今回より四日目。

 

岡山県中心部を後にし

 

遂に…

 

海の上を走行中…

瀬戸大橋である

瀬戸内海の島々。

すげぇ海の上は走ってるぜと軽く感動を覚えるw

この辺りに小島が多いのは太古は本州と陸続きだった事の名残らしい。

この辺りは工場地帯らしく

盛大に白煙上げてましたw

 

さて遂に来ましたぞ…

我が人生初・四国上陸

 

距離にして約65km、1時間ほどで着。

岡山から香川ってこんなに近かったのか…

あれに見えるが現存十二天守のひとつ丸亀城天守。

石垣の高さ合計約66m(四層曲輪の合計)

日本一高い石垣の城の異名を持つ。

 

…が、単独の高さは三の丸石垣が最大31m、

大坂城の本丸石垣が最大32mで実は日本二位ということが判明したというw

 

先に見えるのが藩主玄関先御門(御殿表門)

外へ出るのかと思ったら山下御殿跡へ続いており

そこから更に大手門へ続いてるそうで、実はこちらが順路と思われる。

 

我々はどうやら脇道から進んでたらしい…

 

あやめ池

御殿の近場というこで庭園跡ではなかろうか。

 

最後の丸亀藩主、京極朗徹の碑

 

大手一の門

本来は御殿表門からここに出るらしいw

完全に脇道進んでましたw

 

桁が凄いことになってまして

思いっ切り歪んでます。

補強のために柱の間に板を入れたのか

それとも板が入っているために歪んだのか

 
桝形から

 

こちらが大手二の門

折角なので一度外へ出ます。

脇から入ったわけですしw

 

内堀(東側)

 

櫓門と内堀(西側)

 

お約束の口パクパク鯉と亀も居ますぜ。

 

大手門のから天守。

ここ、もう少し離れてみると石垣の高さがよりわかるみたいですね。

この角度だと木が邪魔してるものな。

このすぐ先の丸亀市民広場という所からが最高のビューポイントなんだとか。

うわーーーーー勿体ないねーーーーー

高い位置にある城は少し下がって全域を見るべし。

わかっちゃいるんだけどつい忘れる…

 

では、改めて入城。

こちら側がホントの順路のわけですがw

 

幸運の♡石

これか

うん。ちょっと無理があるかなw

幸運の逆さおにぎり石。

 

改めて大手一の門。

こちら、築城当時の建築ではなく、京極氏入封後の寛文十年に再建されたものですが、

これはこれで立派な現存櫓門ですよ。

 

因みに現在の様な近世城郭の姿に改修したのは慶長2年(1597年)

生駒親正が讃岐国へ入封した際に高松城を本城に丸亀城は支城として大改修された。

 

大手一の門先、山下曲輪

 

丸亀ご当地キャラ

真ん中が京極くんというそうで

戦国時代からタイムスリップしてきたそうだ。

京極高次がモデル?

因みに京極高次は若狭国小浜藩主なので讃岐国丸亀藩とは一切関係なかったりするw

 

見返り坂

石垣の高さ=凄い坂なわけですよw

 

帰厚の碑

大正期の公園として払い下げられた際の功績かなんか碑らしい。

因みに丸亀城は在城扱いとなり廃城令は免れている。

そして戦災の影響も受けず、ある意味で非常に珍しいケース。

 

石垣が見えてきました。

 

見るからに高い!!

 

 

これが最大31mの三の丸石垣

31m箇所はたぶんここから更に先と思われる。

 

まだまだ続く見返り坂w

 

坂道登りながら石垣を見る

 

おそらく多聞櫓跡と思われる

 
あと少し。

エンジンから悲鳴上げながら軽トラが登って行きましたw

 

登きって更に奥の石垣へ

特に何も書いてなかったけど

場所的に物見櫓跡ではなかろうか

 

物見櫓跡(?)からの三の丸

右端の木の辺りが月見櫓跡と京極家居宅跡

 

月見櫓跡から

円錐型の綺麗な山は讃岐富士こと飯野山。

 

三の丸

この辺りに京極家居宅跡でしょうかね

 

 

 

 

三の丸まで登り切ってしまえば早いでして

二の丸の桝形虎口。

 

ここから二の丸

 

渡櫓跡の石垣と登り口

 

その先に辰巳櫓跡

 

渡櫓跡からの三の丸。

こちらは搦手側です。

 

