あーーーーー……

またかよ……

またヤツらかよ……

 

先日のニュース。

脚に真剣ブッ刺し事件。

人と相対し、間合いに入った状態で真剣を使うなど絶対に有り得ない。

そんな基本中の基本すらも守れない愚か者に

真剣を振る資格なし!!

技術や知識は金で買えねーんだぞっての!

その腐り切った制度を根本から改めるべし!

 

我ら不伝流では人と相対して指導する場合は必ず木刀に持ち替えている。

居合刀ですら切先は鋭利で危険なのだから。

何の落ち度も無い我々にも飛び火し、また肩身が狭くなるから

頼むからこれ以上問題起こさないでもらえんかね…

 

 

はい、では続きです

今回から三日目。

広島県から再び岡山県戻り、

岡山市へ。

 

二年ぶりにやって来ました備前国岡山城。

実は松江城以外で二度訪れた城は岡山城が初なわけですよ。

 

堀からブォォォォォン…ブォォォォォンと謎の音が…

正体はウシガエルだそうです。

すげぇ鳴き声だな…

 

 

泳ぐ白鳥

前回はそこの小屋で爆睡こいてたので白鳥なのか白鷺なのかよくわからなかったが正体は白鳥でした。

 

優雅に美しく、首の角度もキメるw

ヤダカッコイイ♡

なにこのイケメンw

 

看板が新しくなってました。

 

立て看も新しく。

内下馬門付近の巨石

これ、最大で高さ4.1m、幅3.4mだそうです。

 

 

本丸下段

二の丸、三の丸は既に残っておらず橋を渡ればすぐに本丸下段なわけです。

 

あれ?なんか変わったか…?

右側に木製階段が新しく設置されてました。

元々ある階段も傾斜は緩いと思うんだけど手すりが無いからか…?

 

不明門下の石垣

天気が良いとよくわかる。

櫓門の下の石垣の色が明らかに違う。

小早川時代にはこの門はなく、池田氏時代に建てられたそうです。

 

 

新しい階段は使わんw

現代テクノロジーは意地でも使わんw

地面舗装されてんだけどさw

 

鉄門跡

 

 

本丸中段

不明門

天守オープンまでまだ時間があるので先に中段をうろつきます。

 

大納戸櫓跡

 

 

その下

発掘石垣でしょうかね

 

多聞櫓跡

 

 

宇喜多時代の石垣その一

 

 

 

これ、地層の断面を見せているのではなく地層を貼ってるだけでして

二年前はそうでもなかったが、かなり剥がれてきてますw

 

表書院跡

 

この地面、石の区切りが表書院の間取りを表してます。

 

 

宇喜多時代の石垣その二

 

これたぶん丁度、隅石の部分ですよね。

 

泉水

表書院の中庭にあった泉水を復元したものです。

発掘調査で出土した遺構は地下に保存されているらしい。

 

そして例の謎の門。

廊下門の側出入口だそうです。

天守真下の渡り廊下へ続いており、上の段と中の段を結ぶ城主専用通路だそうです。

前回は扉が錆びてボロボロでしたが綺麗になりましたね。

ここに廊下門の看板があるのはそういう事らしい。

そして年に何度か開くらしい…?

 

 

銃眼石・穴倉

銃眼石とは奥の塀の下にある狭間のこと。

前回はこの古い看板とは別の看板でしたが鳥のう〇こくらってましたw

 

穴蔵

現代でいう冷蔵庫だったそうですよ。

 

そして城内唯一の現存建築物

国指定重要文化財、月見櫓

正確な建造年は不明で1615~1632年。池田忠雄の城普請によるもの。

改めて見ると三重櫓で結構大きい。

小城の御三重櫓(天守の代用)くらいはあるのかも。

数年に一度単位で内部も一般公開されるそうですがね…

 

それでは、そろそろいい時間なので天守へ登りましょうか。

不明門

「あかずのもん」と読む。

常に閉ざされていたとか。

 

 

本丸上の段

 

 

天守の礎石

焼失前の天守を支えていた礎石。

再建の際にこちらへ移されてはいるが並びのはそのままだそうですよ。

 

六十一雁木上門

城の裏に流れる旭川へと続く石段の数がその名の由来。

 

岡山城天守

左端に写ってるJK…

ぬ…JK?

いや、ちょっと待てガタイ良すぎじゃね?

あれはたぶん男だwww

 

そもそも本日、日曜日である。

 

鉄筋コンクリート造だが、外観復元なので外面は忠実。

望楼型天守で慶長初期の建造ということがわかる。

 

前回はコロナ禍の真っ只中で天守は閉鎖中でした

今回はそのリベンジでもあったのだ。

 

いざ、天守攻略

一階

当時の本丸再現模型。

丁度これが現在の城郭公園と同じ面積。

本来はこの内堀の外に二の丸、三の丸があり、相当デカイ城郭だった。

欲を言えばその模型が欲しかったなぁ…

 

一階は体験コーナーだそうです。

刀やら火縄銃やらを体験できるんだけど

華麗にスルー

普段から持ってるのでなw

 

駕籠

我々的にはむしろこういう方が珍しいw

 

着付けコーナー

後で知ったが、先行していた又五郎殿が殿に扮装していたそうですw

 

折角なので乗っておくw

そういや昨日も福山城で乗りましたな

 

 

二階

在りし日の天守写真。

廃城令によって堀は埋め立てられ、城内の建物の大半は破却。

天守・月見櫓・西之丸西手櫓・石山門は残されたそうですが…

後の岡山大空襲によって天守と石山門は焼失している。

 

廃城令による破却を免れた天守でも後に空襲やら火事やらで焼失するこのパターンよ!!

明治のカスどもに昭和のクズどもめが…

 

二階は数少ない宇喜多コーナー

宇喜多秀家父子の連署書状

関ヶ原合戦後、宇喜多秀家は八丈島へ流罪となっており、

仕送りの際に豊島作十郎へ宛てた受取状。

 

こちらも宇喜多秀家父子の連署書状

こちらは旧臣である花房志摩守へ宛てた礼状。

 

八丈島宇喜多家内宛書状

前田家から宇喜多家へ宛てられた礼状の写し。

秀家の正室、豪姫(前田利家の四女)所用の小袖の裂が送られてきた事への感謝状。

 

こちらが豪姫小袖下布切

…の複製であるw

 

豪姫肖像画

後ろの非常灯が反射している…

 

花房家系譜

 

宇喜多ならびに家臣抜き書

宇喜多直家・秀家とその家臣の経歴と業績が記されているそうです。

 

知行目録(花房志摩守宛)

 

徳川家康朱印状(花房志摩守宛)

家康から花房正成へ備中小田群・後月郡の支配権を与える証書だそうです。

 

城主の間の復元と

輿入れの駕籠

世間一般では城=天守と広く誤解されているため

殿は天守に住んでいるという思っている人がかなり多いはず…

天守の役割は城攻めに遭った際の最終防衛施設的意味合いが強く、

内部は装飾も無く簡素で、最低限の生活設備しかなく、城主が生活するにはあまりにも不向き。

生活の場や政務を取り仕切る場は主に御殿だった。

 

なので、天守内に城主の間があるのは非常に珍しいのだ。

 

ただし、例外は存在する

信長の安土城。

信長は天守内に自分の居住空間に作り

装飾を施し、そこで寝泊まりしてたとか。

 

 

続く。