に向かいます。



ではでは👋