辰巳櫓台から

天守が見えます。

二の丸と三の丸の最大のビューポイントは天守の真下へ周ったところだったと思う…

行ってないけどね。

 

本丸石垣

 

本丸への桝形虎口。

 

ここから本丸

 

そしてこちらが現存十二天守・丸亀城天守

1660年築・ 1877年改、独立式層塔型三重三階の「御三階櫓」。

そうなんです。

これ、正確には天守ではなく三重櫓なんです。

1660年はすでに明暦の大火の後でして

江戸城ですら天守の再建を見送ったということで

幕府に遠慮して実質天守ながら天守を名乗らない・名乗れないといった事から使われ始めた呼称。

この時代に五重天守なんて作ろうもんなら親藩でも取り潰されたかもしれませんな…

1616年完成の津山城はもう少し遅かったら危なかったかもしれないw

 

本丸の四つ角に天守、潮櫓、宗門櫓、多門櫓と配置され、

更に天守裏には姫櫓があったそうです。

 

宗門櫓跡から

 

 

 

潮櫓跡から

 

発掘調査かと思いきや

崩落した石垣の修復中だそうですよ。

 

多門櫓跡から

多門櫓跡からの天守

ここから見るとやはり櫓だわ…

 

 

 

天守台から

 

 

いざ、天守内へ。

 

入ってみるとやはり櫓だなーと。

矢狭間が板で塞がっているが…

 

とはいえ、やはり現存建築は良い。

 

 

こちらの柱の構造が火打梁といい

現代の木造建築にも欠かせない構造だそうです。

言われてみれば現代の木造建築でも四隅には斜め方向に梁が入ってた気がする。

 

 

発掘調査で出てきた瓦類

こちらは山崎時代のもの

 

こちらは京極時代のもの

 

 

そしてこの階段…

やばいねこれw

これまで見てきてた現存天守の中で一番キツイw

急角度なのは当然で更には段板の奥行が少ないので足場も悪い。

鍛え上げられた我が体幹の前には現存建築の階段であろうと

「手すりなど要らぬ!軟弱者が使うものだ!!」

…と、手すりを使わずに手放し昇降が美学でしたがw

さすがのこの階段は死の恐怖を感じたので手すり使いましたw

 

二階

現存天守のお約束なのか、どの城へ行っても

他県の現存天守の写真を飾ってる気がするぞw

 

 

こちらの大砲狭間も開いていないが

壁が薄く作られたおり有事の際に突き破って使用できるヤツです。

 

 

 

 

 

二階は更に狭く早くも一周。

 

この階段の奥行の無さがおわかりいただけるだろうかw

 

 

三階

 

狭いw

こうして見ると、やはり櫓だということがわかる。

 

はい出ましたクソボケクズ野郎

必ずいる落書き馬鹿。

テメーの名前彫って何が楽しいの?と本気で聞いてやりたいわ。

重要文化財に落書きしてんじゃねー!この××××××野郎がッ!!

見てるとイラッとくるわー…こういう阿呆は天罰くらってることを切に願う。

 

 

格子があるのであまり広くは撮れなかったが

天守からの下界

 

 

 

以上、丸亀城御三階櫓ならぬ丸亀城天守でした。

天守認定されたのは割と近年の様な気がする…

 

帰りは楽w

麓のショップではやたらと刀剣乱舞クッズが置いてましてにっかり青江をかなり推してましたが

そういや、にっかり青江って京極家伝来なんですよね。

現在は丸亀市立資料館所蔵だそうです。

アネキ達が群がってそうw

 

最後は外堀沿いから帰ります。

 

 

 

アオサギがいる

 

 

 

堀の向こうに山下御殿跡。

外堀沿いからそこへ出るのかと思ったら違ったという…

来るときに通らなかった道が正解w

 

ちなみに例の丸亀市立資料館は城のすぐ隣にある建物だそうな。

そして車停めたのがたぶんこの資料館の駐車場だったじゃないかというw

まったく気にもせずスルーしてたけど

もしや、にっかり青江見れたのかも?

 

…まあ、いいか。

 

 

駐車場付近からの天守。

時間が許せば搦手方面までもっとじっくり見たかったですねこの城は。

城全体がほぼ切込石垣でしたが

搦手側には打込接や野面積みの石垣が残っているそうな。

 

 

次回も四国旅。