今回から三日目。

本日は奈良市中心部から南方面へ。

 

こちらがリアルタイム旅行記

 

 

大和郡山市へと向かう車内にて、

昨日の完全予定外だった海住山寺の五重塔に浄瑠璃寺の三重塔が良かったなんてことを話しながら…

…ふと遠い記憶を思い出す。

私は言った。

「薬師寺はいいんですか?国宝の五重塔ありますよ?」

場所を調べる…

すぐそこじゃんw

 

ということでやって来ました。

法相宗大本山 瑠璃宮 薬師寺

本日も完全予定外から始まるw

 

白鳳伽藍へ向かう途中に

薬師寺 休ヶ岡八幡宮

寛平八年(896年)創建、慶長八年(1603年)再建の重要文化財。

祭神は僧形八幡神・神功皇后・仲津姫命。

現在は奈良国立博物館に収蔵されていますが三柱の神像は国宝。

 

北座小屋

 

南座小屋

 

北脇殿・本殿・南脇殿 

いずれも慶長八年(1603年)豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建。

秀頼の生前に行われた畿内の寺社寄進の一つ。

しかし、この当時の秀頼はまだ幼く(1593年生)本人の意思によるものではないと思われる。

その他、大半の寺社が秀頼幼少期に寄進を受けている。

つまりはそういう事でしょう。

 

近年、真田幸村や石田三成人気の影響からか、創作物での秀頼株が爆上がりしてませんかね?

しかし、秀頼って何か実績あるかと言われれば…

畿内の寺社寄進は前述の通りだし、

方広寺の大仏再建企図も幼少期によるもの(工事開始は後年だが)

豊臣氏の滅亡がかかった大坂の陣でも結局最期まで出陣せず。

いや、実際何も無くね?

近年の創作物での最後の大者的描かれ方には疑問を感じる。

本当に優れた君主ならば淀殿も大野治長も押し退け

冬の陣では城外出撃策を採っただろうし(孤立無援での籠城は下策もいいところ)

夏の陣では自ら出陣していた事でしょうよ。

ということで、私の秀頼評価は豊臣のお飾り坊ちゃん。それ以上でもそれ以下でもない。

 

同じく白鳳伽藍へ向かう途中

孫太郎稲荷神社

祭神は宇迦之御魂神(稲荷神)

休ヶ丘八幡宮の末社にあたります。

平安時代中期、藤原頼行によって下野国佐野の唐沢山に祠が建てられたのが始まりで、

頼行の後裔にあたる佐野孫太郎義綱が名の由来だそうです。

後に分霊が姫路城下に祀られ、江戸時代初期にこの地に移されたとか。

 

ここから薬師寺 白鳳伽藍。

南門

永正九年(1512年)建立の重要文化財。

 

南門からの西塔

 

南門からの東塔

 

飛鳥の藤原京の地に建立された薬師寺(本薬師寺)がはじまりとされますが、

正式な創建年は不明だそうで、天武天皇八年(680年)発願、文武天皇二年(698年)にはほぼ完成していたとか。

後の養老二年(718年)、平城京への遷都に伴いこの地へ移転したとされますが、

境内から霊亀二年(716年)と記載の木簡が出土しているそうです。

数年前から造営が始まり718年に一先ず完了と見るのが有力か。

730年に東塔建立という記述があるので造営は引き続き行われていたのでしょう。

 

中門

こちらは1984年の再建です。

 

中門を潜り…

 

金堂

 

西塔

 

東塔

おおーーーーー懐かしいーーーーー!!

実は、薬師寺には修学旅行で来てましてね。

左右の五重塔の光景が強く印象に残ってたんですよね。

 

まずは西塔

五重塔って記憶だったんだけど、よく見ると六重塔じゃないか!!

なのですが…

しかしこれ、実は三重塔なんです。

下から1、3、5重目の屋根が小さい。

これは海住山寺の五重塔と同じく裳階(庇状の構造物)で本来の屋根は2、4、6の三重構造なんです。

享禄元年(1528年)に筒井順興(順慶の祖父)の兵火によって焼失。

1981年(昭和56年)の伝統様式・技法による再建。

木材の乾燥収縮を考慮して東塔より約30cm高いそうで、

500年後に材木の撓みと基礎の沈下が起こり東塔と同じ高さに落ち着く計算なんだとか。

 

再建とはいえ40年以上経ち、木造再建(一部鉄筋コンクリートらしい)なのでこれはこれで風情がある。

西塔からの金堂と東塔

 

続いて東塔

こちらが奈良時代から唯一残る現存建築。

天平2年(730年)建立の国宝。

今から約1300年前の建築ですよ1300年前!!

前述した筒井順興の兵火によって大半の建造物が消失してしまいますが、

この東塔と東院堂のみ消失を免れたそうです。

2009年、110年振りの解体修理が始まり

2020年、12年にも及ぶに大修理が完了。

修学旅行で訪れたのは解体修理前でして、

かなり年季の入って疲れ果てた塔という印象だった(あまり覚えていないがw)

当時、藤原少年の目には西塔の方が良く見えていたのだw

大修理を終えて古材の風格を残しつつも外観が綺麗になり、

塔全体がビシッとした印象になりました(あまり覚えていないがw)

