あーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
嫌になるわーーーーーーーーーーーーーーーーーー
アホの下書き機能が全くアテにならんので投稿前にHTMLごとコピー取るようにしたのに
今度は書いてる最中にクソポンコツPCが落ちやがってそれまでの全データ吹っ飛ぶ。
いや、何なのマジで?
ふざけてんの?
馬鹿なの?
死ぬの?
や
る
き
な
く
す
わ
はい、続きですよこのクソ野郎。あーめんどくせー
今回は伊都郡から和歌山市へ。
既にそこに見えてるんですが…
まずは昼食。
これ、大当たりでした。さすが人気店。
しかも丁度昼食時の真っ只中だったんですがほぼ並ばずに入店。
タイミングが良かったんですね。席について外に目をやると長蛇の列になっていたという…
周辺散策中。
お父さん預かります。って…
どうやら店名らしい…?
勝海舟寓居地の碑
勝海舟が海岸砲台検分のために紀州藩へ赴き、滞在していた場所がここだそうです。
いざ、城郭へ。
砂の丸の櫓台
こちらも砂の丸の櫓台
徳川吉宗像
和歌山藩の第五代藩主にして八代将軍。
徳川歴代将軍では初代・家康公に次ぐ知名度且つ、有能な将軍。
幕府中興の祖とも呼ばれ、江戸の三大改革の一つ、享保の改革を推進(ほか二つは寛政の改革、天保の改革)
武芸奨励を実施し、平和ボケして腑抜けきった武士たちを鍛え直す。
もしかすると武芸奨励が無ければ我々の不伝流も完全に失伝していたかもしれない…
登城の前にまずはこちら。
和歌山県立博物館 紀州東照宮の宝刀展
なんと4月27~6月2日の約一か月という短い期間。
なんという素晴らしいタイミングだw
一昨日の春日大社宝物館は最高にタイミングが悪かったが、
こちらは最高のタイミングなので良しとしようw
紀州東照宮に奉納されている刀が全て展示されているそうで、
全て展示されるのは実にウン十年ぶりだとか。
実は出立数日前にこの特別展が開催されてることを知りましてね…
ニュースサイトを適当に閲覧してる最中にたまたま開催中の記事を見つけたという。
気付いて良かったわーーー
例に漏れず撮影禁止なので写真はこれだけ。
いやぁ、素晴らしい物を見せていただきましたわー
特に光忠、真長が素晴らしかった。
大半が頼宣の奉納刀だそうなのですが、家康は息子達の中で頼宣を特に可愛がったと言われてますからね。
名刀の数々を父上から頂いていたのではないでしょうか。
あと、前々から写真見て思ってたんだけど伯耆安綱はやはり平安末期~鎌倉初期じゃないかな。
何かと三条宗近と同時代と言われることが多いけど、
平安中期の体配にしては造りが豪壮で、現物を見て1100年代の体配じゃないかと改めて思った。
安綱はちょっと過剰評価なところがあるからなぁ…
確かに凄く良い刀ではあるんだけど。個人的には宗近の出来には及ばないと思ってる。
「江戸時代の刀が一番出来が良いって聞きましたよ」
(一瞬固まって)……は?
「いやいやいやいや!!」思わずデカイ声が出てしまったw
「一番出来が良いのは平安・鎌倉時代の刀で江戸時代のは全然ですよ」
「え!?和歌山で一番刀見れる人から聞いた話ですよ!!」とムキになるおっちゃんw
「いや、それ全然見れてないですね。一目瞭然なくらい出来が違います」
その後、戸田宗家と一緒に色々説明してやる。
とりあえず納得はしてくれたんだろか?
