例の脚に真剣ブッ刺し事件だがとある記事を見て…

初めに加害者の教員を擁護するつもりは全く無いと言っておく。

この事件に対してコメンテーターらしき男が

「居合道家は何故か知らないけど真剣を使いたがる」と発言。

なんでわざわざ危険な日本刀を使うの?なんで居合刀を使わないの?という事。

剣術家にとっての日本刀は職人の道具と同義。

職人は自分の使う道具に強いこだわりを持つ。

同様に剣術家は自分が扱う日本刀に強いこだわり持つ。

もっと分かり易く言えば野球選手が自分好みのバットをオーダーする。

これと同じこと。

自分の振り易い一振や自分好みの一振を使いたいのは当然のこと。

更に言うと真剣と居合刀は感覚が全く違い、同じ形状をしているだけで最早別物。

安価な亜鉛合金の居合刀は重く、バランスが劣悪(初級者にはこれが足枷になる)

特殊合金の居合刀は軽量で扱い易いが、その軽さが仇となり真剣との感覚がまるで別物。

工場生産の居合刀は同じ規格で作られるため、重さやバランスが誤差レベルの違いでしかない。

つまり刀身が合金製である居合刀では真剣を再現するのは不可能ということ

(鉄製の刀身は銃刀法に引っかかるそうで製造することができない)

ある程度のレベルまで腕が上がったら真剣に持ち替えるべきなのだ。

真剣は一振一振が全て違い、同じ物は二つと無い。

刃長・重さ・反り・バランスが一振一振で全て異なる。

特に納刀時には反りが1mm、長さが1mm変わっただけど別世界と感じるほどに刀を扱う感覚が変わるもの。

そして何より真剣を振っている、手を抜くと怪我をするという緊張感。

この緊張があればこそ技に更なる磨きがかかる。

少なくとも我々はそういう修練をしてきている。

ド素人が知った様な口きいてんじゃねぇ。

このクソコメンテーターが。

 

真剣を振って怪我をすれば全て自己責任。

これを他人の所為にする阿呆は真剣を振る資格なし。

他人に怪我させる阿呆も同罪。

心身ともに未熟な者には真剣を絶対に持たせない。

金欲しさに段位を与える流派など言語道断。

つまりはそういうこと。

 

 

はい、では続きといきましょうか。

続・岡山城。

ここから池田氏時代の展示。

池田光政とは西国将軍こと池田輝政の嫡孫である。

父親の利隆が若くして亡くなったため、
幼年の光政に要所である姫路は任せられんと鳥取藩へ転封。
後に叔父の岡山藩主・池田忠雄が死去し、岡山藩へと転封されます。

 

珍しい唐太刀。

金具類が妙に綺麗なので現代の復元かと思ったら当時物らしい。

唐太刀とは唐の国(中国)風の装飾を施した太刀拵の事で

要は上古刀時代の貴族の太刀拵。

サーベルの護拳の様なものが付いてるけど両側に付いてて邪魔で仕方ないだろなこれw

この剣で戦闘は想定してないから関係ないだろうけどw

反りのある日本刀が生まれ、太刀拵が登場してからは

こういった奉納刀や皇族・公家の飾太刀として高位の象徴となります。

そして横からこれ目がけて刀剣女子たちがやって来る!!

「池田光政だって覚えとこ」

これか!!こうやって手あたり次第に情報収集するのか!!

SNS知識ひけらかしへの前段階を垣間見ちまったわ…

君たち、池田光政って何やった人か知ってる?と聞いてやりたいわw

 

徳川家康書状

田中吉政へ宛てた書状

 

このパネル上部の千姫姿絵が何故か撮影禁止…

貴重な書状類は撮影可でこんなただのコピーが撮影禁止とはいかに…

 

唐太刀その二

こちらも東照宮への奉納刀です。

銘 大法師橋来金道となっており刀身入りっぽい。

大法師橋来金道とは日本鍛冶宗匠(刀剣鍛冶界隈のドン)伊賀守金道の系譜。

大法師橋と切っているので二代目か三代目金道の作。

「来」の字を切っているのは京の来派を再興したからとされているが

金道の出自は美濃伝なので山城来とは別物と言っていい。

特に初代金道は当時の名工の一人だが、やはり古刀期の名工には遠く及ばない。

こちらは護拳みたいなのが片側のみだけど棟側に付いてるので邪魔な事この上ないw

こちらも葵紋。

こちらも同じく刀剣女子たちが群がり…

「オシャレやね」

それ、正式な日本刀の拵じゃねーぞと思いっ切りツッコミ入れてやりたかったわwww

にわか知識に知った様な気になってるものほど滑稽なことは無い。

 

