(京都嵐山厭離庵。小ぶりな庵。通常は季節毎の限定公開。)
今回は前回に続いての話です。
人生の可動時間をどう捉えるか、当方の見方をお話しします。
なお、この系の話は業者のポジショントークとして使われがちです。
当方の話も「ある人は」で引用されるかも知れません。
ただ、ダマされて変な物件を買うことはせぬようご注意を。
物件なんて待って探せばいずれ出会えますから。
そして、業者がただ売りたいだけの話とアナタの一生の話。
これが噛み合うはずがないのですから。
ちょっとその辺りを念頭に置いておいてください。
では、今回分、以下どうぞ。
1.人生100年と仮定すれば、定年は約半分経過したに過ぎない
前回のハナシ。これを別の角度から俯瞰してみましょう。
実は、人生はあっという間に過ぎるにも拘わらず、
定年の時期は可動時間の半分が終わったところに過ぎません。
つまり、もしアナタが100年生きるとしたときに、
23歳辺りからのスタートを考えると、60歳辺りはまだ中間点なんです。
つまり、定年後、亡くなるまでは約40年前後。
まだ可動時間と同じくらいの時間を生きる必要があるのです。
1.その時期に起こること
ただ、決定的な違いがあります。
以下の2つがその最大のものです。
それは…
(1) 可動時間と同様の給料が受け取れなくなること。
(2) 最後の10年程度は他人の手を借りないと生きられないこと。
従って、年金以外にしっかりとした経済基盤を構築すること、
つまり「カネで解決できることの選択肢を増やしておく」、
これが何よりの大切さを帯びるのです。
万が一の場合には生活保護という手段も残っていますが、
最低限の矜持(きょうじ=プライド)は持っていたいものです。
やむを得ないことになったら仕方ありませんが。
また、次の世代に遺す財産も構築しておく必要があります。
自分のような苦労を味あわせてはならないと思うなら余計にそう考えるハナシです。
続きはまた次回。
今回もお付き合い、ありがとうございました。