赤目延寿院は、赤目四十八滝の入口にある日本サンショウウオセンター

の手前、200mに在ります。

 

 

 

住所:三重県名張市赤目町長坂753

 

まっすぐ進むとサンショウウオセンター、左に折れて50mほど坂を

上ると延寿院。

 

 

分岐点には、有名な 「へこきまんじゅう」 のお店があります。

さつまいもが練りこまれた饅頭です。

 

 

 

 

 

門をくぐると、石灯籠。

 

 

 

インバータ蛍光灯。

 

 

伊賀忍者回廊 HP 記事を転載します。

 

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国指定文化財 石灯籠

 

大正7年国宝に指定、重要文化財として保護されている。

鎌倉時代の作で、裏面に徳治2年の銘がある。様式は春日灯籠で

高さ2.5m基礎三重のうち、再下段は後世の補作と言われている。

 

頂の宝珠は中央にくびれがあり、笠は六角蕨(わらび)手、火袋六角で

一部は堅連子形の欄間を刻み、その下面に蓮弁が彫られている。

竿は円筒形(竹筒形)で三節があり、竿がこの灯籠で最も貴重価値が

あり、鎌倉工芸の名作と言われている。

 

 

この時代に作られ、現在保護されているのが、奈良三月堂の

石灯籠(建長6年)吉野丹生川上中社の石灯籠(弘長元年)である。

 

市指定文化財 納経版木・宝印版木

市指定文化財 石造十三重塔

市指定文化財 津藩主寄進状

https://www.igaueno.net/ninjaroad/?p=79

 

向かって左にしだれ桜。

 

 

伊賀忍者回廊 HP 記事を転載します。

 

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市指定文化財 菩提しだれ桜

 

この桜は樹齢約400年で高さ7m幹周り5mのしだれ型で品種は

エドヒガンです。

慶長13年(1608)、植えられたのは高虎公が伊賀に来られ、

伊賀上野城と、領国安堵の祈願所に赤目延寿院を復興された

そのころだと推定されています。

 

例年四月初旬に花をつけ参拝客をお迎えします。

やや小型の一重咲きの花が咲き、萼筒(花びらの根元にある『ガク』の形)

は壷型。本堂越しに遠くから見ると幹の太さとあいまって日本人好みの

盆栽のような趣がある桜です。

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手水鉢。不動明王が祀られています。

 

 

 

 

手水鉢から眺めた本堂。

 

 

本堂の前には、ピアノが置かれています。

最近あちこちにある「 どうぞ弾いてください 」的なピアノ (?)

 

 

伊賀忍者回廊 HP 記事を転載します。

 

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由来

 

黄龍山延寿院(現在は天台宗に属す)は今から1300余年前、

神変菩薩役の行者小角が開いたものと伝えられる。

往昔、役の行者が滝にうたれて秘法を修していたとき不動明王が

赤い目の牛に乗って出現せられたといわれ、後にその不動明王を

祀り赤目不動尊として行者の守り本尊とし、堂宇を建立し今日に

至ったものと伝えられる。

 

弘法大師もこの赤目山中の護摩窟で護摩を修し、妙法山に

加法経を納められたと言われている。

 

しかし史実としては、今を去る900年前の承保年間、河内の人

金剛仏子正緑が夢の中で三所権現のお告げにより、名張の

南方黄滝に生身の不動明王をみ、後築智坊延増が赤目山中に

千日籠居し、黄龍山聖王龍寺(又は青黄龍寺)と号して南都

東大寺の下寺として八坊を建立したと文献に記されている。

 

いずれにしても、平安朝から鎌倉時代山岳仏教の道場として栄えて

いた。

鎌倉時代より室町、戦国の世にかけて仏教思想の上に弥陀の

浄土思想が興り、従来よりの密教思想や龍神信仰と相俟って

赤目の滝は、その深山幽谷で滝の数も多く、龍が棲むと言われる

位の底知れぬ深澤があり、弥陀の浄土に生まれようとする

浄土思想の実践にふさわしい道場であった。

 

滝も「あみだが滝」とよばれており、48滝もこの阿弥陀如来48願から

つけられたとも言われている。

その後八坊伽藍も後三条天皇頼願により再建されたが、天正年間

伊賀の乱に(伊賀忍者の修練場であったために)、織田勢によって

灰燼に帰したのである。

 

わずかに残ったのは、鎌倉時代の石灯籠と菊の紋章入りの巨大な

鬼瓦ぐらいであった。

後に藤堂高次公が不動院観音堂を建て、代々藤堂家の祈願所として

明治維新まで庇護されてきたのである。

 

(由緒記ほか より)

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役行者が亡くなられたのは大宝元年 (701年)、弘法大師が入定

されたのは承和2年 (835年) ですので、役行者の弘法大師も

関係ないことになります。

地名の由来になった赤い目の牛は、いつ現れたのだろう?

 

 

本堂に向かって右に御神木の樟。

 

 

 

その右に津島神社が鎮座されます。

 

 

右に手水舎。

 

 

 

奉納年月は不明、おそらく平成後期と思われる狛犬。

 

    

 

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津島神社

 

創立は慶長六年 ( 1601 ) とされるが、もっと古くからあった

かもしれぬ。

由緒も不明であるが、古くから牛頭天王社の名で延寿院の鎮守、

同時に滝地区の氏神であった。境内社に市杵島神社があった。

 

明治四十年 ( 1907 ) 本邑の天満神社に合祀され、さらに丈六・

八幡神社に合祀された。戦後復祀。

 

赤目まちづくり委員会

                              ( 境内説明文 )

 

 

拝殿に向かって左前に十三重塔があります。

 

 

本堂からの眺め。

 

以上。