本日は一日かけて真田の郷巡りの予定でしたが

なんか色々と肩透かしを食らいましてね…

急遽、予定変更。

 

信濃国佐久郡

第二次上田合戦の際、秀忠率いる中山道軍が本陣を置いたという

小諸城

 

真田は真田でも今回は真田を攻める側ですよ。

築城者は武田信玄。

近世城郭へと改修したのが仙石秀久。

仙石氏の上田加増移封前の所領が小諸なわけです。

 

三之門

明和2、3年(1765、1766年)頃の再建と推測され、

仙石氏時代の門は寛保2年(1742年)に起きた寛保の戌の満水の際に

大洪水によって破壊されてしまったそうです。

 

見事な石垣ですが

こちらは昭和の復元石垣だそうです。

当時より大きな石で復元とな…

 

 

石垣に埋め込まれた謎のレリーフ

小諸塾塾長 木村熊二だそうです。

詩人の島崎藤村は小諸塾に英語教師として赴任していたそうですよ。

 

こちらが二の門の枡形門跡 。

おそらくはこの桝形門跡からはオリジナルの石垣と思われる。

 

二の丸跡

この階段の上の曲輪「のみ」が二の丸だそうですよ。

一般的な城郭では本丸へ到る前の曲輪、

いわば本丸への侵入を食い止めるための防衛拠点になるのが二の丸なわけですが

小諸城は二の門から侵入した敵の背後に二の丸がくるわけです。

通路が非常に狭く

背後に二の丸、左手に南の丸、右手に北の丸と三方が曲輪で囲まれるわけです。

 

 

中仕切門跡

これは石垣が崩れてしまった後ですね…

 

 

こちらが北の丸

 

現在は弓道場になってます。

 

 

こちらが南の丸

 

 

 

 

順路へ戻り

 

懐古園稲荷神社

 

黒門橋

 

黒門跡

石垣の半分が崩れて更には木が生えてきてるという…

 

 

こちらは搦手方面

 

 

まずは順路で

 

 

お駕籠台跡

その名の通り、駕籠に乗って来た客人はここで降りろという事だそうです。

 

ここから本丸

この見事な石垣よ。

 

馬を降りよこの無礼者めが

 

懐古神社

 

天満宮の名を見るや否や

菅原道真公を信仰するトシゾー教授が我先にと拝殿へ突撃して行きましたw

祭神は小諸藩主牧野氏歴代の霊、菅原道真公(天神様)、火之迦具土命(荒神様)

カグツチも祭神なんですね。

諸説あるが藤原氏の始祖であるアメノコヤネの父がタケミカヅチ、その父がカグツチ。

つまりはじさま神。

 

 

 

 

 

 

鏡石

伝・山本勘助愛用

 

本丸の更に上に曲輪があるという

これ、武田時代には本丸防衛用の曲輪だったのでは。

懐古神社のあたりに居館を置いてここは土塁だったんじゃなかろうか。

 

こちらが天守台。

三重天守があったそうですが

1626年(寛永3年)に落雷によって焼失し、その後は再建されなかったそうです。

同じく中世城郭から近世城郭へと改修された掛川城も天守が独立曲輪でこんな感じでしたね。

 

 

天守台からの眺め

恐る恐る下を覗く…

ヒ…ヒィィィ…!!

けど、米子城ほどではないかw

向こうは下の曲輪の下にも曲輪があって更にその下は崖っぷちなので更に恐ろしく感じたわけだw

 

 

こちらが天守台

この曲輪からだと石垣は低いが

下から見るとかなりの高さの天守台なのです。

 

こちら側は石垣が少し低く地上が近くなるので

このくらいの高さなら大丈夫w

 

降りてみると

確かに天守台との高さが違うのがよくわかる

 

 

風林火山の立て看

山本勘助ゆかりの城と言われているが実は根拠となる資料は無いらしい。

 

こちら、遠目で見ると土塁と思いきや

浅間山の田切地形なんです。

浅間山の火山活動で噴出した火砕流が固まり、

河川によって削られて出来た地形だそうですよ。

 

本丸裏手

 

本丸の石垣

 

小諸八重紅枝垂

 

 

 

こちらが天守台

下から見るとかなり高い…

さっきまでこれの上に立ってたのか…

野面積や打込接でも保存工事なんかで切込の隅石で補強したのをよく見るのですが

補強が全く見られない改修当時の状態。

仙石秀久が小諸へ入城したのが天正18年(1590年)で、

関ヶ原合戦の前までには改修工事は完成してたと思うんですよ。

関ヶ原前後の20年間を慶長の築城ラッシュといい、築城技術が飛躍的に向上しています。
おそらく慶長の築城ラッシュの最初期に近世化に改修されたのが小諸城。
そんな最中でも逆恨み将軍を憚り信之公は破却された上田城へ最低限の補修しか行っていない。

よく見ると一部に粗割石使ってませんかねこれ。完全な野面積ではないんじゃないかな。

そういった意味でも過渡期の築城技術が見られて非常に面白い。

 
ここを見ると隅石を交互に組んでありまして
後の算木積へと発展していく過渡期の技法というのがよくわかる。

粗割石の加工技法によってこういった高い石垣の建造が可能になったそうですよ。

 

小諸八重紅枝垂

 

横山祖道の句碑

 

武器庫

再建だそうです。

 

酔月橋

見るからに恐ろしい橋…

ここは地獄谷というそうです。いや、確かにここを渡るのは地獄でしょうよw

 

水の手方面へ

 

島崎藤村の歌碑

 

水の手展望台

 

水の手不明御門跡

 

こちらが門跡の石垣

 

 

 

 

展望台から

左右に見えるのが千曲川。

 

しかし、支流も含めたこの千曲川が

小諸城、松代城、上田城の側を流れてるってんだから凄いもんだよなと。

 

現在は展望用のテラスが設けられていますが

下の石垣がおそらくは本来の曲輪の石垣でしょう。

 

こちらが先ほどの恐ろしい橋と地獄谷

橋の上から田切地形の断崖がよく見えるらしいが…

恐ろしいので行きませんw

 

以上、小諸城・前編でした。

後編へ続く。