第一次上田合戦時の真田昌幸の年齢39歳。
大河の昌幸が老け過ぎだと思う…
第二次上田合戦時でも54歳なので、白髪頭になるのは九度山での最晩年になるんじゃないのかね。
佐藤浩市氏は昨年の上総広常が大変素晴らしかったので期待大なんだけど
第一次からあの白髪頭には違和感しか無い…
因みに家康は昌幸より4つ年上であるw
さて、続きです。
続・小諸城。
水の手展望台から本丸へ戻り、地獄谷は恐ろしいのでスルーw
欅の巨木
推定五百年だそうです。
500年前という事は小諸築城以前からでは?
荒神井戸
先程の懐古神社でカグツチが荒神として祀られていたが何か関係あるんだろか
寛保の戌の満水の際に掘られた井戸だそうですよ。
この辺りは紅葉ヶ丘というそうで
紅葉の名所だそうです。
まぁ、この時6月ですがねw
はい、一周してきました。
再び黒門跡
これは崩れた石垣に木が生えたのではなく
石垣の上に木が生えていたところ石垣の崩落によって土台ごと斜めになったんじゃなかろうか。
三の門
あれ…?下り坂になってる…
あ、これはあれだ!いつぞやにTVで見たヤツだ!
今更ながら気づきましたが、あれは小諸だったのかw
小諸城は城下町よりも低い位置に築かれた穴城と呼ばれる日本全国唯一の構造。
大手門に向かって更に登って行くわけです。
塀の向こうはJR駅。
この辺りは三の丸跡になるのですが城内に線路が敷かれる城郭跡って結構多いんですよね…
脇の駐車場から入って来たのであれなんですがw
本来の正面入り口はこちらなんでしょうね。
見事な切込石垣。
そして、こちら
小諸城大手門
慶長17年(1612年)創建。
国の重要文化財です。
1612年ということは第二次上田合戦の際にはまだ無かったんですね。
仙石秀久が小諸へ入城したのが天正18年(1590年)で、城内の改修もすぐに始まったと思われる。
つまりはこの約20年間に築城技術は大幅に進化したということがこの石垣を見てよくわかるのだ。
中は展示室。
以下、展示物。
こちらは新しい物っぽいですね…
奥の間へ。
こちらが古い物コーナーかな
大手門からの三の門
ほとんど見えんw
大手門でした。
最後に三の門。
以上、小諸城でした。
予定変更して大正解でしたね。
石垣マニアにはたまらん素晴らしい石垣でした。
道中、再び上田市入り。
山頂に屋根が…
あれに見えるは砥石城!!
車窓からの砥石城とは僥倖でした。
しかし、あれだね…
上田市は真田三代を謳ってはいるものの
その実、ほぼ幸村一色。
上田城の真の英雄は昌幸に信幸なわけだ。
信幸は松代との紳士協定があるのかもしれんけど
真の英雄である昌幸をもっと大切にしないとダメなんじゃないのかね?
圧倒的知名度で幸村を推したい気持ちはわからんでもないだけどさぁ…
上田城に真田十勇士も完全に場違いなわけだし…
そもそもフィクションだしね十勇士。
第一次合戦では幸村は参戦していたのか不明。
第二次合戦では昌幸の指揮下で戦っていた将の一人に過ぎない。
幸村が真田家の総大将として自らの指揮で活躍するのは大坂の陣。
松本市へ戻って本日の夕食。
去年の岡崎といい、旅先でのラーメンには当たりが多い。
松本という事は…
当然、再びやって参りました松本城。
松本城と言えば石川数正。
先週の大河の数正は大変素晴らしかった。
実際のところ、数正の鞍替えには謎が多く真実はわかっていないそうですが
家康と数正の間での二人だけが知る真実、秀吉の元へ下ったフリをしたスパイという説がある。
今年の大河はこの説に近いのを採用したのでしょう。
直政がこの裏切り者がぁぁぁ!!とブチギレる逸話も残ってますがw
今度こそは美しい水鏡逆さ天守を撮ってやろうかと思ったんですがね…
上手くいかんなぁ…
お…?
波打ちが弱まって…
おおお!素晴らしいッ!!
完全な水鏡とはいきませんでしたが、全ての櫓が見えるこの位置で水鏡が見えるとは最高か!!
左から乾小天守、渡櫓、大天守、辰巳附櫓、月見櫓。
しかし、少し移動するとこの通りで
あ…
お前らかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
鯉が泳いでるので水面が波打って綺麗な水鏡ならんという事でした。
埋橋から
元・彦根城内堀の白鳥も
鯉と松本城天守
しかし、手前の一匹を以外こちらに気付いておらずあまりおもしろい絵は撮れなかった…
やはり全ての櫓が見えるこの位置が一番美しい。
以上、松本城でした。
続く
次回は遂に最終日。










































































