高倉神社は、JR関西本線:伊賀上野駅から西へ3㎞のところに鎮座

されます。

 

 

 

鎮座地:三重県伊賀市西高倉 1046

 

 

 

 

玉垣には、歌が彫られてました。

 

 

 

左に手水舎。

 

 

 

手水舎の後方に、高龗神 ( たかおかみのかみ ) が祀られています。

 

 

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高龗神

 

通称連吹山 ( 地名爪淵 ) に龗神社があった。

祭神高龗神は水を司る神で、境内に九頭竜の碑が建てられていて、

人々は雨を乞い願う信仰で参詣、山裾では雨乞踊りで祈願され、

明治二十年頃まで続いた。

明治四十年九月二十五碑高倉神社に合祀された。

 

                                 ( 境内説明文 )

 

 

 

右に杉の御神木、根が凄いことになっています。

 

 

左に手水鉢。

 

 

 

 

 

    

 

 

土間拝殿です。

フラットではなく、一段高くなった非常に珍しい構成になっています。

 

 

向かって左から、春日社、本殿。

 

 

向かって右は八幡社。

 

 

 

 

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神社名   高倉神社

通称     くらがみさん

郵便番号 518-0025 鎮座地 三重県伊賀市西高倉 1046

主な祭典    4月第2日曜日 春祭御船巡行 

         7月13日 倉喗祭 

        10月14日15日 秋祭 

旧社格   県社

主祭神

《主》 高倉下命  ( たかくらじのみこと

《配》 倭得玉彦命  やまとのえたまひこのみこと

 

由緒

 

御祭神 高倉下命より七代目の子孫倭得玉彦が、伊賀の地に一族とともに

移住したのが始まりです。

高倉下命は、熊野の方て倭の国の黎明明に倉守集団の要をなした方で

ありますが、越後が終焉の地となりました。

 

越後ノ国で六代の子孫か自ら勤めておりましたが、七代目が伊賀に定住したと

伝えています。

爾来近村に熊野の一族も定住し、桓武天皇の皇女の移住もあって新居郷が

成立しました。

 

新居郷に春日信仰が残りましたのもそのためであります。 

今日、高倉東西地区五百戸の氏神として、各地区で営祝が営まれておりますが、

時代と共にその形が崩れつつあります。 

 

当社の境内は古今無双と言われ、上段に三社御殿、次に磐座拝殿、次に神事場、

一番下が広場で、今は駐車場になっております三社の御殿は、いずれも

天正九年  1581    伊賀の乱  より先の天正二年 ( 1574  に建立され、

その彩色は近在に比類無く、ある方は貴族の図柄と称しました。

いずれも国の重要文化財であります。

 

なお、境内で宮句会を開いた宮城きよなみ師、川崎克師他同門の句碑があり、

倉庫関係者の石碑もあります。

https://www.jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63730

 

拝殿に向かって右に鎮魂之碑が建立されています。

 

 

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鎮魂之碑由緒

 

倉庫の営みは永遠であります。

先人に英知が今日を築き、今日の努力が明日に連なります。

連続して絶えることのない生命と倉庫関係者の思いをこめて、業界の先達の

霊安かれと、この地に、倉守の御先祖が鎮座ります縁をもって、鎮魂之碑が

建立されました。

鎮魂之碑建立二十周年にあたり、建立の意をここに記します。

 

昭和六十一年七月十三日 社団法人日本倉庫協会

                                        ( 碑文

 

高倉下命は、高い倉の主であり、神倉神社に祀られています。

日本書紀によれば、

 

神武天皇、皇子の手研耳命 たぎしみみのみこと )が軍を率いて

熊野の荒坂の津に着かれて、女賊の丹敷戸畔 にしきとべ を誅された

のち、神が毒気を吐かれたので、兵士が萎えた。

 

熊野の高倉下命の夢の中で、天照大御神と高木神が建御雷神を葦原中国

に遣わそうとしたところ、建御雷神が

私が行かなくても、私が国を平定した剣を降ろせば、国は平らぐでしょう

と述べると、天輝大御神は納得された。

 

建御雷神が高倉下に

布都御魂 ふつのみたま、剣 を倉の中に置くので、献上しなさい

とおっしゃられた。

高倉下が目覚めて倉を調べたところ、倉の中に剣が置かれてあったため、

神武天皇に献上した。兵士たちは覚醒した。

 

と書かれています。

こののち、天照大怨神は八咫烏を遣わす事になります。

布都御魂は、天理に鎮座されている石上神宮に祀られています。

 

拝殿からの眺め。

 

 

手水舎の前にある道を登ると拝殿に向かって左の側面に到着しました。

拝殿の正面には別の道があり、こちらが表参道のようですので、こちらを

降りていきました。

 

 

 

以上。