ひとつ前の傷だらけの天使に関する投稿は、家事ヤロウでそのテーマ音楽が引用されていることへの違和感が動機のほかにもう一つキッカケがあります。それは傷天投稿の少し前のこと、パソコンに録りためた音源をランダム再生している時にたまたまかかった「真夜中のカウボーイでした。懐かしさより虚を突かれた感じです。日曜映画劇場だったかなんだったか、大昔に一度観ただけなのに強烈な印象記憶となっているのは物語の終わり方が傷だらけの天使の最終回を連想させたのが一つの要因だからです。歴史的事実から順番としては「真夜中のカウボーイ」の方が初めだとしても、私が観たのは傷だらけの天使が先だったのでそうなる訳ですね。

 

 

「真夜中のカウボーイ」と音楽の関わりとして、今でもCMなどで耳にすることの多い「うわさの男(Everbody's Talkin'」があって、後にそれがニルソンの歌だと知って意外だった覚えがあります。ビルボードチャートNo.1曲を探してはエアチェックしまくっていた頃にニルソンのWithout You(全米1位獲得曲)は既知であって、同じ人の歌声には聞こえなかったからなんですね。しかしながら、実際に映画を観た時から現在に到るまで映像と結びつく音楽はEverbody's Talkin'ではなく、圧倒的にハーモニカの方なのでした。旋律は言うまでもなくその音色が大都会の孤独と故郷への想いを同時に歌いあげているようで、昼と夜、農牧場と市街地といった相反するような、同じ服装であっても異なる実態を暗喩しているのであろう「真夜中のカウボーイ」を体現した音に聞こえるからなのでした。誰のハーモニカ演奏なのか本投稿まで長らく知らないままだったので、もしやトゥーツ・シールマンスではないかと調べたら、映画本編は彼でサントラ版はトミー・ライリーという演奏家らしいとのことでした。改めて聴いたパソコン音源は後者でしたが、限られた音数のみで表現し尽くし得た名唱と秀逸な伴奏には聞き惚れてしまいます。

 

 

さて、映画の方ですが、細かい記憶は定かではなく間違っているかもしれないけれど、病に侵されたラッツオ(ダスティ・ホフマン)を救うべく寒い大都会から温暖なリゾート地へと向かうバスの中には彼に寄り添うジョー(ジョン・ボイドが最終場面、小便を垂れ流したあげく、気づかぬうちに息を引き取ってしまったラッツオに対する周囲の好奇な視線と、かけがいのない親友を守るように抱くジョーの怯えた表情が鮮やかな対照を成していたように憶えています。毎日世界中のどこかで知らない誰かが最期を迎えている現実を知ってはいても、それは結局ただそれだけの事。程度の差こそあれ死に対するヒトの感情というものはこの映画「真夜中のカウボーイ」の一シーンに象徴されるものであって、それがあの時に悲しくもなく寂しくもない、遣る瀬無さだけを覚えさせたのではないかと今では思うのであります。