リアルタイム旅行記

 

朝の舞鶴湾

 

朝の護衛艦ひゅうが

 

次の目的地の道中にて建部山

綺麗な台形なので〇〇富士と呼ばれてんじゃないのかと思ったら、やはり丹後富士と呼ばれているそうです。

中世~近世期は山城だったそうでして、

建武三年(1336年)建部山城が築城され、室町時代は一色氏の居城でしたが、

天正七年(1579年)明智光秀・細川藤孝による丹後平定戦で落城。

天正十年(1582年)田辺城を築城の際に山城で不便な建部山城は廃城となったそうです。

日露戦争時には建部山堡塁砲台が築かれ、太平洋戦争時にこれを再利用。

舞鶴軍港を守る防空拠点として米軍機を迎撃する軍事施設だったそうです。

山頂には今も砲台跡や弾薬庫の遺構が残っているそうな。

 

昨日から走りながら周辺の山々を見てると何だか山城っぽいのが多いなぁと思ってたんですが、

調べてみたらなんと辺りは山城跡だらけでした。

中山城、寺ノ谷城、佐織城、千坂城、辻ノ谷城、臼井城、

喜多城跡、建部山城、建部山東支城、建部山西支城、福井北城、

下福井城、愛宕山城、愛宕山北城、楠祢寺城、福井支城、

城屋城、城屋西城、城屋南城、城屋山上城、城屋大谷城跡、千石山城、

三日市城、三日市朝城、土穴城、久田美城…

キリがないほどに出て来る出て来るw

 

現在地から10kmほど東側にある昨日宿泊したホテル周辺には

泉源寺大谷城、泉源寺的場支城、泉源寺金比羅城、田中城、田中支城、吉野城、安岡城、

高屋城、姥ヶ谷城、阿良須城、小倉松谷城、中庵城、薬師城、鹿原城、鹿原南城、鹿原北城、

市場城、溝尻城、溝尻支城、堂奥城、堂奥二ノ谷城、大迫谷城、但馬谷山城、小倉奥城、小倉城、多門院城…

こちらも出るわ出るわw

隣の山もまたその隣も城すべて城です状態。

丹後国の国衆達がいかに自立性が強かったのかを物語ってます。

 

しばらく走って、目的地近辺で駐車場探しで苦戦し…

チケット購入中にモノレールが発進し、僅差で乗り遅れるw

天橋立ビューランドへのリフトにて。

 

同じく乗り遅れたトシゾー教授が先を往く。

 

登山道と石垣がある。

 

崩れた石垣の様にも見えるが…

ここ周辺は城だったという記録は無し。

はたして…

 

そしてモノレールに間に合った三人。

ずっと向こう側を見ているので

後ろを振り返ってみると…

おぉう…見えているッ!!

 

モノレールへ徐々に近づき追い越してしまった。

 

ワイヤーが邪魔なんだよなぁ…

モノレールに乗り遅れた敗北者の嘆き…

 

天橋立ビューランドへ着。

 

ビューポイントから全域

阿蘇海(内海)、天橋立、宮津湾(外海)

 

イザナギとイザナミの国生みにおいて、天の浮橋に立ち天の沼矛を海原に下ろし、

矛をかき回し持ち上げると滴り落ちた潮が積もり重なって最初の島であるオノゴロ島が誕生。

この天の浮橋が天橋立の事とされている古事記における伝説。

もう一説が

イザナギはイザナミの住まう真名井原に天から通うために大きな梯子を作ったが、

イザナギが居眠りしている間にこれが海へ倒れて陸地になり、これが天橋立とされている。

こちらが丹後国風土記における伝説。

 

南側からの眺望・飛龍観

北側からの眺望は昇龍観というそうな。

 

天橋立名物・股のぞき

 

股のぞきビュー

うん、写真じゃ何も伝わらねぇw

 

反転すると両サイドに邪魔な物体が入っただけで何も変わらんのだ。

肉眼で見ないと意味ないねこれ。

 

マタノゾキーズと天橋立

股のぞき中にふざけて転落事故があったそうなのでおふざけはほどほどに。

 

下界へ。

そういやビューランドそのものの写真撮ってなかったw

 

よく見ると現代石垣でしたこれ。

そして登山道ではなく管理用通路だそうです。

 

