おはようございます、
なおです。


ふつーに生まれた私が
どうやって今まで生きてきたのか?について
綴っています。。。


前回はここ

【わたしの世界観34】



父の命の電池が切れた直後から
せわしなくなった。

兄や弟は病院の公衆電話から
親戚中に電話をかけまくった。

その光景だけが私の覚えていること。

私は一体その時何をしたのだろう。

次に覚えているのが、
実家の中を掃除している光景。

義理の妹と一緒に
ほこりにまみれていた座布団を
コインランドリーに持っていって洗った記憶。


そして、乾燥まで自動的に終わった座布団が
丸いぬいぐるみみたいになって
2人で大笑いした記憶。


父が亡くなって
母も兄も弟もピリついた空気だったけど

そうやって義理の妹と大笑いした記憶だけが残ってる。


大人になって久しぶりに会う叔父や叔母と
なんだか小さい頃の自分になったように

亡くなった時はこうする、ああすると、
知らないことをたくさん教えてもらった。


大人でも経験しなきゃわからない。

経験した人に教えてもらうしかないのだ。

小さな頃から自分のことを知っている身内。
そう言う存在も本当にありがたいなって思った。


私の知らない父のことも
知っている身内。

たくさんの私の知らない父の顔を知った。

そこにはいいことも悪いこともあった。
人間だもん。
いろんな角度から1人の人間を見るんだなって思った。


お通夜や葬儀には
全然私の知らない人がたくさん訪れた。

母も知らない人が多かったんだと思う。

母は・・・
「まだ定年退職したばかりだから・・・」と言ったけど

それだけじゃないんじゃないかなって思ったんだ。


父がよく車の中で聞いていた演歌歌手の音楽で
葬儀が進んだ。


なんだか場違いな気がしていたけど、
本当にそれが好きで聞いていたのかも
私はあやしいって思ってたけど、

残された家族がそうだと言ったら
そうなってしまうのだなってその時気づいた。


お線香だって火葬まで絶やさないようにって
言われてるのに、

多分どこかのタイミングで絶やしていたのを見てしまった。

いろんな人がいる。

自称霊感があるという親戚は、
父がそこにいるという。


お風呂のお湯が動いたのは
父が別れを告げにきたという親戚もいた。

テレビを観ている気配がするという親戚もいる。


本当かもしれないけど、
母も私もそんな気配を感じたのは今まで一度もない。


人は死んだらどこにいくのだろう。

そればかりは経験しても
誰にも伝えることができないから
一生わからないままだ。

 

※そしてこの話を書いている今日は父の生前の誕生日だ


次へ続く