新年明けましておめでとう御座います。

本年も宜しくお願い奉り候。

 

では、今年も新年恒例の油引き直しの儀を行いたく御座いまする。

大刀十振、小刀二振、槍一振。

昨年は増える事もなくそのままですw

抜き身の二振は

上が腕の負傷によって現役復帰を果たした吉井清則。

下が現役からの休止を与儀なくなされた片山一文字。

要するに重いんですよね…w

前腕を痛めてしまったので片手斬りで重さがダイレクトに伝わりなかなかシンドイw

痛めた直後は当然痛みも酷くてマトモに振れそうもなく

居合刀(特殊合金製の驚くほど軽いヤツ)

清光(研ぎ減って軽い)

清則(重ねが薄く比較的軽め)

といった感じで徐々に重い刀へと段階上げている最中だったりします。

さて、今年は片山一文字に戻ることができるだろうかw

 

そしてですね…

昨年、実はまたしても危うく一振増えるところだったんですよね…

facebookの方にはアップしてるんですが

上が我が大身槍の越前国兼植。
下が故あって預かる事になった播磨大掾藤原重高。


この二振りの関係性が非常に面白い事になってまして…
重高の主な活躍期は寛永(1624~1644)
新刀期なんですが、造りは意外にも悪くなく古刀らしい体配なんです。

気になったので調べてみると…
元々は美濃の刀工だったそうですが天正(1573~1592)頃に師の兼則とともに越前へ移住という記述が。
つまり少なくとも天正期から刀を打っているので古刀最末期~新刀初期にかけての刀工という事がわかった。

これってどこかで聞いた様な…
はい。兼植です。
兼植も元々は美濃の刀工だったが、朝倉孝景に招かれて越前へ移住している。
主な活躍期は元和(1615~1624)で重高と同時期の刀工である事は間違いなく、同世代だった可能性も非常に高い。
もう少し調べてみると兼植と重高による合作なんて物まで存在しているという。
因みに朝倉孝景の没年は1548年なので、ここからざっと計算すると
元和期の兼植は少なく見積もっても80歳は超えてますw
ちょっと無理があるだろうという事で孝景は誤りで義景に呼ばれたのでは?と。
丁度、天正期に対織田に対しての軍備増強してるわけだし。
そう考えると重高と共に移住してきた説も考えられるという…
まさに約400年の時を経て越前から遠い蝦夷の地で運命的な再会ってわけですよ。

 

重高は買い手を探してまして不伝流で誰か欲しい人は居ないか?って事だったわけなんですが

兼種とは同じ刀派に属し古巣も同じ刀派だった。活躍期も同じで合作まで存在する。

これには何か運命めいたものを感じてしまいましてね…

ちょっと無下には出来ないので誰も買い手が見つからなければ私が買いましょうという心づもりでしたが…

既に末古刀期の刀は数振所持してましてね…

それらと比較しても特に目新しさも無いので正直なところ欲しいわけでなかったのだw

…という事で誰かが買ってくれて大事にしてくれるならばそれが一番良し。

結果的に買い手が見つかりまして、本人にとっても最初の一振なので間違いなく大事にしてくれる事でしょう。

これにて一件落着~ッ