掛川城公園。

ある意味、天守よりもこちらが本命と言えるかもしれない。

二の丸御殿

数少ない現存御殿のある城郭で

二条城、高知城、川越城、掛川城

現存四御殿の内のひとつ。

城=天守というか、

天守閣という建物の事を城だと思ってる人が大多数と思われる一般人w

まあ、そういう私も昔はそう思ってましたがねw

正確には城郭全体を指して「城」と呼びます。

つまりは掛川城は天守よりも御殿の方が歴史ある建造物ということ。

因みに入口前の面積狭く、どう頑張っても建物全体が入りませんw

 

御殿前からの天守。

この位置には蔵と厠があったそうですが現在は消失しています。

 

いざ入場

模型の横に置かれるAEDがシュールw

 

重文認定証

 

こんなところに刀置いてええんかと思ったら

樹脂製柄の安価な模造刀でしたw

 

御広間

 

 

廊下へ

内部は部屋がかなり入り組んでいるので入口を背にした進行方向書いときますw

進行方向↑

 

進行方向←

 

三の間

 

 

 

進行方向↑

三の間の中から

御二の間

その先に佇む雷神様と教授

三の間を出て

進行方向←

 

次の間

 

 

 

 

進行方向↑

 

縁側からの天守

 

 

進行方向→

御書院上の間

殿の仕事部屋ですよ。

 

 

 

 

御書院上の間から

進行方向→

御用部屋

右半分が先ほどの御二の間ですが、かつては仕切られていたのだろうか?

 

御用部屋からの中庭

 

 

御書院上の間を出て

進行方向↑

 

 

中庭へ続いていると思われる廊下

順路を外れて何処を見たのか混乱しそうなのでスルー

 

 

以前は日本庭園だったんじゃないかと思われる庭

庭園の後ろに天守は最高の眺めだっただろうなぁと…

更に晴れの日にこの角度から眺めると

天守の後ろに太陽という神々しい姿も見れる様です。

天気悪いんだよ今日…

 

進行方向→

小書院

 

 

 

 

 

進行方向↑

 

進行方向→

次の間

 

 

進行方向↑

進行方向→

長囲炉裏の間

前回、外から見えてたのはどうやらこれだった模様。

歴代城主の甲冑コーナーでした。

うん、かなり小さいね。

このサイズは若様の甲冑と小太刀でしょう。

柄頭をよく見てみよう。

猿手ではなく太刀の太鼓革みたいなの括り付けてないかこれ?

 

火事装束と

こちらも小さめの甲冑

掛川藩太田家初代藩主 太田資俊公の甲冑だそうで

小柄な江戸中期の人とはいえ、さすがに小さすぎるので幼少期のものでしょう。

 

 

こちらは成人サイズの甲冑。

桜井松平氏掛川藩主(通算三代目) 松平忠喬

桜井松平氏は移封によって二度に渡って藩主になっています。

 

尻鞘付きの太刀拵えだが、鞘も見たいので外してほしかったりw

 

隣で見てた親子連れがこの尻鞘を見て

あの毛みたいの何?としきりに父親へ聞いていたが

やはり答えられなかったので教えてあげましたw

コイツはなぁ鞘が接触して馬が驚かないようにしてるんだぜボウズ。

他にも鞘を雨や湿気から保護する目的もあった。

しかし、南北朝あたりまではよく用いられたようだが

戦国時代の騎馬武者にはほとんど見られず、後年は儀礼用の意味合いが強かったのでは。

 

大筒と床几

床几って構造そのものが現代のキャンプチェアと全く一緒なんですよね…

元々は古代中国から伝わったそうで、

中国では漢の時代、日本では古墳時代から既に存在していたそうな。

そう考えるとすげーよな。

前漢の建国は紀元前200年代である。

 

唐獅子の置物と手毬と

これは干支の置物?玩具?

見てくれこのゆるい顔をw

まるで現代のゆるキャラフィギュアの様じゃないかw

 

太田竹城の扇書と葉茶壺

太田竹城は掛川藩家老にして書道の先生だったそうな。

いずれも寄付は太田氏子孫と思しき方から。

 

長囲炉裏の間を出まして

進行方向→

裏庭前

ここだけ非常に簡素な造りです。元々は外へ出れたのかもしれない。

次回は暗黒ゾーンへ。

 

続く。