旧上野市  現伊賀市 のマンホールには、上野城・桔梗・

伊賀忍者が描かれています。

 

 

伊賀市でよく見かけるマンホール。

 

 

市の花ササユリと伊賀忍者。

 

 

市の鳥キジと伊賀忍者。

 

 

市の木アカマツと伊賀忍者。

 

 

猪田神社  猪田  は、近鉄伊賀線:依那古駅から西へ900m、

山のふもとに鎮座されます。

 

 

 

 

鎮座地:三重県伊賀市下郡591

 

参道は紅葉並木です。

 

 

 

 

 

 

鳥居をくぐった左に手水舎。

 

 

 

 

手水舎の隣に晴石。

 

 

雨石と晴石があり、神社の前を流れる谷田川に、雨を止めたいときには晴石を

入れ、日照りを止めたいときには雨石を入れるという祈願をするそうです。

 

 

    

 

平成二年十一月に奉納された狛犬。

 

    

 

 

式内社 猪田神社 伊賀国 伊賀郡鎮座 論社

現社名 猪田神社

旧社格 村社

 

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延喜式内社 猪田神社 御祭神

 

主祭神 猪田神 ( 別名武伊賀津別命

配神   住吉神 四座 底土命、赤土命、磐土命、神宮皇后

摂社   健御名方命 ( 諏訪社 本殿向かって右

      蛭子命    ( 西宮社 本殿向かって左

末社   護国社    ( 日清戦争以後の戦没者御英霊を祀る

 

境外社より本殿に合祀した御祭神

依那古神、 伊弉冉命、 小泉太郎左衛門公 、 天児屋根命、 坂戸神

大物主神、 綾門日女命、宇迦能御魂神、    大山咋神、   猿田彦命

大山祇神、 菅原道真公、木花佐久夜比売命、 応神天皇、   倭姫命

事解男命、 速玉男命、  火之迦具土神、    市杵島比売命

 

                                   ( 境内説明文

 

 

住吉大神は、底筒男命、中筒男命、上筒男命 ですが、

こちらでは   底土命、 赤土命、  岩土命  。

読み方は近いですが、海ではなくて、まるで土地の神のような御神名になっています。

 

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猪田神社本殿

 

当社のご本殿は、一間社流造、檜皮葺で、全体に丹塗りで、三重県有形

文化財の指定を受けている。

 

 

 

 

 

天正九年 1582 ) の織田信長による伊賀攻めの兵火に罹り焼失するも、

天正十五年 1587 )」に仮再建され、慶長九年 ( 1604 ) に再建されて

いる。

現在の本殿は天保七年 1836 ) に建て替えられたものであるが、再建時

の部材も一部に使用されている。

 

当社本殿が田と異なる点は、本殿側面 南・北面 の蟇股 かえるまた

である。

蟇股とは、上の梁を支える為に置かれるものであるが、当社本殿側面

南・北面 の蟇股には本来あるべき斗 ます が無く、直接梁を受けて

いる。

 

 

 

このことは、蟇股が上からの加重を受ける本来の役目を失い、装飾として

用いられているに過ぎないことを示すもので、特異な形式である。

 

                                   ( 境内説明文

 

拝殿に向かって左に、本殿に向かう参道があります。

石段の手前に雨石が祀られています。

 

 

 

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雨石・満珠石

 

 雨石 またの名を 満珠石 と呼ばれる丸い形をした霊石。

対となる霊石が干珠石 晴石 と呼ばれ、三日月型の石で

手水社横にある。

 

降雨祈願の時に満珠石を川に浸けると雨が降り、長雨の時に

干珠石を浸けると雨が止んだと伝えられている。

実際に昭和十八年頃まで行われていた。

 

江戸時代の書物 三国地誌 にも、「 満珠石と云神石あり

と記されているように、古くから霊石として崇められている。

 

※ 『 古事記 』 の海幸彦・山幸彦の段にでてくる潮満珠・潮乾珠、

また 太平記 神功皇后攻新羅給事 の段に出てくる

満珠・干珠が名称の由来となっている。

 

                             ( 境内説明文

 

御社名不明の境内社。

 

 

御英霊碑。

 

 

忠魂碑。

 

 

本殿。

 

 

本殿の横からの眺め。

 

 

拝殿から眺め。

 

 

以上。