岡崎市を経ち西尾市へ。
今回は西尾城。
既に完全に日が昇る時間帯なんですが、ご覧の通りの天気。
今旅行は珍しいくらい微妙な天気が多かったですね…
こちらは復元された二之丸丑寅櫓。
こちらはつい数年前の2020年に再建。
木造再建なのですが…
内部も忠実に再現されているため、急階段が建築基準法に消防法的にアウトなんでしょう…
二階へは登れませんでした。
こちらも2020年復元の土塁と土塀。
二之丸丑寅櫓からの本丸方面。
向こうに見えるのは一見すると三重天守に見えるが本丸丑寅櫓。
あっちも丑寅櫓でこっちも丑寅櫓で紛らわしいw
二之丸丑寅櫓からの二の丸
土塀と天守台
二の丸に天守というのは全国的にもかなり珍しい。
二之丸天守台
この天守台も2020年に復元されたもので、丑寅櫓から土塀で繋がってるんですよ…
これはつまりそういうことだな。
調べたらやはり。
木造による天守再建が計画されてるそうです。
附櫓跡(東側)
南側と東側に附櫓(たぶん土塀と連結)を配したL字型の複合式天守だった様です。
附櫓台(南側)
天守台
天正13年(1585年)酒井重忠の大規模拡張工事よって本丸の北東隅に天守が建てられ、
正保二年(1646年)頃に太田資宗かそれを引き継いだ井伊直好によって現在のこちらへ移築・改修。
天守台からの二の丸
天守台からの本丸方面
そしてまさかこんな凄いものがあったとは…
旧近衛邸
こちら、藤原北家嫡流であり、五摂家筆頭の近衛家の邸宅。
京にあった邸宅の一部がこちらへ移築されたんだとか。
島津斉彬の養女・光子が近衛忠房に嫁いだことが縁で島津家によって建てられたものだそうです。
こちらは隣接する庭園。
内部へ。
書院
書院の縁側からの庭園
本丸丑寅櫓も見える
茶室
折角なので密約ごっこw
茶室からの庭園
庭園からの外観
庭園
以上、旧近衛邸でした。
からくり時計
内堀跡
おそらく大半が埋め立てられてます。
虎口跡だが、石垣は現代の復元でしょうね。
本丸跡
西尾神社
こちらの神社は戦没者の慰霊のために建立されたそう。
御劔八幡宮
祭神は八幡神(応神天皇)
神明社(伊勢神宮内宮)
祭神は天照大御神。
内堀跡とその向こうが姫の丸跡
建物は西尾市資料館。
唐突に出てきた丑寅櫓の看板。
何処だ?と思ったらこの先か。
木が生い茂ってて下から全く見えなかった…
木がーーー…
本丸丑寅櫓
真下まで来てようやく見えるw
こちらは1996年の再建だそうです。
内部
遠目に見ると天守の様に見えたが、内部は思った以上に小さい。
やはり櫓ですね。
木造再建ですが、二の丸の櫓とは違い現代の緩やかな階段。
しっかり登れますw
二階
踊り場のみw
三階
窓から
二の丸
姫の丸
本丸はほとんど見えん…
来た道もほとんど見えん…
三河国守護の足利義氏が築城した西条城が前身とされるが、築城年は不明。
永禄四年(1561年)今川氏から独立した家康から酒井正親が城主に任命され、
おそらくこの時期に西尾城へ改められたと思われる。
天正十三年(1585年)正親の後を継いだ重忠により石垣、天守、櫓、櫓門等が増設され、近世城郭へ大幅拡張。
天正十八年(1590年)徳川の関東移封によって岡崎城主となった田中吉政の支城となり、
大手黒門、楼門、三の丸の拡張等、更なる改修を受ける。
寛永十五年(1638年)太田資宗が入封。城と城下町の整備・改築に尽力するが、
完成直前の寛永二十年(1644年)に遠州浜松藩へ転封を命じられる(城の拡張を良しとしない幕府の嫌がらせでは?)
正保二年(1646年)井伊直好が入封。城と城下町の整備を引き継ぎ完成させる。
しかし、直好もまた万治二年(1659年)遠州掛川藩へ転封を命じられている。
姫の丸跡から
やはり、この周囲の木は何とかしてほしいところ。
続く。
































































