現在の岡山県は令制国時代の備前国・備中国・美作国の三国にあたる。
ここに備後国を加えて吉備国と古代日本では呼ばれていた。
因みに備後国のみ現代では広島県に属している。
前々々々回のこれね。
今回は備前国から備中国へ。
その前に本日の昼食。
そしてここでアクシデント発生!!
あ…当て逃げ…だと…!?
この事故処理に結構な時間食いまして…
レンタカーで保険も付いてるので痛くも痒くもないが
返却時に色々と面倒なことになるわけですよ。
事故処理の警察官がチャリでやって来るw
そりゃ時間かかるわw
本日は余裕のあるスケジュールだったのか不幸中の幸いか。
距離的にそんなもんでもないがもの凄い長い距離走った気分…
高松城跡
高松城(こちらは後日)は香川県にもあるので
こちらは通称、備中高松城という。
城郭跡公園ということでコロナ禍だった前回もそんなに影響はなかったが
資料館が閉まっていたのと胴塚をスルーしていたということで
再びやって来ました。
そして結構な人が来てるんですよ。
建物は無く、中世城郭で石垣も無く、
お世辞にも一般的知名度が高いとは言えない清水宗治。
物好きしか来ないかと思いきや、そんなことは無かった。
前方の山に見えるのぼりが
秀吉の陣跡
布陣のオブジェ
日本三大水攻めの一つ、備中高松城の戦い。
羽柴軍30000に包囲されるが、守備兵5000で二度に渡る攻撃を撃退。
城は落ちぬと見た黒田官兵衛は秀吉へ水攻めを進言。
低湿地の沼城の利点を逆手に取った実に見事な策。
三の丸跡
高松城址公園資料館
前述の通り前回は閉まってましたので
ようやく入れる…
が…
あれ…?
資料が全然なくね…?
僅かにあったそれっぽいのが
清水宗治像その一
清水宗治像その二
これだけだったという…
そしてこの資料館やたらと混んでましてね…
駐車場に停まってる車の人達全員ここに居るんじゃないかってくらい狭い建物に集中してました。
あれ?見たことない新しい建物が…
ここ、資料館と同じ建物のトイレだった様な…
備中高松城資料館
令和5年6月4日 リニューアルオープン
この時、令和5年5月21日
まさにオープン直前だったという…
これか!!
こっちにめぼしい資料すべて移動済で何も無かったわけか!!
そして前回に見つけられなかった
二の丸看板があんなところにw
完全に建物の裏になってますw
因みに前回見つけられなかったのはトイレの影になってたからと思われる。
どの道、目立たんということだw
当時を復元した沼。
地下に埋もれていた蓮が自然に生えてきたという奇跡が起こるが…
あれ…?こんなもん?
前回は見事な蓮池だったのですが蓮の葉が少ない…小さい…
まだ少し早いのかと思ったが、
本日は5月21日、前回は5月29日。大して変わらん…
本丸跡
清水宗治首塚。
水没した高松城の状況を見た毛利輝元は、
清水宗治と将兵達を見殺しにできないと
備中、備後、美作、伯耆、出雲の五ヵ国を譲渡する代わりに
宗治と将兵達の無事を条件に和睦を申し入れるが
城主と将兵の安全は保障できないと秀吉はこれを拒否。
和睦は決裂と思いきや…
天正10年6月2日、本能寺の変にて信長が横死。
翌6月3日、秀吉方は明智から毛利に送られた使者を捕らえ信長の死を知る(諸説あり)
毛利方へ信長の死が知られる前に戦いを終わらせたい秀吉は
備中、美作、伯耆の三国の譲渡と城主・清水宗治の首を条件に譲歩。
宗治は 「自分の命ひとつで毛利家と城内の将兵の命が助かるならば安いものだ」とこれを承諾。
和睦は成立。
宗治は切腹作法も完璧でこの場に居合わせた誰もが感服したとか。
この後、かの中国大返しが決行されます。
この和睦が成立せず、毛利方に信長の死が知られれば…
毛利は明智と結託し、
羽柴軍は東西から挟み撃ちにされる絶体絶命の危機に瀕する可能性があったわけだ。
信長といい秀吉といい、やはり天下人となる人には天運が味方してると思わざるを得ない。
高松城水攻之図
この図…かなり違和感ありましてね…w
本陣から宗治の切腹を見守る秀吉の図
この当時の秀吉は織田家臣の一司令官に過ぎないので
あの有名な一の谷馬藺後立付兜はまだ着用していないというか、できないはず。
更に拡大
なんと天守らしきものがあるw
高松城は中世城郭なので城主居館はあれど天守は存在しないw
この先に前回スルーしていた胴塚があるという…
あれか…?
いや、これは違う
少し歩いて完全に住宅街に入ったところで
胴塚→の看板
胴塚→
あった!これか!!
思いっ切り人様の家の庭先ですw
我々的に毛利は敵なわけですがw
そうであっても清水宗治は武士の鑑。
敵ながら天晴とはこの事よ。
あの秀吉ですら「清水宗治は武士の鑑であった」と称賛を贈っているのだ。
前方に最上稲荷の大鳥居。
明治時代に埋め立てられているが、戦国当時は辺り一面沼地だったと思われる。
そして水攻めによって一面水没してしまうと。
以上、備中高松城でした。
しかし、普通に考えて
この小城と5000の兵を助ける代わりに
備中、備後、美作、伯耆、出雲の五ヵ国を和睦の条件に差し出すとは
当時の毛利氏の勢力は
安芸、周防、長門、石見、出雲、隠岐、伯耆、因幡、美作、備前、備中、備後の12ヵ国。
実に約半数で普通に考えてありえないだろと。
秀吉に接近したい安国寺恵瓊の口車にまんまと乗せられたとしか思えんのだよ…
なぁ、アホの輝元さんよ。
これにて本日のスケジュールは終了。
しかし、まだ早い……














































