続・津山城。
城内唯一の復元建造物である備中櫓。
2002年が築城400年の節目だったそうで記念の一環として復元されたそうです。
備中櫓の名は池田備中守長幸(鳥取藩主、池田輝政の甥で森忠政の娘婿)に由来するそうな。
何かと縁の深かった森家と池田家。
だが、櫓は後回しw
まずは本丸主郭部へ。
天守は権力の象徴的な意味合いが強く、城の本丸内は至ってシンプルな構造が多い。
ほぼ例外なく天守の真下は大きな広場になっている…
…が、ここに例外があった。
この津山城は天守の目前にも虎口が待ち受けています。
五番門
搦手かと思うほどのこの狭さ。
こちらが復元された土塀。
武者溜りと狭間が設けられおり、本丸から二の丸を狙い撃ちにする為のもの
右の石垣が六番門跡で天守と連結していたそうです。
在りし日の津山城天守は一見すると独立天守に見えるのですが
この六番門と連結した複合式天守だったそうです。
手前が六番門。
この主郭部は独立曲輪としての意味合いが強く、天守曲輪と呼ばれているそうですよ。
掛川城も本丸内の主郭部を天守曲輪が呼ばれているが
あちらは元々の本丸だった曲輪が天守曲輪となり、
新たに拡張された曲輪が本丸になった。
本丸からの二の丸
多聞櫓跡
この舗装路の部分が櫓跡の面積と思われる。
右に見える石垣が天守台。
天守を囲う様に南北の二重櫓と渡櫓を連結した二十四間(約43.5m)の長い櫓だったそうです。
多聞櫓からの備中櫓
多聞櫓跡からの二の丸・三の丸
天守台
天守台の脇には七番門跡
長櫓跡と八番門跡
こちらは先程の五番門の反対側の門。
天守の真正面に櫓はなく塀が設けられていたそうです。
塀の向こう側には本丸御殿があったそうです。
いざ、天守台へ。
なんか賽の河原になってましたw
これ、特に深い意味は無いと思うんだけど…
こういうのって誰かが始めるとそれが連鎖して
次に来た人が真似してやってくんだよなぁ…
天守台途中からの備中櫓
四層五階地下一階の天守だったそうで
ここがその地階。
ハートの奇石とな
これですねw
確かにハートだわw
正直、城郭に恋愛スポットは要らないんだよなぁw
石垣の面積からそんなに大きな天守ではなかったんじゃないでしょうかね。
しかし、四層五階なので高がさあり、石垣を含めると27.9m(建物22m)と
一般的な天守では最大級の高さがあったそうですよ(江戸城とか名古屋城とか大阪城が例外)
因みに四層五階とは方便でして…
1616年、13年の歳月をかけて津山城が完成。
しかし、津山に5重の天守が建ったことを知るや、幕府からイチャモン付けられる。
1616年と言えば家康が亡くなり、満を持して逆恨み将軍様が俺様色を全開させ始めるのであるw
おいこらぁ、外様のクセしてなに五重天守なんか作っとんじゃボケェ
それを聞いた森忠政は江戸へ赴き「四重である」と主張。
しかし、聞く耳持たん幕府は津山へ調査の使者を向かわせる。
忠政は家臣を津山へ先回りさせ四重目の屋根瓦を破棄させ
「あれは屋根ではなく庇(ひさし)である」と四重主張をゴリ押し。
幕府はそれを容認したそうな。
さすがは鬼武蔵の弟よw
森家もあわよくば取り潰してやろうって魂胆だったんでしょうねこれ。
在りし日の写真を見ると四重目は板葺屋根になっており、パッと見で確かに四重に見える。
しかし、どう見ても五重だよな…とw
真上から見ると礎石が残っているのがよくわかる。
天守台からの備中櫓。
あ…西側撮るの忘れてた…
天守手前の石垣
これはおそらく階段跡
こちらにも階段跡
奥行の無い石垣にはこういう階段が用いられている模様。
天守台南側
六番門跡
詰石が落ちたのか
内部構造が見えます。
石垣は崩落防止のため大きな石の裏側には小さな石が敷き詰められている。
それでは、今度こそ備中櫓へw
名前こそ櫓ですが
なんと畳敷きなんです。
全室に畳が敷かれた総畳敷きなんだそうです。
森忠政と池田輝政の関係
忠政の先妻と輝政の先妻は姉妹。
輝政の次男、忠継の正室が忠政の娘。
輝政の甥、長幸の正室も忠政の子。
因みに小牧・長久手の戦いにて池田恒興(輝政の父)と森長可(忠政の兄)が副将格として出陣しているが
恒興、元助(輝政の兄)、長可いずれも討死している。
嫡子ではなかったが兄の死によって家督相続が転がり込んできた境遇も似ている二人。
当時の備中櫓平面図が残っているが…
解読困難で何処が何の部屋なのかは不明…
なるほどね
櫓の外観だが、内部は御殿建築。
戦のための砦ではなく生活空間として機能していたそうです。
魚類の様な顔の殿様w
「忠」と書いているのでたぶん森忠政w
厠も復元
ここから格式が上がります。
御座間九畳
違棚
御茶席七畳
続いて二階へ。
階段も虎口を思わせるコ型と手が込んでますw
壁には狭間があるという…
確かに外から見ると閉じた狭間があるんですよね。
簡単に突き破れる構造で、瞬時に狭間として使用できる。
上段が設けられており
殿の居室ですね。
御上段
生活空間と言えど有事の際はそこの狭間から鉄砲や弓矢を射かけるのでしょう。
櫓に見せかけた御殿なのでフェイクかもしれんが…
階段は現代に合わせて少し緩く作っているのではないでしょかね。
それでも昔仕様なので
お約束の頭上注意でガツン
ここに攻め込んでくるのを想定したかはわからんけど
最上階への階段はL型の天守が多い。
櫓はほとんど一直線。
櫓でコ型は手が込みすぎてると思う。
復元模型ありし日の津山城…
…の模型。
こちらは次の次かな…現物が登場予定。
備中櫓を出ましてここから別行動。
皆様は城下の観光へ行くそうですが
ワタクシは一人、城郭内をくまなく周りますよ。
まずはこちらから
包櫓跡
太鼓櫓跡
現在は鐘楼が建っており
こちら、鐘楼全自動撞木装置なるものが内蔵されており、
その名の通り定刻には自動で鐘が鳴り響くそうですよ。
東側からの本丸
走家跡と端の一段高い石垣が矢切櫓跡
走家とは土塀に付属の平家だそうです。
十一番門跡とその奥が栗積櫓跡
栗積櫓跡
こちらは城の北側
西側
南側
向こうに見えるのが先ほどの矢切櫓跡
一段低い石垣に
大戸櫓跡
正面が先ほどの栗積櫓台
下に見える石垣が桜門跡
手が入っておらず完全に自然に返ってますねw
この辺りが長屋櫓跡
前方になんか凄い曲輪が見えるぞ!!
この辺りは一見すると櫓が建っていそうな形状ですが土塀のみだった様です。
塀の裏に武者溜りで
こちらが側を向くと、真下が丁度裏鉄門の桝形虎口。
つまりここから狙い撃ちにすると。
絵図にはあるが名称が謎の櫓跡
腰巻櫓跡
残念なことに石垣が崩れてしまっています。
真下にはなんか凄そうな階段が…
先ほど天守側から見た八番門
その隣に土塀の石垣。
石碑は森家入封三百年記念碑。
そして、今立っている場所が本丸御殿跡だったり。
後編へ続く。






































































