東塔には、移建・非移建論争があるそうで

飛鳥の本薬師寺に建てられたものをここに移築した説と

移築ではなく平城京へ遷都の際に新築された説。

様々な調査の結果、現在では新築説が通説になっているそうな。

塔の建築様式も飛鳥様式の法隆寺五重塔や法起寺三重塔よりは進んでおり、

當麻寺東塔(奈良末期)や醍醐寺五重塔(平安初期)ほどには進んでいないそうです。

これも非移建論への追い風になったんでしょうな。

今回の旅行から約三ヶ月後の2024年8月31日放送のプロジェクトXが

「祈りの塔 1300年の時をつなぐ〜国宝薬師寺東塔 全解体修理」

だったんですよね。

なんという凄いタイミングだ!!と思って視聴しましたw

放送にも登場した心柱の年輪年代測定の結果、塔建立の730年と一致したそうです。

その他、天井板の樹皮から729年・730年の伐採と判明。

これによりこの地で新築説がほぼ確実になったことでしょう。

西塔再建時の調査によると、

飛鳥で西塔が建築中だった頃に平城京への遷都が始まり、

建築中だった西塔もこちらに移築されて完成させたという。

その西塔を真似て東塔が建てられたのではないかという事です。

で、心柱ですがこれの修復の様子が凄かった…

根本が完全に腐敗してまして、再利用は不可能な状態。

ここに新しい木材で柱の根本を造り、元の柱の腐敗箇所を除去し、

二つの柱を接続してしまおうと大工事。

心柱は高さ約30m、根元の部分の直径が約90cmというとてつもない大きさ。

これを寸分の狂いもなく接続してしまったんだから感服しながら観てましたね。

最終的に心柱も含めて解体された古材の九割を利用して修復できたそうですよ。

その心柱が2022年4月29日~5月8日の期間限定で特別公開されていたそうです。

今更どうしようもないが見てみたかった…

 

東塔からの金堂と西塔

東塔の大修理が完了したので次は興福寺の大修理という流れらしい。

やっぱ奈良市潤ってんなぁ…w

 

金堂

こちらは1976年再建。

金堂も1528年に戦火で焼失しており、

慶長五年(1600年)に郡山城主の増田長盛によって再建されていますが、

昭和の再建の際には不要となり…

 

昨日の興福寺。

興福寺へ仮金堂として移設され、現在は中金堂の背面に仮講堂として現存しています。

 

内部は撮影禁止のため、ここまで。

こちらには国宝の本尊・薬師三尊像が祀られています。

奈良時代仏教彫刻の最高傑作の一つと言われており、ホントに素晴らしかった…

 

金堂から正面

 

西側

 

東側

 

大講堂

2003年再建。

大講堂も1528年に戦火で焼失。

嘉永5年(1852年)にも再建されているが、

こちらは平成の再建の際に解体されてしまったそうです。

白鳳伽藍最大の建造物。

講堂が金堂よりも大規模なのは古代伽藍の通則で大勢の学僧が参集するからなのだそう。

こちらも内部は撮影禁止です。

弥勒三尊像、仏足石、 仏足跡歌碑を始め国宝・重文だらけの凄いことになってます。

 

大講堂から最高のビューポイント

東塔・金堂・西塔

中央にカメラ構えた不動のおっちゃんが居る…

 

大講堂の背面に食堂

こちらは2017年再建。

食堂の再建をもって復興事業は最終段階を迎えたそうです。

つーか、復興事業の最中だったんかw

初代食堂は天平2年(730年)頃創建され、天禄四年(973年)に焼失。

寛弘二年(1005年)に二代目が再建されるが再び消失(年代不明)

現在の食堂は三代目にあたります。

閉鎖されており中には入れず。

 

西側

 

東側

 

食堂からの大講堂

 

鐘楼

こちらの梵鐘は複製です。

オリジナルの梵鐘は重要文化財。

銘が無く正確な時代はわからないそうですが、

古代鐘の特徴を持つことから奈良時代かそれ以前に作られたものの可能性が高い。

1528年の戦火で落下し、大きなヒビ割れが生じたそうで

その後も使い続けられたことから「西ノ京割れ鐘」と呼ばれるようになったそうです。

更に1934年の室戸台風によって鐘楼が倒壊し、東塔に大きな被害を及ぼしたそうな。

 

東僧坊

こちら歴史的な建造物ではなく休憩所だそうですw

因みに2025年1月中旬から改修工事により閉鎖中だったそうでうですが

先日14日から開放されているそうです。

 

…で、この東僧坊の先に玄奘三蔵院伽藍というもう一つの伽藍があるそうなのですが

中入って買い物してそのまま出て来てしまいました。

どうもこの建物の裏側に何かありそうな感じがしたんですよねぇ…

その直感は当たっていた。

誰だ先に外出たヤツはーーーーー!!

 

歩いてると「朝のお勤めが始まるので良かったら一緒にどうぞ」と声をかけられたので

折角なので参加することに。

再び金堂へ。

そして、よく見るとあれからしばらく経つのにまだ居る不動のおっちゃん。

朝のお勤めでは般若心経を一緒に唱えるんだけど…

全くわからんですはい。ウチ神道なんでw

真面目な話、我が家は神式でやってるので仏式の作法がよくわかっておらず困る場面が結構あったり。

 

お勤めに参加しなんとなく気分が晴れた気がする。

金堂からの西塔

 

金堂からの東塔

 

撮り忘れてた中門の阿形

 

同じく吽形

 

振り返って中門。

 
最後に南門

この南門を出て東側へ進むと東院堂(国宝)があり、これも気付かずスルー…
色々とやらかしましたね…

 

駐車場へ戻ると修学旅行らしきバスが数台…

もう少し遅かったら昨日の悲劇再びになるところでしたw

 

そして、気付けばすっかり仏教建築・美術の魅力に引き込まれていたのだった…

本当、素晴らしかったです薬師寺。

やっぱ大人になってから来ると見る目も変わるもんだなぁ…と。

 

続く。