しかし、鑑賞の師が悪かったな見知らぬおっちゃんよ…
自称・和歌山で一番刀見れる人だよそれじゃ。
特に鎌倉刀は肌詰みが凄いので目の肥えた人じゃないと地金が全く見えれずのっぺり肌に見えます。
刃文も後代のわざとらしい土つけ刃文と違ってわかり難く目の肥えた人じゃないと刃中のはたらきも見えません。
たぶん未熟な鑑賞眼で古い刀を見て、何も見えないじゃん出来悪ッ!!と決めつけ、
素人目で見てもわかり易い江戸の新刀の方が肌詰んでて刃文も派手で出来が良く見えたんでしょうね。
なんだかなぁ……
江戸時代の大名達が当時の現代刀(新刀)などには目もくれず、こぞって平安や鎌倉の刀を欲しがったのはそういう事ですよ。
因みに、古刀ばかり求められ新刀は人気が無いと徳川吉宗は享保名物帳を編纂させる。
自らも新刀を差し、地方の刀工を江戸へ呼び寄せ浜御殿で作刀させる等、現代の刀工達を奨励。
イマイチ人気の無かった新刀市場を活発化させたという改革の一環。
為政者として素晴らしい判断ではあるけど…
しかしまあ、裏を返せばそれだけ古刀の方が出来が良かったという事。
博物館前
これはどう見ても城址の造り。
どうやらこの場所は三の丸跡になるそうです。
では、満を持して和歌山城へ。
この先、不明門跡
岡口門側へ迂回。
南の丸の石垣と南堀跡
岡口門前
ここから城郭内。
和歌山城は天正十三年(1585年)紀州征伐の後、羽柴秀長によって築城。
慶長五年(1600年)浅野幸長が関ヶ原合戦の軍功で37万6千石を与えられ紀州藩主として入城。
元和五年(1619年)浅野幸長は広島藩へ加増転封となり、
家康の十男・徳川頼宣が55万5千石で入城し、御三家の紀州徳川家が成立。
以後、明治まで紀州徳川家の所領となります。
東堀
岡口門(旧大手門)
重要文化財。
浅野時代に大手門として建立されるが、後に搦手門へと修復。
現在の門は元和7年(1621年)の徳川頼宣による大改修の際に再建されたもの。
振り返って岡口門
因みに頼宣の大改修は城から城下町に到るまでの大規模なもので
幕府より謀反の嫌疑をかけられるほどだったとか。
実の弟が治める親藩をも疑う疑心暗鬼っぷりが何とも逆恨み将軍らしいわw
岡中門跡と巨大な松の丸石垣
人と比較して相当高いですよこれ。
岡中門の桝形
門を抜けて御倉の丸
松の丸の打込石垣
こちらは綺麗な切込石垣
浅野時代が打込接で徳川時代が切込接なんじゃないかな。
松の丸から
手前の石垣がさっき下から見た巨大石垣。
松の丸を進みます。
帯曲輪ですね。
この上が本丸なので本丸最終防衛ラインとなる曲輪。
最初の築城時期が近世城郭への過渡期だったので、ここは元々大手道だったような気がする…
本丸石垣
ここは完全に野面石垣。大手道の様な造りといいこれが秀長時代のものでしょうか。
松の丸直下
発掘調査で出土したと思わしき石が置いてある…
下に見える囲ってる箇所が七福の庭なのかと思ったら…
この看板の後ろにあるのがそうだったらしい…
左側に石垣が無いんだけど門跡の石垣でしょうか?
手前も奥もよく見ると隅石が算木積みになってます。
小諸城もそうだったけど野面の算木積みってかなり珍しい。
秀長時代の築城には藤堂高虎が多く関わっていたそうで、
後の築城の名手の片鱗がこの時代から発揮されていたのでしょう。
この時代の算木積みは先見の目ですよ。
しかし、ホント今回の旅行は高虎と縁があるわw
本丸一之門跡の桝形?
そこの石垣が後方の門だと思うので、やはりさっきの石垣が最前の門なのでは。
左側が崩れてしまったのかもしれないですね。
ここから本丸
前方には…
本丸御殿跡、天守ビューポイントだそうだ。
キッツイなぁ…
しゃーない昇りますか。
おお!!
これは確かに素晴らしい!!
下りて天守真下へ。
天守石垣に連結した一段下に門櫓台と思わしき石垣がありまして、
これが天守曲輪への入り口だったのではないでしょうか。
ここから天守曲輪
本丸内にある天守用の独立曲輪で、掛川城も同じ構造。
どうも浜松城も天守曲輪らしい…
ということは二の丸だと思ってた場所は本丸だったわけか…?
どうにも浜松城は城郭の大半が破壊されてしまているのでイマイチわかり難い…
二の門櫓と天守二の門(楠門)
こちら、天守周りの建造物で唯一の木造復元だそうです。
振り返って天守二の門
乾櫓
小天守と大天守
こうして見ると姫路城とほぼ同じ構造の連立式天守なんですよね。
その姫路城に松山城と並んで日本三大連立式平山城に数えられるそうです。
いざ天守内へ。
天守間模型
権門駕籠
反対側を見ると見事な襖絵があるじゃありませんか。
いきなり逆走!!
