植木神社は、 近鉄伊賀線:上野市駅から東へ10㎞のところ、かつての

平田宿に鎮座されます。

 

 

 

鎮座地 三重県伊賀市平田 699

 

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平田宿 ひらたしゅく

 

藤堂高虎が伊勢・伊賀二国の大名に移封された後、津城と伊賀上野城を

結ぶ最も重要な官道として整備された伊賀街道だが、片や両国間の経済

や生活の大動脈としての役割も担っていた。

 

そのため、街道沿いは宿場を中心に賑わい、松尾芭蕉を始め多くの文人

墨客が行き交った足跡が残されている。

この街道の伊賀国側に平松宿があり、今一つがここ平田宿である。

 

 

平田宿は『三国地誌』によると、上野へ二里、平松宿へ二里二十二丁、

そのほぼ中間に位置する。

上野・上阿波間が長いため、承応二年 1653) に馬継ぎの宿として設置

された。

 

問屋、旅籠が上阿波からそっくり引っ越した平松宿とは異なり、その宿立

(やどたち) は古い既存の集落に新たに宿機能が付加されたものである

と考えられ、一家屋ごとの間口や奥行きは雑多で統一性がなく、自然発生

的な集落の性格を成していた。

 

記録によれば、これより先の寛永十六年 1639) に時の幕府老中が宿泊

していることから、旅宿を中心とした町場化が既に進んでいたものと考え

られる。こうした経過により伊賀八宿の一つに加えられた。

 

 

宿場には藩主らの通行の際に休泊所となる公停 (御茶屋) が設けられ、

また、宿場の中央部で道路が鉤の手に食い違っている 「札の辻」 の辺り

は、かつては問屋場 (といやば) と呼ばれた馬継ぎ場所で、高札が立ち、

平田の道路元標 (げんぴょう) もあったと伝えられる。

 

寛延年間 1748~1751) の頃、集落の規模は戸数176、人口729、馬8、

25とある (『宗国史』)。

現在も連子格子の家や古い屋号を受け継ぐ家が残されている。

 

                                    ( 境内説明文

 

右に手水舎。

 

 

 

 

 

 

境内の左端に忠霊塔が建立されています。

 

 

忠霊塔の隣に鳩の像が置かれています。平和記念の碑です。

 

 

 

境内の右端に鐘楼があります。

 

 

拝殿の前に聳える御神木。

樹齢200年の公孫樹(左)、樹齢450年のさわら(右)。

 

 

昭和十年十二月に奉納された狛犬。

 

    

 

 

 

三重県神社庁HPの記事を転載します。

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旧社格 郷社

 

主祭神

《主》 健速須佐之男命, 櫛名田毘売命,

《配》 鳥鳴海神, 事代主神, 火之迦具土神, 品陀和気尊, 菅原道真,

大山祇命, 猿田毘古神, 弥都波能売神, 健速須佐之男命,

正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命, 天之穂日命,天津日子根命,

活津日子根命, 熊野久須毘命, 多紀理毘売命, 多岐津毘売命,

武甕槌命, 市杵島姫命, 少彦名命, 宇迦之御魂命,

底筒之男命, 中筒之男命, 上筒之男命, 大日孁貴命,

鹿島御子三十八神, 大物主命, 香香脊男命, 五十猛

 

由緒

慶長二酉年四月植木伊予守勝記す初期の社伝に曰く

 

 「人皇六六代一条天皇寛弘元年(1004)出雲国意宇郡日御崎の住人

桃木某三男政守と云ふ人諸国神拝遊歴し此里に止り或夜夢に神告て曰く、

播磨国飾磨郡広峰山より牛頭天王を仰奉れば今流行の悪疫速に

除き給ふと郷人聞きて直ちに広峰山へ登り天王を迎ひ寛弘元年九月九日

■出後氏天王を玉手村清水谷鳥取神社の相殿に奉勧請す」

と又、文永二年(1265)四月八日の洪水の後鎮座地の争いがあった際にも

 

「神前にある枯榊を執り所々の土中へさして神意を伺い此の枯榊一夜の

 中に青葉を生する所へ定めんと誓ひ給ふに不思議や山田神社の地へ

 指し奉る枯榊一夜の中に枝葉青々と栄へければ神慮の導き事を奉恐迅に

 宮地を改宮柱太敷立て如故鳥坂神社と合祭に奉斎一夜にして枯榊の

 枝葉茂りし神力を尊み以て植木牛頭天王と改称し奉り」

 

と記され、更に天正年中北畠中将信雄郷伊賀国兵乱の際に神霊を存する

のみにて社頭悉皆炎滅したが、その後郷人力を合せて慶長二年(1597)に

元の宮地へ復興した旨記している。

 

明治二年御府告により牛頭天王■郷を廃し植木神社と改称し明治四〇年同

四一年に平田神社など三〇社を合祀している。

伊賀最古で最大の祇園祭(夏祭り)7月最終土・日曜日

 

https://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63459

 

境内社はありませんでした。

拝殿からの眺め。

 

 

 

以上。