続けなきゃならないというような、妙なプレッシャーから解放されたせいか、あまりに同僚が辞めてゆくので忙しくなったせいかブログに触れないまま半年が過ぎ年も明けてしまいました。放置したままの弊ブログでありましたが、特に最終投稿へは沢山の閲覧を頂いていたようで大変有り難く感じております。ありがとうございます。

ところで、2020年前後は私も含めて家族全員が体調不良に陥り散々な連休に終わりました。そして休み明けの月曜日はその決定打ともいうべき残念な出来事で幕を開けることになってしまったのです。2005年の3月に幼犬としてやって来た家族を亡くしたからです。犬の寿命は短いとは言っても15年も一緒に過ごすとなれば全然短くなく、彼女の一生を網羅したその時間は生物としてみた時にとても濃縮されているので、同じ15年の経過でもかえって長く感じられるものでした。亡くなった日の夜、柔らかな絨毛に覆われた丸い頭や耳に触れると、そこに彼女が確かにいると教えてくれた心地よい温もりが失われていていました。それは不可逆的に一時も休むことなく続いていた生命という名のプログラムが終了したことを伝える悲しい無反応でありました。

犬を買い始めるにあたっては、昔みたエンブリヨという映画のことが頭に焼き付いていたのを思い出しています。確か、交通事故で死なせてしまった妊婦から胎児だけは救い出し、成長ホルモンによってごく短い時間に人類の英知を教育しつつ聡明かつ妙齢の女性として育てる話でした。しかし、これには本当の主題があって、ホルモンの効果を止めたはずが再び暴走し始めて同じ速さで老化が始まるというものでした。そこまで極端でなくても幼犬が老犬となる様を飼い主であるニンゲンが違う時間尺で見届けなければならない点では同じだからです。

思い返せば彼女と過ごした15年間において2019年ははっきりと衰えが見て取れた一年ではありました。容貌がいかにも老犬になってしまったこともあり、特に後半からは写真を撮らなくなっていたことにも改めて気づきます。
@足腰が弱ってきて、以前のように長距離の散歩が難しくなってきた。
@あれほど怖がっていた雷鳴に驚かなくなった。
@歩き慣れていたはずの散歩コースで物にぶつかったり躓いたり。
そんな調子が2019年前半頃の傾向でした。視力・聴力が効かなくなりつつあったようです。
辛かった夏をようやく越すと
@ドッグフードは一日一食が普通になり、残すこともしばしば。
@目ヤニを取ってやろうと顔を触ると噛んで抵抗することが増えた。
寝ていること、ぼんやりしている時間が増えた
@食事の減少とともに排便機会も減り、散歩の始めには後ろ足の蹴りにウサギ跳びのような繰り出し方が目立つようにもなった。
特に食事は大好きなおやつをトッピングとして混ぜた、週に何度かあげるご褒美ご飯しか完食しなくなり、それもある日を境に食べなくなってしまったのです。そのある日が12月初めの盛岡旅行で留守にした辺りでした。慣れているはずの息子に預けたものの、何か調子が狂ったのかあるいはその時は寒い日が続いたせいか、帰ってきたらすっかり様子が変わってしまいました。最後の一ヶ月はほとんど食事も摂らなくなり、水ばかり飲んでいたのが年が明ける頃にはその水さえも飲めなくなってゆきます。

年が明けてからはフラフラ徘徊して頭を隅っこに突っ込んではワンワンと鳴き続けます。撫でれば落ち着くものの、真夜中から朝までそんな調子で鳴き続ける日が今年の三が日を支配したのでした。大好きだから誘えば嬉々としていたのを無意識のうちに覚えていたのでしょうか、覚束ない足取りによるほんの僅かな散歩を一月三日の夜にさせてあげました。しかし、飲まず食わずでいつまでも体力が続くわけもなく、それが彼女と一緒の最後の散歩になったのです。

後はもう鳴くこともなくなって、丸くなったまま静かに箱の中で眠り続けていましたが、私が仕事に出ている間の一月六日の午後、「逝ったよ。」とのメールを妻から受け取ったのでした。獣医にも診せず何もしてやれませんでしたが、延命措置などしなくてよかったとも思えるのです。歯も丈夫で目立った病気もせずにここまで健康でしたし、枯れてゆく彼女を見守ることが命の尊厳を守ることであったと、そういい聞かせている今です。