今回より五日目。

本日は最大の大物が待ち構えているのですが、その前にこちらへ。

龍野城

 

…の前に

龍野歴史文化資料館へ。

城内なのでそれっぽい建物ですが現存ではありません。

こちらは資料館向かいの復元された多門櫓 

 

では館内へ。

まずは野田焼の器から

 

1797年(寛政9年)から明治時代の1910年(明治43年)まで

地元・揖保川町で焼かれていた陶器。

 

ここから時代区分

1.原始古代の龍野

土器・石器の出土品

 

こちらは古墳からの出土品

これ、厳密には次の古代コーナーだよなw

 

古墳から出土した埴輪

 

2.古代の山陽道

出土された寺院の瓦

 

3.中世の筑紫大道

出土された瓦類

 

径筒

銭と一緒にお経や願いごとを入れて土に埋めるそうです。

現代で言うところのタイムカプセルだとか。

 

皿や器の出土品

左のは宋の国からの輸入品だとか。

 

 

こちらは脇坂家に伝わる楠木正成所用と伝わる兜と籠手。

え!?普通に凄くないかこれ?

失礼ながら資料館に置いといていいのこれ?県立博物館とかじゃないのかね!?

 

十二間筋兜

 

金箔押小篠籠手

この他、湊川合戦で着用していたと伝わる腹巻があったそうですが、

明治期に湊川神社へ奉納されているそうです。

 

4.龍野城主と城下町

ここから脇坂時代。
龍野藩脇坂家初代藩主は脇坂安政。
堀田正盛の次男だが、脇坂安元の養子となり、脇坂家の家督を相続する。

そして安元の実父が脇坂安治であるw
かの関ヶ原合戦での金吾様と裏切り四人衆の一角であるw

子と孫どころか血縁すら何も無いわけだが福知山の朽木同様にどうにも脇坂は好きになれんのよなぁ…

 

火縄銃とゲベール銃

 

鉄砲用の小道具

右奥のはハンドモルチール砲

 

大筒と火矢砲

 

目の下頬と刀筒と空穂(矢筒)

刀筒と空穂(矢筒)と説明板が逆になっていたw

 

目の下頬

 

脇坂安治が賤ヶ嶽の戦いで使用したと伝わる十文字槍

出たぁぁぁ!!脇坂安治ッ!!

安治は賤ヶ岳の七本槍の一人に数えられている。

脇坂安治
片桐且元
平野長泰
福島正則
加藤清正
糟屋武則
加藤嘉明

…の七人。

現代では加藤、福島の両名が突出して有名ですが…

その福島正則は「脇坂などと同列にされるのは迷惑」と語り

加藤清正も七本槍の話題にされるのをひどく嫌ったとされる。

これも有力な譜代の家臣が居ない羽柴プロバガンダの一環なんでしょうな。

 

伊予札縹糸下散紅威胴丸具足

こちらも安治所用の具足で、秀吉から下賜されたと伝わるもの。

そして、隣のショーケースの十文字槍が反射して首の部分に刺さっている…

 

5.近世の街道と揖保川

こちらは近現代コーナー

 

 

 

 

当時の模型

山の上が龍野古城、麓が現在の龍野城

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは

ロビー展「明治の音色を奏でる風琴 ~龍野で作られた池内オルガン~」

明治期の風琴(オルガン)の展示

 

端午の節句人形

大将と旗持は文政9年、白馬が大正4年

 

以上、歴史文化資料館でした。

 

続いて主郭へ。

 

因みに周辺は完全に旧道をそのまま舗装した旧市街です。

クルマが二台がギリギリすれ違える心臓に悪いヤツw

 

こちらは復元された埋門で、現在では正門にあたる。

当時の遺構は石垣のみで門、塀、櫓などは再建になります。

 

桝形虎口

因みにこれ、主郭への最後の虎口だったりw

振り返って桝形虎口と埋門

 

埋門櫓の前は県立龍野高等女学校の跡地だそうです。

これはどう見ても武者溜の跡だよな…

 

謎の通路…

内堀かと思ったが外側に土塀があるので武者走り跡でしょうかね。

 

埋門を上から

 

因みに埋門から先は既に本丸なんです。

二の丸、三の丸は既に残っておらず、本丸の遺構のみ現存しています。

 

本丸御殿

こちらは1979年の再建だそうです。

 

 

左に立てかけている槍は玩具でしたw

 

THE五月人形な甲冑w

 

そしてこれ…

獅子王!!

…の押し型風の御朱印帳です。

しかし、実寸大でしてこれは良いものを貰いました。

獅子王は平安末期の大和国の作ですが、刀工は不明とされる。

東京国立博物館蔵で龍野になんか関係あったっけ?と思ったが…

龍野城築城者が赤松村秀、四代目城主が赤松広秀。

獅子王は源頼政が天皇から下賜されたものとされ、

広秀は頼政の子孫にあたるとされる。

後に竹田城主となった広秀へ受け継がれたというもの。

これ、「獅子王の物語を播磨と但馬に辿る 兵庫県限定 御朱印帳プロジェクト」

というクラファンの一環だそうで、集まった資金で獅子王の写しが作成され竹田城跡に奉納されたそうです。

たぶんクラファン支援者のほとんどが刀剣女子w

 

すべて模造刀ですw

束がプラ製のw

 

 

中庭

 

 

いきなり藩主の間

 

 

上段の間

 

 

 

 

全室の部屋名が1~7号室としか表記されておらず、元々は何の部屋だったかは不明。

 

 

 

この奥は水場で

洗剤やらバケツやら雑巾が干してあって見てはいけないものを見てしまったのではないだろうかw

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、本丸御殿でした。

 

西側からの外観。

 

隅櫓

木に阻まれて城郭内からだとよく見えん…

 

そしてこの先が…

龍野古城。

網が張っているということはこの先、自己責任で登れの意。

たが、本日はこの後にちょっとして山登りと、その後の大物が控えているので登りませぬ。

 

因みに龍野古城は前述した赤松村秀が築城した鶏籠山城という山城。

龍野古城歴代城主は

赤松村秀・政秀・広貞・広秀

蜂須賀正勝

福島正則

木下勝俊

小出吉政

石川光元(城代)

池田輝政・利隆・光政(荒尾成房、池田長明が城代)

本多政朝

小笠原長次

岡部宣勝

京極高和

後に脇坂安政が入封し、その際に山頂部は放棄され、現在の麓部のみの平山城として再建されます。

以後、龍野城として脇坂家が明治まで続いて行きます。

 

高麗門

何も書いてないので正式名は不明w

 

桝形虎口

 

 

左手に学校があるけど

どう見ても城跡だよな…

城に通学するのかw

 

隅櫓

二重だが破風が付いてなかなか立派な櫓です。

因みにこのすぐ左隣は人様の家なんですw

城のお隣に住んでるのかよ…

 

再び虎口を登り

再び高麗門を潜り

駐車場が本丸なので戻らねばならんわけですよw

 

以上、龍野城でした。

 

次回は…

…と言いたいところだが、

22日より、2024年春の旅行へと出立します。

たぶんまた実刻旅記を挟むんじゃなかろうか。