在原神社は、JRまほろば線:櫟本 ( いちのもと ) 駅から南東へ700m、
西名阪自動車道のすぐ横の住宅街に鎮座されます。
小路。
チェリオの自動販売機の手前が参道です。
在原神社は、かつて業平が妻 ( 有常の娘 ) と住んでいたところと
言われています。
その一場面が、『 伊勢物語 』 23段に書かれています。
~ 『 伊勢物語 』 23段 「 筒井筒 」 ~
昔、男の子と女の子が井戸の近くで遊んでいた。
大きくなって、男が女に、
筒井筒 井筒にかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざる間に
・・・( 昔、あなたと一緒に遊んでいた頃は )
井筒の高さと自分の背の高さを比べていたが、
私の背は井筒よりもずっと高くなった。
あなたに逢わないで過ごしている間に。
女が返して、
比べ来し 振り分け髪も 肩過ぎぬ 君ならずして 誰かあぐべき
・・あなたと比べた振り分け髪も、肩を過ぎるほど長くなった。
( 妻として この髪を結い上げるのは )
あなた以外に誰が居るでしょうか。
こうして二人は夫婦になったが、何年か過ぎるうちに、女の親が亡くなり、
貧しくなった。
男は河内の高安の女の元へに通うようになった。
男は自分が居ない間に、妻はどうしているのだろうと思い、
高安に出かけたふりをして庭の茂みに隠れて様子をみていると、
女はしっかりと化粧をして、もの想いの様子で、
風吹けば 沖つ白浪 龍田山 夜半にや君が ひとり越ゆらむ
・・・風が吹くと沖に白波が立つ、( 立つといえば ) 龍田山を
( 足元もおぼつかない ) 夜半にあの人が一人越えていくのだなあ
と心配して詠んでいるので、女を愛おしく思った。
高安の女は、始めはおくゆかしかったが、今では悪くなったので、
男は行かなくなった。
高安の女は大和の方向を眺め、
君があたり 見つゝを居らむ 生駒山 雲な隠しそ 雨は降るとも
・・・あなたがいらっしゃる生駒山あたりを見続けておりましょう。
雲よ、隠さないでおくれ。たとえ雨はふったとしても。
と詠んだので、男は 「 高安へ行く 」 と返事をしたが行かなかった。
そこで女が
君来むと 言ひし夜毎に 過ぎぬれば 頼まぬものゝ 恋ひつゝぞ経る
・・・あなたが来ると言った夜ごとに、空しく夜が過ぎてしまうから
もう当てにはしないけれど、あなたを恋しく思いながら過ごしています
と詠んだが、男は行かなかった。
~~~~~
というものです。
「 あらすじ 」 と言いたいところですが、原文は短編小説なので、
ほぼ現代語訳です。
星新一のショートショートの原点は伊勢物語。 ( うそです )
天理市の在原神社から西に向かい、龍田川に沿って進み、急峻な龍田山を
越えると高安。
左端の「阿保神社」は、業平公の父君である阿保親王の宮殿があったところです。
これらは、ほぼ一直線に並んでいます。
『伊勢物語』では高安の女とのなりそめは書かれていません。
業平公は阿保親王の宮殿に住んでいた、もしくは行ったころに、高安の女を
知ったのではないだろうか?
『源氏物語』の光る源氏は、訪問先の北山で美しい少女 (10歳位)を見かけて
我が物にしようと考えます。この少女が後の妾妻である 「紫の上」 です。
「 高安の女 」 は 「 妻 」 と書かれておりますから、「 ゆきずり 」 ではなく、
そこそこの位の家の女性だったでしょう。 ( もちろん、妾妻です )
光源氏のモデルの一人ともいわれる業平公ですので、「 高安の女 」 とは
「紫の上」のような出会いだったのかもしれません。
直線距離にして17~18㎞くらいか。
高安の女は、よっぽど魅力的だったみたいですね。
結局、飽きられますけど。
境内に入ったところに鎮座される姫丸社。
紀有常の娘 ( 業平公の妻 ) を祀っています。
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在原寺と在原神社
祭神 阿保 ( あぼ ) 親王・在原業平
在原神社が鎮座するこの地には、明治九年 ( 1876 ) まで 「 在原寺 」
という寺院があり、本堂・庫裏・楼門などが並んでいました。
在原寺の創立は承和二年 ( 835 ) とも元慶四年 ( 880 ) とも言われ、
後者の説を採る 『 寛文寺社記 』 には、在原業平の病没後に、その邸を
寺としたとの記述があります。
在原寺の井筒を 『 伊勢物語 』 にみえる 「 筒井筒 」 の挿話の舞台と
する伝承もここから生まれたと考えられます。
在原業平 ( 820 ~ 880 ) は、平安前期を代表する歌人で、六歌仙にも
選ばれています。
従四位下右近衛権中将まで進み、在五中将とも呼ばれました。
古今和歌集仮名序に
「 その心あまりて言葉足らず 」
とあり、情熱的な和歌を特異とした一方、漢詩文は不得意だったようです。
阿保親王は平城天皇の皇子で業平の父親にあたり、承和二年創立説
では、在原寺の創立者ともされ、現在の在原神社にも業平とともに
祀られています。
現在の社殿は大正九年に改築されたものですが、もとは紀州徳川家が
寄進したり立派なものだったといわれ、遅くとも江戸時代には寺と神社が
共存していたようです。
天理市教育委員会
( 境内説明文 )
社殿に向かって左前に、井筒があります。
これを 「 筒井筒~♪ 」 の井筒とするのだろうか?
