今回は榛原郡吉田町から島田市へ。

その名の通り島田派の拠点。

 

まずはこちら、諏訪原城ビジターセンター。

奥のパネルは足軽に扮した義元公でござるw

 

二の曲輪中馬出・北馬出のジオラマ

 

攻め手の武田軍。

 

護り手の徳川軍。

展示はジオラマとパネルのみなんですがねw

 

では、諏訪原城へ。

大手南外堀跡

 

現在は細い通路を残すのみですが、この辺り一帯が大手曲輪だったそうです。

 

現在は曲輪の大半が茶畑になっています(左側)

これらの茶畑は元将軍・慶喜が駿府へ転居した際、

慶喜を慕って随従した旧幕臣たちがこの付近へ移住し、

自活のために荒廃していた城周辺を開墾し、茶畑としたのが始まりだそうですよ。

 

外堀跡

 

 

 

 

大手北外堀

 

 

史跡諏訪原城跡

諏訪原城は天正元年(1573年)、武田方の遠江攻略の為に築城。

前回の小山城同様に縄張りを行ったのは馬場信春と伝わりますが確定ではないそうです。

これまた三方が断崖の舌状台地に、馬出し、三日月堀と小山城とよく似ている。

天正3年(1575年)8月(長篠の戦い後)に落城し、以降は徳川方の城となります。

 

二の曲輪(正確には曲輪前の広場)

 

番小屋跡

 

 

こちらが諏訪原城名物と言って差し支えないだろう

二の曲輪中馬出の三日月堀

 

とにかく圧巻なほどデカイ

 

 

ここが中馬出と北馬出の境目。

木橋が架かっている箇所の台地が僅かに凹んでいるのがおわかりいただけるだろうか。

中馬出と北馬出を隔てる堀切跡です。

往時は簡素な木板の橋が架かっていたそうで

防御の際にはこれを落として北馬出からの侵入を阻止したとか。

 

復元された薬医門。

塀にはカバーかかっており狭間模様が入ってますw

以前は門しか復元されていなかったそうですが、現在は塀の外枠も復元されている。

いずれは堀の周囲が完全復元されるかもしれない。

 

こちらが北馬出の三日月堀

 

あ、北馬出の曲輪内の写真撮ってなかったw

 

北馬出下の外堀、その奥に(本来の)二の曲輪

 

馬出曲輪側からの三日月堀

 

中馬出の曲輪

特に立ち入り禁止にはなっていないのですが何となく気が引けるのでこれ以上進まず…

 

中馬出、北馬出ともに築城時の建造と考えられていたそうですが、

徳川方の奪取後に城は大規模改修を受けており、その際に建造された事が発掘調査で判明したそうですよ。

 

南側の外堀跡

この堀も本来は三日月堀並みに巨大なものだったのでしょう。

 

二の曲輪虎口

現在は完全に土が固まって自然な通路になってますが、

往時はここも堀の中で二の曲輪と馬出曲輪を繋ぐ通路も木橋だったそうです。
 

二の曲輪(北側)

奥にある林の所為で一見すると土塁があるだけの曲輪に見えますが

実はこれ左奥の林の裏側へ屈折しており、南北315m・東西75mという城郭内最大の曲輪。


内堀跡

北側

 

南側

 

本曲輪虎口

 

本曲輪(西側)

わかり難いけど土塁です。

 

城郭の大半が徳川時代の改修を受けた姿だそうですが

この本曲輪は数少ない武田時代の遺構が見つかったとか。

発掘調査にて徳川時代の層の下から焼け土が見つかり、

更に焼土の下から武田時代の層が見つかったそうです。

 

東側と西側でそれぞれが独立した曲輪の様にも見えまして

一部のパンフや看板ではこの先の東側のみが本曲輪と紹介されているものもあったり。

 

本曲輪(東側)

 

土塁

 

こちらの土塁の手前には謎の玉石が…

一見すると石垣の残骸の様にも見えるが石垣の城ではないんですよねここ…

 

下にも曲輪の様なものが見えるが…

 

内堀沿いを歩き

 

ここはマウント・フジが見える絶景スポットらしい。

…晴れていればな。

残念ながら全く見えませんでした。

 

かなり迂回してきた気がするけど、どうやらここも本曲輪らしい。

 

 

こちらが搦手方面になるんでしょうかね?

