こんばんは、なおです。


ふつーに生まれた私が
どうやって今まで生きてきたのか?について
綴っています。。。


前回はここ

【わたしの世界観28】




第一子の娘は公立の保育所へ
私はパートで倉庫に勤め

元結婚相手はトラックの運転手として
側から見れば

まあまあ普通に暮らしているように
見えたかもしれない。


働いているのに、
「お金」の問題一向に良くなる気配がなかった。

なぜなら入ってくる以上に
出ていく方が多いから。

当たり前の話だ。

借金の返済、生活費、
それだけだったなら
うまく行ったはずなのに

トラック、しかも会社のなのに

なぜか謎の部品が
どんどん狭い玄関を占領していった。

よくわからない
カラフルな電球や

玄関の天井までくる
長い大きなバンパー(?)

でかいハンドル。。。。


何これ?って思うものが
どんどん増えていた。

これらは子供のおもちゃなんかよりも
金額が高い。


子供はどんどん成長して
服もすぐに小さくなってしまうから

私は娘の可愛い服を
買ってあげたかったのに。。。。



母が実家の近所から、親戚から
もう着れなくなった子の
お下がりをたくさんもらってくる、

その服を、

ちょっと趣味が違う、
なんて思うこともあったけど

そんな感情に全部蓋をして
お下がりを着せるたびに

「可愛いねー、本当にとっても似合う」と
思ってもいない言葉を娘にかけ続けた。



本当は娘の好きなフリフリの
可愛い服を買ってあげたかった。


だけど、いつも
「お金」がなかった・・・・


もう、娘と二人の生活の方が
絶対にマシだって確信に変わっていった

もう嘘の言葉ばかりの
毎日は嫌だった。


「お金」ないのにあるふりして
どんどん何か訳のわからないものを
書い続ける元結婚相手も嫌だった。


それだけじゃなく、
何か気に触ることを言って
キレるとすぐに殴るのも

もう嫌だった。

その時、色々考えていたら思い出した。

娘がお腹にいたときに、
ちょっとの口論になり

いつも通りキレて殴った元結婚相手は
あろうことに妊娠中の私のお腹を
足で思い切り蹴り続けた。

とっさに両手でお腹を抱えて丸くなったから
大事にいたらず忘れかけていたけど、

あのとき
受け身を取れていなかったら
娘はこの世にはいなかった。


そんな脳が忘れようとしていた記憶を
思い出したら、

どんなに元結婚相手が
娘を可愛がる姿を見ても

もう許せなかった。


母子だけで暮らそう。
もう私の心は揺るがなかった。


すぐにでも。

そう思った私は、
すぐに行動し始めた。


そんな25歳。。。。

 

次へ続く