下界へ降りて駐車場探し中に見つけた智恩寺へ。

明和四年(1767年)建立の三門(黄金閣)

明和四年(1767年)建立の府指定文化財。

山門ではなく三門なんですね。

丹後地方に現存する最大の二重門だそうですよ。

 

境内へ。

 

智恩寺多宝塔

明応十年(1501年) 丹後国守護代・延永春信によって建立。

国指定の重要文化財です。

丹後地方における中世の建築遺構は、この智恩寺多宝塔と本願寺本堂のみしか残っていないそうですよ。

そこに寺があったので立ち寄ってみただけだったんですが

まさかこんな素晴らしいものが見られるとは

まさしく僥倖なり。

 

多宝塔の脇にある五輪塔

明記がないので何のものなのかは不明。

 

左端の宝篋印塔は稲富流砲術開祖・稲富一夢斎の墓

 

吉祥弁才天

こちらは桃山時代の建物だそうです。

 

力石

祭りの余興などで力自慢達が持ち上げたそうです。

石の重さは、大130kg、中100kg、小70kg

確実に腰をヤるw

 

豫科練供養塔

 

こちらも謎の宝篋印塔

 

石造地蔵菩薩立像(南の二体)

応永三十四年(1427年)の作

 

石造地蔵菩薩立像(北の一体)

永享四年(1432年)の作

 

歴代住職の墓所

 

石造宝篋印塔

こちらは鎌倉時代後期と伝わっているそう。

 

塔の後ろになんか凄い木が…

 

霊木 文樹

智恩寺の本尊である「知恵の文殊(もんじゅ)」で

「人生を智恵で飾る者に幸いが訪れる」という意味が込められたありがたい木だそうですが、

このダメージについては何も情報が無かった。

これは落雷跡…?

 

文樹の隅にお堂(?)

文樹を祀ってるでしょうかね?

 

こちらも謎のお堂

 

鐘楼と楼門、奥に庫裏

庫裏は寛政十一年(1799年)の再建。

 

鐘楼

こちらは明治時代の建立。

 

楼門(暁雲閣)

享保七年(1722年)建立の府指定文化財。

 

文殊堂

延喜四年(904年)創建と伝わっているそうですが、

明暦三年(1657年)に大改修を受けて現在の姿となっています。

内部の柱から文永七年(1270年)の墨書が発見されたそうで、

中央の四本柱には改修前の古材がそのまま使われているそう。

 

寺伝では大同三年(808年)平城天皇の勅願寺として創建された寺を前身とし、
延喜四年(904年)に醍醐天皇から天橋立智恩寺の号を賜ったとされるそう。

御本尊は文殊菩薩で国指定の重要文化財。

秘仏で普段はお目にかかれませんが、

正月三が日、1月10日(十日えびす)、7月24日(出船祭)の年5日間限定で御開帳されるそうです。

 

 

外陣の西側

 

外陣から

中央に無相堂、中門の奥が方丈。

方丈は天保十二年(1841年)の再建。

 

外陣の北側

 

外陣の東側

 

さっきの鐘楼と楼門

 

文殊堂の前からの境内

伝・鎌倉時代の鉄湯船を完全スルーしてましたw


肝煎 荒木金兵衛

荒木家は宮津の豪商だそうで、それにまつわるモニュメントらしい。

 

知恵の輪灯籠

江戸時代に作られたものだそうですが正確な年代は不明。

享保十一年(1726年)刊行の丹後興佐海名勝略記には海岸にこの輪灯籠が確認できるそう。

輪の中に明かりを灯して行き来する船の標になっていたとか。

因みにこれ、向こう岸が天橋立です。

上から下まで一直線に繋がってると思いきや最南端は内海と外海が繋がっていて

実は陸続きになっていないんです(橋で渡れます)

天橋立の距離は片道約3.6kmでおよそ50分かかるそう。

1時間で4.5km以上歩ける男なので35~40分くらいで踏破できる気がする…

まあ、行かないですけどねw

 

以上、智恩寺でした。

 

帰り道、駐車場を出るや否や開かずの踏切で足止めされる…


駅の近くなので列車が入る調整してるらしい…

 

本日の昼食

次回は一気に因幡国へ。

続く