人が来ぬうちに人が来ぬうちに
こちら、当時のものではなく
大河ドラマ八代将軍吉宗で使用されたセットだそうです。
つーか、柱が邪魔くせー
いい感じ全体が入らんのですよ!!
そして最後の一枚見事にボケる
順路へ戻り
葵紋入りの長持
塗駕籠
竜土水
消火に使う放水ポンプだそうです
紀州藩士の具足
縹糸威縦矧桶側二枚胴具足
骨牌鉄畳具足
黒塗弓と通し矢弓
小笠原流弓術秘巻
朱塗鞘拵と鞘袋
紺糸威胸取五枚胴具足
胴の文字は愛染明王を表しているそう。
因みに博愛主義者として勘違いが一人歩きしている事で有名な
直江兼続の愛の前立ては愛染明王の愛の字である。
決して愛情の愛ではない。
以上。
鼠色綾陣羽織
墨絵龍陣羽織と兜類
喉輪
頬当
左:鉢当
右:提灯兜
紀州藩金丸旗印と馬具
馬面
金蒔絵鐙
長柄武器
左から
十文字槍 紀州住尚定
筑紫薙刀 無銘
薙刀 山城国文殊包重
十文字槍 兼国作
薙刀 水心子正次の花押入り
薙刀 山城守藤原国次
十文字槍 たぶん無銘
いずれも末古刀期~新々刀期
筑紫薙刀は刀身に茎を持たず棟部分に櫃を設けてここに長柄を通すという特異な形状。
要は西洋のバトルアクスやバルディッシュの様な造り。
こちらも長柄武器
左から
十文字槍 遠州横須賀住国安
素槍 直茂×4
素槍 直茂?(銘が消えてるらしい)
国安は新々刀期の刀工
直茂は新刀期の地元・紀伊の刀工
ケッペアー拳銃
世にも珍しい火縄ハンドガン。
フルサイズだった物を短く切り詰めたとか。
雷管式短銃
郵便保護銃
明治期は郵便物を狙う野盗が現れたそうで、郵便局員に銃の携帯が許可されていたそうです。
側面の金具は衣服に引っ掛けるためのクリップだそう。
形状といい用途といいデリンジャーのお仲間?
小田切家知行目録
紀州藩佐々木流鉄砲・火術免許状
火縄銃
左から
小槍、小槍、笹穂槍、薙刀、素槍、袋槍、菊池槍
一応、笹穂槍に菊池槍となってるけど薙刀以外はすべて屋内の護身用だと思う。
幕星目付次第
火縄銃
紀州に鉄砲を持ち帰った津田監物の図
鉄錆地日根野頭形兜
タイ製四耳壺
渡辺家屋敷門の模型
渡辺家紋入黒塗弁当箱
葵紋陣太鼓
采配
安藤家陣笠
藤門に安の字
紀州藩付家老で家格は相当高いはずなんだけど
まるで足軽の様な陣笠…
江戸時代の高禄武士は縁を反らせた形状のものを着用していた。
井桁紋陣羽織
黒塗鞘拵
89.5cmの刀身が納められていたそう。
「無銘だが」の前フリ付きで
無銘=出来が悪いと勘違いしてる一般人があまりにも多すぎる。
木下日足紋・五七桐紋 緋羅紗陣羽織
深緑蠟色鞘拵付脇差
…と書いているが脇差本体はないんかい。
西之丸庭園の出土品
左から瓦、輪宝、壺、壺に入っていた寛永通宝
和歌山城紅葉渓庭園模型
縹糸威胸取二枚具足と金小札緋糸威二枚具足
縹糸威胸取二枚具足
金小札緋糸威二枚具足
紺糸威革包胴丸具足と紫糸威胸取二枚銅具足
紺糸威革包胴丸具足
紫糸威胸取二枚銅具足
瓦類と鯱
玉川家旗印等
続く




















































































