津田永忠の展示

藩主の補佐役で土木事業を行い、後楽園造営の指揮をとったのもこの人。

津田家は織田家の同族とされ、津田といえば津田信澄を連想するが

信澄の津田家と永忠の津田家に血縁は無いらしい。

 

池田光政遺言状

永忠と泉八右衛門へ宛てた書状

 

黒漆塗金銀蒔絵箱入池田光政筆「太極図説」

…とその図説

 

木製揚羽蝶紋掛飾

 

家紋入煙管

これ、家紋が象嵌でも彫刻でもなく高彫なんですよ。

 

 

 

ここから池田時代の武具

火縄銃と抱大筒

 

 

雲生の太刀

おお!雲生が展示されてるとは!!

鵜飼(宇甘)派の刀は非常に珍しい。

よく詰んだ地金に南北朝らしい黒光りする刀身と品格ある姿。

いいですねこれ。

茎は少なくとも三度に渡る大磨り上げ。もったいねーなー…

刃長の記載は無かったけど、見たところ65cmくらい。

左端の目釘穴が元の位置だとすれば刃長は80cm超えだったんじゃなかろうか。

同時代に流行した長寸の太刀。

刀剣女子たちよ唐太刀なんてどうでもいいからこっちを見なさい。

 

日置雲外の「滝山水図」…のパネルw

 

金小札緋威袖付具足と鎧櫃

鎧櫃には簡略だが葵入り。

こちらも池田光政が東照宮へ奉納したものだそうです。

こちらは前立てに葵紋。

 

ここから幕末~明治期

 

 

岡山城内博覧会図

 

 

池田政詮書「鹿島大明神」と奥村左近太ゆかりの紺糸縅当世具足

因みに当世具足とは、旧来の大鎧・胴丸・腹巻とは違う「当世=現代」の具足という意味である。

この当世とは戦国~安土桃山時代のことを指す。

幕末期の具足に対して当世という表記は…

 

ここから三階。

関ヶ原コーナー

右のド派手な月の前立て付きの赤備は宇喜多秀家の復元甲冑。

左が伝・花房正成所用 紺糸縅二枚胴具足

 

この後ろ姿は…ヤツだッ!!

違い鎌紋の赤い陣羽織!!

金吾さまこと小早川秀秋w

織田信雄、毛利輝元と並ぶ戦国三大ネタ武将であるw

 

杉原紀伊守ほか禁制札

 

小早川秀秋知行方目録

 

岡山城鯱瓦留め釘

空襲で焼失した天守の残骸だそうです。

 

短筒

 

 

池田輝政の復元甲冑

かなり着崩れしてないかw

 

朱皺革包鎧蝶紋胡簶

 

ここから四階。

宇喜多直家像

 

戸川達安所用、素槍の穂先

戸川達安は直家時代からの宇喜多家家老だが、宇喜多騒動により常陸国へ蟄居。

関ヶ原の際は東軍に属し、元・主家と敵対することに。

 

 

井上泉守国貞の脇差

個人的に日本刀史で一番つまらんと思っている寛文新刀期の一振。

うわぁぁぁ全く興味ねーーーーーw

 

豊臣秀家 黒印状

秀家は豊臣姓を下賜されている。

 

前田利家書状

嫡子・秀高誕生祝いの書状だそうです。

 

右に宇喜多秀家肖像

左は流罪先で詠んだ宇喜多秀家和歌書

 

金箔軒平瓦

発掘調査で見つかった宇喜多時代の金箔瓦だそうですよ。

 

五階

 

金鯱

こちらは天守再建時に作られたもの。

 

こちらが現在の金鯱(南側)

金鯱(東側)

その奥には後楽園

 

六階 展望室

華頭窓が再現されてます。

ここ、東西にしか大きな窓が無い上に東側はパネルみたいなもので覆われてましてね…

 

西側の内堀

 

 

 

 

後楽園

うーーーん…

あまりよく見えんね…

 

華頭窓からの南側

く…苦しい…!!

 

東側が覆われているので月見櫓は見られなかった。

 

最後に地階

 

 

 

備前焼の展示

左:灰器(桃山期)

右:木葉形皿(江戸前期)

 

以上、天守でした。

 

この辺りも再塗装されたのか綺麗になってます

この辺りでさっきの刀剣女子達とすれ違うw

 

廊下門(本体)

ここにも新たに木の階段が設置されてます。

あ…現代テクノロジーは意地でも使わんとか言いながら素で使ってましたw

 

例の恐怖の橋w

 

 

恐怖の橋からの天守

なるべく下を見ない様に…見ない様に…

次回はこの足で後楽園へ。

続く