続・彦根城。

さて、これが今回のミッションである。

・快晴の天守から下界を眺める

・足場の無い天守を拝む

・山崎曲輪へ進撃する

 

今回は正規入口から入れますw

修学旅行生と見事にカチ当たった前回は天守内で地獄を見るだろう…

と、咄嗟の思い付きで西の丸と玄宮園を先に周るという作戦に出て、これが功を奏した。

黒門山道(きっつい坂道)を登り直す事になったけど…

本日は時間も早いし修学旅行生も居ないし落ち着いて見て周れるでしょうよ。

 

地階

 

こちら、前回の入り口だった多聞櫓・附櫓。

耐震強度の問題で非公開です。

この先も強度問題が解消されない限り公開される事はないと思われる…

更には国宝なので下手に修理もできんわけですよ。

前回入れたのは貴重だったかも。

 

一階

武者走り

 

井伊直弼像

 

部屋その一

 

部屋その二

 

最初に見た際はなんて急階段なんだと思ったんだけど…

丸亀城や丸岡城の階段を登った今やもの凄い緩く感じるw

 

二階

部屋その一

 

完全一方通行化してまして登りルートは本当に登るだけだという…

 

三階

 

三階も完全一方通行化してまして…

 

 

 

人が少ないのをいいことに四隅から撮った後に元の位置へ戻るw

 

北東側

右奥に見える山が佐和山城址。

しかし、この網が邪魔くさいんだよなぁ…

 

東側

 

南側

 

西側

琵琶湖側。昨日は長浜城から彦根城が見えたので

逆に彦根城から長浜城は見えんのかと思ったが見えないそうですw

 

北側

 

すぐそこには玄宮園

 

そしても少し右を向くと佐和山城も見えるのだ。

前回は曇り空だったので眺めもイマイチだったんだよなぁ…

 

第一のミッション「快晴の天守から下界を眺める」クリア。

 

前回の旅行の記事で彦根城の天守は大津城の天守を移設したみたいな事を書いた気がするが

確定説というわけではなく有力説だそうです。

大津城は四重五階だが、彦根城は小細工無しの三重三階。

移設したにしろそのまま移設というわけではなかった事でしょう。

 

再び二階。

 

凄いヒン曲がり梁

彦根城は自然木をそのまま使用した梁が結構あるんですよね。

 

武者走り

二階は下りルートで一周できます。

 

部屋その二

 

 

上がりで一周してるので一階は降りるだけルート。

以上、彦根城天守でした。

落ち着いて見れて良かったわーw

このアングルだと雲ひとつ無いという(本当は多聞櫓の辺りにある)

 

本丸曲輪からの西の丸曲輪

 

やはりこの向きの方が良いんだよなぁ…

実際の全高よりも大きく感じるのは破風が多いからと思われる。

破風は計18個もあるそうな。

 

漆塗り金箔押し唐破風

 

こちら側は野面石垣

天守は1606年完成という事から最末期の野面積みではないでしょうかね。

 

裏側

足場が無いって素晴らしいw

前後左右じっくりと拝む事ができました。

 

第二のミッション「足場の無い天守を拝む」クリア

 

続いて西の丸へ。

 

あれ…?

通行止めだと!?

この先が山崎曲輪である。

 

第三のミッション「山崎曲輪へ進撃する」クリアならず…

 

マジかーーー…

なんか話によると野生のアオサギが棲みついて観光客に襲い掛かる事件が結構あるらしく立入禁止にしたんだそうです。

いやぁ…もうしゃーないね

 

気を取り直して

西の丸三重櫓

北之取付多聞と東之取付多聞がL字型に連結した珍しい櫓。

国の重要文化財です。

以前、この三重櫓は小谷城の天守をだった説があったそう…

…というか前回そんなこと書いた気がするが

建築技法により築城時に新築されたことが判明したそうです。

むしろ小谷城の移築は長浜城でしょうよ。

 

窓から

山崎曲輪が見えるわーーー……

 

 

二階

 

 

 

 

 

窓から

山崎曲輪…

 

右端に見える佐和山城址

 

木の裏に微かに見える天守の屋根

 

最後に外観をもう一度。

下がり過ぎると木が入って全体撮れなかった…

以上、西の丸三重櫓でした。

 

続いては本丸の搦手へ。

天守の真下、西の丸水の手御門虎口。

個口を抜けたこの小曲輪が井戸曲輪

 

下には黒門山道w

例に漏れず歩き難い上に急勾配なんです。

これを往復した前回の忌まわしき記憶w

 

左に西の丸石垣

 

右に井戸曲輪石垣と奥に本丸石垣

 

高石垣

前回は草ボーボーだったんですが綺麗に伐採されてます。

 

 

内堀

 

 

続いてこちら

井伊直弼生誕地の碑と…

楽々園

井伊直弼と言えば桜田門外の変が有名過ぎるので日本人ならば名前くらいは知ってるでしょう。

あなた本当に日本国民ですかってくらい日本史に疎いウチの母ですら

おんな城主直虎で「井伊直虎?井伊直弼じゃなくて?」とか言ってたし!!

直弼は父・直中の14男としてここで生まれたとされます。

14男という事で家督相続の蚊帳の外だったが…

15代藩主である兄・直亮が死去、その養嗣子の兄・直元も死去しており、

他の兄達も他家へ養子に出されているため14男の身でありながら家督を継いだという稀有な例。

 

立入禁止なので今回も頑張ってズームで撮りますw

 

 

 

 

 

 

 

パネル展示されてるけどさぁ…

入れないから見えんのですよ…

 

 

 

 

 

良く見ると右奥に上段の間が見える。

 

続いて玄宮園へ。

 

玄宮園からの楽々園

 

人生初で訪れた本格的な日本庭園がこの玄宮園でして

やはりあの時のインパクトが強くて

庭園も色々見て来たけどやはりこの玄宮園が一番好きなんですよね。

 

天守がしっかり見えます。

 

天気が良いので逆さ天守も。

素晴らしいのう…

 

船着き場

当時は橋が無かったのか島と島をわざわざ舟で渡っていたという

だが、その無駄さが良いw

前回は天気が悪かったので水も灰色で水鏡もイマイチで

惜しむらくは天気と言ってたけど、これでリベンジは果たしたぞw

 

前回は気にしてなかったけど庭園の周囲の石垣と中堀。

こうして見ると庭園も曲輪の中にあることがわかる。

 

以上、玄宮園でした。

やっぱ素晴らしいですねここ。

 

そして、ぞろぞろと客足が増え始めている…

では、そろそろ発ちましょうか。

山崎曲輪だけが残念だったが…

 

続く。

次回は井伊の赤鬼を巡る