業平公と有常の娘の 「 井筒 」 が、今も保存されているなどと、
誰も思わないし期待していない。 しかし、これは酷すぎる。
『伊勢物語』23段 「筒井筒」 は子供の頃の想い出話しと、
大人になってからの痴話話しです。
謡曲の「井筒」は、伊勢物語23段を本説 (原作) としています。
「井筒」の前半は、有常の娘の亡霊が現れ、23段に書かれた内容を、
想い出話しとして、旅の僧に語ります。
・紀の有常の娘とも または井筒の女とも 恥ずかしながら 我なりと
・契し年は 筒井筒 井筒の陰に隠れけり、井筒の陰にかくれけり
後半、有常の娘の亡霊が再び現れます。
有常の娘は業平公の冠と衣装をまとっています。
それほどまでに、業平公を待っています。
ここでは有常の娘の「待つ女」の性格が強調されています。
『 伊勢物語 』 の4段・17段・24段から、ストーリーに合っている詩を
集めてきています。
・徒 ( あだ ) なりと 名にこそ立てれ 櫻花
年に稀なる 人も待ちけり
『 伊勢物語 』17段
・・・きまぐれな花と知られている桜花も
一年のうちに稀にしか訪ねてこない人を待っているのです
( 業平の臨終の際に、有常の娘に語った言葉として使われている )
かように詠みしも我なれば 人待つ女とも云われしなり
梓弓 真弓槻弓 年を経て わがせしがごと うるはしみせよ
『 伊勢物語 』24段
・・・梓で作った弓、壇で作った弓、槻の木で作った弓、
様々な弓があるように、様々なことがあった年月を経て
私があなたにした ( 愛した ) ように、
( 新しい男に ) しなさい ( 愛しなさい )
子供の頃の 「 筒井筒 」 の昔から、業平公最後の 「 真弓槻弓 」 の歌まで、
長い年月を業平と過ごした有常の娘が、業平公の舞いを真似て、
業平公を偲びます。
そして井筒をのぞきこむ。
月やあらぬ 春や昔の春ならぬ 我が身一つは 元の身にして
『 伊勢物語 』4段
・・・月は昔の月ではない、春は昔の春ではない、我が身も昔ではない
しかし今も、昔のように ( 業平を想い続ける )
まりがたけ 生ひ ( おい ) にけらしな 老い ( おい ) にけるぞや
・・・私の背は井筒よりも高くなった、それだけではない、老いてしまった。
夜が明けて、有常の娘は消えていって、能は終わります。
夢も破れて覚めにけり 夢は破れ明けにけり
世阿弥は『伊勢物語』23段を元にして、他の段からも歌を集め、
小さいころから業平公を待つ女であった有常の娘、
その想い出の中には、いつも井筒があった。
業平公が亡くなり、自分が亡くなった今でも、
井筒の近くで業平公を待っている。
という物語を組み立てています。
有常の娘の亡霊は、おそらく明日の夜も井筒の近くに現れ、
業平公を待つでしょう。
観光地ではない在原神社を参拝する人なら、物語の中で
井筒がとても重要であることは、わかっているはずです。
それなのに、こんな、おんぼろ井筒を置いて、
「 井筒 」 と案内板を立てるとは、酷い。
もう一つ言えば、井筒の隣にトイレは要らない。
姫丸社を祀るべきです。
現状は・・・最低!
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| 社殿 |
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| 井筒 |
| トイレ 姫丸社 |
| |
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社殿からの眺め。
以上。