西山春日神社は、JR関西本線:伊賀上野駅から西へ3.5㎞の

山の中に鎮座されます。

 

 

 

鎮座地:三重県伊賀市西山2265

 

御神域の前の道は、ワイディングロードを楽しむオートバイが時々

走り抜けていきました。

西山春日神社の前は、「 西山の棚田  が広がっています。

 

 

 

 

 

胴長短足の春日灯籠が並んでいます。

 

 

 

 

拝殿に向かって左に手水舎。

 

 

 

 

 

石段を登り切ったところに狛犬。

奉納時期は不明ですが、昭和期と思われます。

 

    

 

 

    

 

本殿は春日造。

 

 

式内社 葦神社 伊賀国 山田郡鎮座 論社

現社名 春日神社

社格 村社

 

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西山春日神社由緒

 

一、主祭神 天児屋根命

一、例祭  4月5日

 

春日大明神縁起  奈良春日大社社誌  によれば、三笠山に御鎮座の

春日四所大神に平安末期の久安  1147  正月日西山庄より

南都春日社の節供祭に御神供を備進、久安  1149 ) 月甲日

西山郷字赤衛谷を宮処と定め春日第三殿の天児屋根命を勧請とある。

 

鎌倉初期の文暦元年 ( 1234 ) 社殿焼失

文和  1353  月社殿再興、

室町時代の弘沿 ( 1557 ) 赤衛谷より現在地に移転鎮座される。

現在の本殿は江戸中期の延享2年(1754)造営にかかわるものである。

 

当社は古く平安朝時代から春日大社の四節供祭の御神供料所であった

ので以来長く明治維新まで続けられた、

大正十二年神供料復興の意味で太平洋戦争まで玄米一俵を奉納して

来ましたが、戦後中断平成四年に復活して現在に至っています。

 

明治40年10月

 木生神社 ( 木之久々能智神・名山主真剣荒魂 )

 八幡神社 ( 応神天皇 )

 石神社   ( 息長足姫命 )

 栗島挿社 ( 少毘古那命・倉稲魂命 )

 佐三神社 ( 熊野八荘司之後裔本村長佐三衛門 )

 津島神社 ( 建速須佐之男命 ) 

 浅間神社 (木花咲夜毘売命 )

 神明社  ( 憧木賢木厳之御霊・天疎向津姫命)

 山神社  ( 大山祇命 )

 熊野神社 ( 速玉之男命 )

は春日神社に合祀される。

 

明治四年村社に制定され大正三年神饌粥尾科併鮭社に選定され

今日に至る。

 

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木生神社  木尾権現 

 

宣化天皇の御代 ( 535~539 ) に大山の頂を宮処と定め

木之久々能智命・名山主真剣荒魂の二柱を祭神とし又神の使は

狼であると云うも由緒不詳なり。

 

 三国地話西山考証 

 

西山村字魔館谷は真剣の頭を堕した処 ( 首堕瀧 )て、その多くの

神霊は魔となって人々を悩ましたるに、その地を魔谷と云う、

その魍魎は多くの村民を煩わしたので山岳の頂に真剣の霊を

祭り神木を盗んだ悪心を悔い善に帰りたいと願う荒魂と共に

木の神を祭り、社の弥号を木生と号した。

 

社を斎したが祭礼が行なわれなかつたので村民が多く煩った。

これが神の祟りと又社の東北阪を通る馬も多く項うをもって東向なる

祠を南に同けて弘治2年 ( 1556 ) より始めし祭り ( ナスビ祭 ) 

今尚執り続けている。

 

                                  ( 境内説明文

 

木生神社 「 三国地話西山考証 の説明文が、付け加えられて

いて、意味がよくわかりません。

三重県神社庁HPの記事を転載します。

 

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神社名  春日神社

 

主祭神

《主》 天児屋根命

《合》 応神天皇, 木之久久能智神, 名山主真剣荒魂, 息長足姫命,

    少毘古那命, 倉稲魂命, 建速須佐之男命, 木花咲夜比女命,

    速玉之男命, 大山祇命,

 

由緒 

 

伊賀国阿山郡西山庄 現伊賀市西山 は、平安末期以来、

南都春日社の節供料所であった。

 

藤原守衛書記する天和3年 1683

春日大明神縁起 」 (『 神道大系 伊賀国所収

によると、その前半、春日四所大神の御笠山御鎮座の次第に続いて、

平安末期の久安3年 1147 正月7日、当西山庄より南都春日社の

節供祭に御神供を備進、以来永くそれは明治維新まで続けられた。

 

その故実にもづき大正12年、当社から奈良の春日神社に玄米1俵を

奉納している。

このような史実の故をもって、早く久安5年 1149 )、春日社第三殿の

御祭神、天児屋根尊をこの西山の里に奉遷したのが当社の起りである。

 

その後、鎌倉初期の文暦元年 1234 社殿焼失、

文和2年 1353 再興されたが、

室町時代の弘治3年 1557 に木生山麓に移転鎮座された。

 

今の本殿は江戸中期、延享2年 1745 の造営にかかるものである。

明治4年、村社に列せられ、同40年には境内社八幡神社並びに

木生神社以下15社を合祀して境内地が整備された。

大正3年、神饌幣帛料供進社に指定、今日に至る。

https://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=2986

 

これを呼んでも 木生神社 「 三国地話西山考証 の事は

わかりませんでした。

鎮座される山の名前が木生山ということはわかりました。

 

拝殿に向かって左に、勧請縄が張られていました。

 

 

村の入口や鳥居に、悪い霊・厄・禍が入ってこないように、張っている

ことがありますが、社殿のこんな近くに張っているのは初めて見ました。

 

拝殿からの眺め。

 

 

 

以上。