この辺りは入り組んでいて地形がよくわからず…

 

ここから水の手曲輪方面へ繋がってるっぽい

 

カンカン井戸

同じ名で呼ばれる井戸が結構多いよねw

由来は何処の井戸も石を投げ込むとカンカン音がしたから。

あ、案外浅いかもw

 

水の手曲輪を示す板が明後日の方向に…

 

あの堀切の先なんでしょうかね?

よくわからず…

 

道なりに歩くと二の曲輪(南側)へ出ました。

これを北に進んで行くとさっきの中馬出方面へ出る(たぶん)

 

 

 

二の曲輪虎口

 

全く気付いてなかったのですが

どうやらここは二の丸大手馬出の曲輪内だったらしい。

 

ここにも見事な堀切がと思ってたら

要するにこれが二の丸大手馬出ほ三日月堀なわけですよ。

これさぁ…

曲輪が木に半分埋まってるから気付かなかったわけですよ…

現在進行形で中馬出側の整備が続いているそうなので、

将来的にはこちら側の整備にも期待したい。

 

外堀前へ出て城内一周。

天正18年(1590年)に廃城になっているので

当然、建造物の類は残っていないのですが、曲輪や堀切はかなり健全な状態で残っていることがわかりました。

 

以上、諏訪原城でした。

 

近場にあったのでついで寄ってみた東海道菊川坂。

諏訪原城跡から菊川宿へ至る途中の石畳で、約150年前に敷き詰められたもの。

現在の石畳とは違い石の一つ一つがデカイ。

そして表面がかなり凸凹してる…

…つまりはかなり歩き難い。

 

まだ続く…

 

まだまだ続く…

 

まだまだまだ続く…

 

何処までも続きそうなので引き返しました。

調べたら全長161mだそうです。

思ったほど長くはない様だが坂の下の住宅地に出るだけだそうなので戻って正解でした。

 

続いて浜松市へ。

 

三方原古戦場跡地。

2021年時には車内の窓から見えてたが、時間が無いのでスルー。

 

家康にとって生涯最大の敗戦、三方ヶ原の戦いの地。

…なんですが

こんな感じで遺構も何も残っておらず、ここが古戦場の一部でしたよを記す石碑が建つのみですw

 

以上、三方原古戦場跡でした。

 

そして、今夜も夜の街を徘徊する不審者。

この通りは大手通り跡。

 

2021年時に来たけどイマイチだったので今回は立ち寄る予定は無かったが…

 

ホテルから徒歩圏内だったので結局来てしまった浜松城。

で、早速道を間違うw

ここを左に進めばすぐに城内への入口だったのに

何故か右に進んでしまう…

この看板の現在地の少し下にあるグレーの道から入ってきたわけでして…

そこからもう少し下にある白い道が城内への入口。

 

進む方向間違えたんじゃね?と思いつつもそのまま突撃。

 

庭園前

帰りに寄ってみようかと思ったが、その頃にはすっかり頭から抜けていたのだったw

 

かなり遠回りして搦手側から。

 

天守曲輪

やはりあの余った石垣に目が行くわw

 

天守曲輪からさっき歩いて来た道。

 

 

 

大手通りから歩いて来た方面。

 

天守曲輪真正面から

目立つわw

 

門櫓と一緒に

ホント目立つわw

 

門櫓の前から

何処から見ても目立つw

 

恥ずかしいところをズームしてやる!!

これ、伊賀上野城みたく塀を建てて誤魔化すとか上手いことできなかったもんなのかねぇ…

 

天守台の横にも余った石垣

これは附櫓の跡で間違いと思う。

築城者は同じ堀尾吉晴なので松江城と同じ様に複合式で附櫓が入口だったのでしょう。

そもそも松江城天守は往時の浜松城天守をモデルにしたそうだし。

天守も現在は予算が足りなかったのか三重三階だが、

本来は一周り大きい四重五階だったと伝わっている(その所為で天守台が余っている)

 

天守入口前から

 

真下から

 

天守門内側

 

天守門から天守

 

天守門外側

 

 

2021年時にスルーしてた富士櫓跡側へ。

 

あ、冊が…

 

 

櫓台跡には立てんのか…

 

振り返って天守と天守門

話には聞いていたが確かにこれはビューポイント。

この角度なら恥ずかしい石垣も見えんしw

手前の木が無ければもっと良し。

 

天守門下

 

本丸の竹中直人家康像

そして、城の坂道を下りて気付く…

ここ、さっき通った場所じゃん!!無駄に逆方向に進んでたわ!!とw

 

最後に城の真下にある広場から

以上、浜松城でした。

 

これにて二日目終了。