4月16日を最後に奉納演武を控えた一ヶ月前という最悪タイミングでの休館。
奉納演武前に松江で練習時間を取れたのが救いだったが、
そこから何もできずに二ヶ月・・・
ようやく落ち着きをとり戻しつつあった7月16日、遂に復活!!
・・・と思いきや、
国の阿呆政策によって、ふりだしに戻るどころか三倍くらいに跳ね上がり、状況は過去最悪・・・
その煽りを受けてたった一日にして再び来月までの休館。
その後も8月末まで、9月中旬まで、9月末までと再三に渡る延期を繰り返し、待つこと約4ヶ月半!!
10月1日
遂に遂にの復活じゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~~~~~!!!!!!
あ~~~~~長かったわ~~~~~
身体鈍ってるわ、体力も筋力も落ちてるわで
これ以上長引いたらたぶん駄目になるw
で、鏡を見ると腕周りと足周りが少し細くなってるんですよw
やはり筋トレ程度じゃ追いつかないというか、実技をやらんとダメなわけですね。
使ってる筋肉が違うんだよやはり。
そして、久しぶりに構えた愛刀を見て気付く
あれ?柄糸が・・・
左右で色が違う事にお気付きだろうか。
元々、この柄糸は鮮やかな紫色だったのだが
使い込む内に穢れてドス黒い腹黒紫へと変色してしまったのだw
鍔側が変色した腹黒紫で柄頭側が元の紫色。
つまりは柄頭側はそんなに頻繁に触れる事はないので健全な紫色を保っているw
しかし、ドス黒く変色したからといって悪い事ではないのだ。
むしろ、頻繁に振る刀はこうなるべき。
正絹の柄糸は巻き立ての頃は繊維感がありイマイチ手に馴染まないが、
使えば使うほどに糸が締まり、表面から繊維感は無くなり革の様な質感に変わるのだ。
そして、手との馴染みは革巻き以上に。
時間はかかるけど使い込んだ正絹の柄糸に勝るものは無いと思ってます。
この柄前は新調して三年ほど経ちますが、繊維から革の質感への過度期といったところか。
柄頭側は繊維質なのがわかるが、鍔側は表面から凸凹が薄くなっているのがおわかりいただけるだろうか。
真に使い込んだ柄糸とはこれ。
三年前まで使っていた旧柄前。
こちら、戸田宗家より刀を受け継いで柄もそのまま使っていたので
私が6~7年ほど使っているが、それ以前に宗家が相当な年数を使っていたそうです。
菱の部分が既に繊維質とは思えなくなっているw
柄糸も真っ黒だが、たぶん元はうぐいす色。
おまけに目貫の彫刻も摩耗で潰れてシルエットから三鈷剣とわかるレベルw
これを見せて
その昔、知人に言われた事がある
「日本刀の柄って糸が巻いてるのかと思ってたけど違うんですね。」
いや、それ糸なんだぜw
最後に
何故、一部だけ変色・変質していないのか。
両手で握り込んで左手の小指の真下だけが変色・変質していない。
これは柄の握り方によるもので右手の下に左手を添えて隙間なく握っているから。
しかし現在、一般的にはこの握り方ではなく、右手と左手の間隔を空けた握り方が主流ではないでしょうか。
これは所謂、竹刀の握り方で、竹刀特有のチョイ出し打ちを打ちやすい様に特化した握りなんじゃないかと思ってまして、
あの打ち方を真剣で実践したって多少は切れたとしても致命傷は与えられず、反撃必至という事ですw
真剣であっても間隔を空けて握らないと怒られるとかいうとんでもない話を聞いた事がありますが、
何を言ってるんだね君はと言いたい。
鎌倉~戦国時代の合戦絵なんかを見ると、右手と左手の間隔を空けない持ち方をしていることがわかります。
時代が下って幕末の合戦絵から右手と左手の間隔を空けた持ち方を目にします。
つまり、古来からの刀の握り方は間隔を空けない持ち方で、間隔を空けた持ち方は江戸時代からという事がわかる。
そして、江戸時代前までの日本人はバケモノ揃いです。現代人からは想像もできない戦闘に特化した身体能力を誇ったとか。
しかし、長い太平の世で平和ボケし、刀は差してるだけで抜き方もわからない様な武士も少なくない。
そんな劣化の一途を辿った幕末の武士。
そういう事です。
元々、右手と左手の間隔を空けた持ち方というのは長巻や長刀といった長柄武器の持ち方であって、
武器の重量から長時間の使用に体力の消耗を抑えるための持ち方だったとか。
確かに右手と左手の間隔を空けた方が重量配分も安定して持ち易いんです。
だが、致命的な欠点が一つある。
両方の持ち方で燕返し(袈裟切りから直ぐに返して切り上げ)をやってみよう
両方の持ち方で半面切りから瞬時に横に薙いでみよう。
どちらが取り回し易いのか?
議論の余地も無く、右手と左手の間隔を空けない持ち方が圧倒的に取り回し易いとわかる。
つまり持ち易さの代わりに取り回しを大幅に犠牲にしてしまってるのです。
間隔を空けた持ち方では狭い場所や複数人を相手にする戦闘なんかを切り抜ける事は不可能でしょうね。