掛川市から

一路、榛原郡吉田町まで。

 

今回はこちら、

小山城。

 

あれに見えるが

小山城天守(?)

 

こちらは中腹にある能満寺。

遠州臨済三名寺のひとつ(他ふたつは龍潭寺・貞永寺)

 

山門

 

 

鐘楼

 

本堂

 

塀の前からですが、奥に見えるのが能満寺のソテツ。

樹齢1000年のソテツの木だそうです。

安倍晴明が植えた説があり、

更には家康が寺を訪れ、これを気に入り駿府城に運んだが、

「寺に帰りたい」というソテツの泣き声が聞こえたことから寺へ返した説まで。

 

大日如来堂

 

虚空蔵尊堂前の男坂

登ろうと思ったが…

 

もしや閉鎖してない…?

しゃーないので緩い女坂から上る。

 

女坂から見えた土塁

 

 

虚空蔵尊堂

 

 

男坂を上から

 

 

ここにもマムシ出やがるのか…

2021年時の長篠を思い出すわー…

 

 

ここから小山城本曲輪

 

土塁と堀切によるザ・中世城郭な中世城郭です。

堀切を隔てて左が二の曲輪、右が本曲輪。

 

この橋が虎口だそうでして

おそらく当時は木橋ではなく土橋。

堀はもっと深く、冊が隔ててある箇所には土塁が高く盛られていたはず。

 

馬出し曲輪

 

 

馬出しの三日月堀

かなり浅いですw

本来はこれよりもずっと深かったのでしょう。

 

反対側から

堀の大半が埋まってしまったんでしょうね。
 
本曲輪と二の曲輪の堀切

写真左の箇所から行き来できますが、当時はこの箇所も堀切になってたはず。

現在は埋め立てられていますが、背後は川です。

背面どころか三方が川に囲まれた舌状台地だった。

河岸段丘の上に築城、馬出し、三日月堀と、まさに甲州築城術。

縄張りを行ったのは武田の名将・馬場信春。

 

なんだろう…この違和感…

 

中世城郭に似つかわしくない建物が…

 

小山城模擬天守展望台

この時代には無い天守を作ってしまったわけなんですが、

これは天守閣ではなく、あくまで展望台だそうですw

 

しかも本曲輪ではなく二の曲輪に建ってるんですこれw

 

更に言うとこれ、布積みの切込石垣の上に望楼型天守というかなり怪しい構造になってますw

では、怪しい天守展望台へ入場。

 

武具

 

素槍、薙刀、火縄銃

 

剣、薙刀、脇差

剣は吉助(島田派)の作刀だそうです。

さすが地元だけあって島田派の展示が多いです。

 

鉄砲小物

 

素槍の穂先

こちらも島田派の国助の作。

 

中央:金小札武田信玄鎧写

右:紺糸威赤二枚胴具足

左は不明

中央は武田信玄の複製。

右は勝頼っぽくない?

 

刀、陣羽織、裃、陣笠

 

こちらの大小も島田

 

こちらも島田

 

陣羽織と鷹羽紋の裃

 

陣笠と陣羽織

 

当時の模型

これでもかってくらいの舌状台地ですw

 

これを見ると小城だったことがよくわかりますね。

万博の禍々しい邪神様が写っているが気にしてはいけないw

 

こちらも島田広助の作

赤羽刀だそうだけど無事に持ち主の元へ戻ってきたということでOK?

 

こちらは島田義助の作

義助は島田派の祖で同名工が数代続いている。

 

やけにリアルな武田親子

左が勝頼、右が信玄

この画風…何処かの城で見たと思うんだけど思い出せん…

 

掛け軸、兜、箱

 

信玄の図でしょうかね?

 

こちらは武田二十四将図ですね。

 

こちらも不明だが勝頼図?

かなり年季入ってます。

 

鉄四板張兜

 

三つ葉葵紋入りの箱

 

頭形兜

 

こちらも島田派。

大身槍と書いてるんだけど見るからに薙刀の鞘が付いてまっせ。

 

これもたぶん島田

 

こちらは島田助宗

初代義助の弟が助宗を名乗り、助宗の名もまた数代続いている。

 

 

左:月本月下梅の図

右:徳川十六神将の図

 

左:家康公の像

右:月本月下梅月の図

 

火縄銃

一番上が村田銃だそうですが、時代的に村田銃って火縄銃も作ってたんだろか?

