今回より三日目にして鳥取県二日目。

こちらがリアルタイム旅行記

 

まずは円護寺吉川公園

太閤ヶ平跡へ向かう途中で見つけたので立ち寄りました。

 

吉川経家公墓所

前回同様に経緯は割愛しますが、色々と頑張り過ぎた為にある意味で最大の加害者になった人。 

 

 

こちらが墓所

 

 

左が鳥取城の戦いで命を落とした人らの供養塔。

右が吉川経家の墓所。

像も立ち、墓所も整備されていることから市民からは大切にされてるんでしょうけど、

やはり間違った方向に頑張り過ぎたんだよなぁこの御仁は…

 

大きな木が生えているので供養のために植えたものかと思いきや特に情報はなし。

そして目的の太閤ヶ平跡ですが…かなり歩く情報を聞いたのでやめましたw

ただ、麓にある鳥取東照宮には創建時の本殿、拝殿、幣殿、唐門が残っているそうで麓までは行っておけばよかったかなと。まあ、帰ってきてから知ったんですがね。

 

一路、河原町へ。

あれに見えるが河原城天守。

今治城を彷彿させる立派な天守である。

 

河原城

なんと言っても河原ですからね。

 

城主・河原歳三義豊さまと家臣団。

このネタをやるために来たと言っても過言ではないw

 

虎口(?)

 

表門(?)

 

お城山展望台

天守ではなく展望台である。

河原城の名は町名から取ったものであり本来の名は丸山城。

鳥取市内には丸山城という名の城が三つもあるため、混同を避けるためなのでしょう。

武田高信によって築かれた大振袖山城の砦ですが、正確な建造年は不明だそうです。

その後、第一次鳥取城の戦いの際に山名豊国を攻めるために織田軍が陣(秀吉の本陣ではないらしい)を置いたとされており、戦後はそのまま廃城になったそうです。

当然、この時代の支城に天守があったとは考えられないので史実に関係ない模擬天守ですw

 

で、この河原城については全く知らなくて今回初めて知ったわけですが…

鳥取県と言えば米子城に鳥取城の二大城ですが、二城とも天守は再建されていない。

模擬とはいえこの二城を差し置いて天守を作ってしまったという。

しかも支城の陣跡にですよ…

 

河原城天守展望台

近くで見ると犬山城天守っぽい(モデルになったらしい)

犬山城と今治城のハイブリット天守展望台。

 

再び城主・河原歳三義豊さまと家臣団。

 

天守展望台と表門(?)

 

向こうの櫓っぽいのはトイレ

そして今やすっかり見かけなくなってしまったパジェロミニが。

 

本丸曲輪(?)から二の丸曲輪(?)

 

八上姫と大国主命の出逢いの地

河原町は因幡の八上姫神話の地でもあるわけですよ。詳しくは次回。

 

足下には因幡の兎も。

 

兎ベンチ

 

三大英傑顔はめ

信長はギリ関係なくはないけど家康は全く関係ありませんw

 

大国主命と八上姫顔はめ

 

城内へ。

金鯱

名古屋城…?

 

 

一階は受付とショップなので二階から。

二階は食と文化の展示。

麒麟獅子

因幡地方に約350年前より伝わる麒麟獅子舞に使われる獅子頭です。

 

賣沼神社での麒麟獅子舞の模型

 

河原城での麒麟獅子舞の模型

 

左からイワナ、ヤマメ、アユ

 

鮎の毛バリ

 

河原の鮎料理

 

河原の地酒

 

酒づくりの模型

 

牛ノ戸焼の皿、壺、コーヒーカップ

 

牛ノ戸焼の花瓶、番茶器セット

 

白瓷扇面取壷

人間国宝・前田昭寛氏の作。

 

河原町の椎茸、こうしん(左)・どんこ(右)

 

三階。

ここから歴史の展示でいきなり刀が!!

大概の城では新刀や新々刀が多く、大した物を置いてない所が多いんですが…

上から則光、金道、兼元、祐定と良い物が揃っています。

更に言うと…

則光(城主・河原歳三さま所持)、金道(雷神様所持)、兼元(片泰王所持)、祐定(ワタクシ藤原所持)

と、我ら不傳流の面々が所持していると刀と同銘工(代は違うけど)なのだ。

 

稲羽八上比売神社

八上姫の名は古事記において八上比売と記述され、

先代旧事本紀では稲羽八上姫と記述されているそうな。

なんか両方混ざってるね。

 

出土した土器片や石器

後ろの健全なのは復元と思われる。

 

前田遺跡からの出土品

呪札は修復中だそうです。

右が呪札と一緒に発見されたというミニチュア舟。

 

豊臣秀吉肖像画(複製)

 

羽柴秀吉 感状(複製)

 

羽柴秀吉 禁制(複製)

前にも書いた気がするけど、

よく見かける羽柴から豊臣へ改姓したというのは誤りであって

豊臣は「氏」であり、羽柴は「名字」なのでこれは別物だったりする。

当時の武家や公家のフルネームはかなり長く「氏」「姓」「名字」を持ち、

「羽柴藤吉郎豊臣朝臣秀吉」がフルネーム。

羽柴藤吉郎であり豊臣秀吉でもあったということ。

羽柴が「名字」、藤吉郎が「通称」、豊臣が「氏」、朝臣が「姓」、秀吉が「諱」。

正式な書状では「羽柴関白太政大臣従一位豊臣朝臣秀吉」と書く。

官途授与前は通称を記述するが授与後は記述しないことが普通。

現在では「豊臣秀吉」や「羽柴秀吉」と呼ばれることが当たり前だが、

前者は良いとしても後者は当時では絶対にあり得ない呼び方。

更には「とよとみひでよし」の読みだが正しくは「とよとみのひでよし」だったりする。

 

秀吉の改名について強いて挙げると

名字を木下から羽柴へと改め、氏を藤原から豊臣へと改めている。

これが正解。

 

これが家康の場合では

名字を松平から徳川へ改め、氏を藤原から源に改めている。

「徳川次郎三郎源朝臣家康」がフルネーム。

正式な書状では「徳川太政大臣従一位源朝臣家康」と書く。

徳川次郎三郎であり源家康でもあるが、

現代の「徳川家康」呼びは当時では絶対にあり得ない。

 

鳥取藩の参勤交代の模型

 

 

四階

河原町周辺の模型

源範頼の墓所を発見するが…

かなりの険しい道だそうでしてジムニーやランクルみたいな車じゃないと無理と聞いて諦める。

 

犬山城がモデルなので廻縁にも出られる(犬山城みたく柵は低くないので高所恐怖症の人も安心)

東方面

 

北東方面

 

北方面

市街地方面で中央後方に見える山が鳥取城の久松山

出合橋と言うそうで、その名から大国主命と八上姫の出逢いと思いきや実は全く関係なく…

二大河川である千代川と八東川の合流地点なので「二つの川が出合う」が由来だそうw

 

北西方面

右端の山の裏あたりが鳥取砂丘らしいが全く見えん。

 

西方面

本丸曲輪(?)側

約90km先に霊峰・大山。

天気次第では見えそうだが、本日も快晴過ぎで空が白くて無理だな。

 

南西方面

 

南方面

約60km先に津山城だそうです。

意外と近い。

 

南東方面

 

最後にもう一度、天守展望台の外観を。

 

門から

何とか収めてやろうと地面スレスレからw

 

以上、河原城でした。

史実に関係ない模擬天守なので正直あまり期待してなかったんですが、意外にも展示物が良かったという。