既にボルトアクション式の時代なんだが…

 

二十四間兜と鉄二枚張兜

 

武田菱前立ての具足

 

折畳兜と頭形兜

 

上:大阪の陣での真田幸昌(大助)、武田晴信と山県昌景、武田二十四将図

下:三つ葉葵紋入の膳、高茶台、茶碗等。

何故に縁も所縁もない大助がいるのかw

 

紺糸威総懸二枚胴具足

 

凧でしょうかね

 

 

左:武田菱紋入りの馬具

右:三つ葉葵紋入りの鞍

 

左:三つ葉葵紋入りの三宝

右:武田菱紋入りの手鏡

 

左から増田家川尻入村を記す古文書、万年氏系譜、石橋家川尻村住居證跡書

 

空穂、弓、袖がらみ

空穂には本多立ち葵紋

 

城跡から出土した蹄鉄と焼き米

 

野中家所蔵の古文書

慶長九年(1604年)から明治九年(1876年)までの検地帳が11点見つかったそうです。

 

灯篭、三つ葉葵紋入りの花台と櫃

左の灯篭は見るからに現代の樹脂製品

 

高札

 

こちらもおそらく野中家所蔵の古文書

 

屏風と素槍

 

穂先はかなり短い。

有事に備えた室内用の短槍では。

 

大身槍、素槍、脇差、小刀、文官儀礼刀

 

素槍、脇差、小刀

小刀は島田義助。

素槍は兼次の銘がある。美濃でしょうかね。

 

文官儀礼刀

 

大身槍

これはかなり長い。50cmは超えてるでしょう。

 

四つ目菱紋入り食籠、金蒔絵の四角貝桶、金蒔絵の行器×2

 

和泉太夫使用の人形と文書

 

能満寺の古文書

左:朝覚院茶阿の方自筆消息

右:徳川家康禁制写

因みに、茶阿の方(家康側室)と阿茶局(家康側室)は別人であるw

 

左から小浜景隆判物、武田勝頼判物、武田信豊判物

 

廻縁から

東側

 

南東側

能満寺方面

 

南側

さっき下から見上げた辺り

 

南西側

三の曲輪方面

わかり難いが真下に見えるのが曲輪を隔てる堀切

 

西側

木で完全に隠れて三重堀が見えず…

 

北西側

 

北側

さっきの馬出し曲輪と三日月堀

 

北東側

本曲輪方面

 

更にはよく見るとマウント・フジも。

掛川城の窓からといい、もう少し天気が良ければもっと綺麗に見えたんだろうけど…

 

以上、

 

二の曲輪と三の曲輪を隔てる堀切

浅い…

もっと深く、曲輪には土塁も盛られていたはず。

 

土塁

これも数倍の高さだったはず。

 

脇道があったので進んでみる

これは振り返って三の曲輪側を見たところ

 

進行方向へ。

 

これが三重堀ですね。

 

例に漏れず浅いんですが、肉眼で見るとなかなかの迫力です。

写真じゃ微塵も伝わらないんですがね。

 

この角度が一番わかり易いか

手前左側の木の辺りが一

真ん中の細い通路のすぐ先が二

その奥の草むらの暗くなってる辺りが三

 

あれ…?

こっち側だとロープ張ってて、いかにも進入禁止な感じになってるんだけど…

土塁側からだと普通に進入できたんだけどマズいことした?w

 

三の曲輪からの天守展望台

 

本曲輪への虎口は馬出し曲輪が唯一で、往時はこの橋も存在せず。

 

最後に本曲輪。

何故にこちらに天守展望台を置かず、二の曲輪に置いたのかも謎ですよね。

 

以上、小山城でした。

 

本日の昼食。

表面はカリッと中はふっくら、これが本当の中京風なんでしょうよ。

何処ぞで食った中身までコゲコゲパサパサのマムシ焼きとは違うんですよw

昨年(2023年)に鰻リベンジは果たしたのですが岐阜県でしたからね。

今度こそ本当の意味で長篠で食った鰻伝説は上書きされたぞw

 

…え?ここは静岡?

 

確かに…愛知県で果たさねば真のリベンジにはならぬか…