名張市新田 美波多 ( みはた ) 神社

 

美波多 ( みはた ) 神社は、近鉄大阪線:美旗駅から北へ700mのところに

鎮座されます。

 

 

 

鎮座地:三重県名張市新田1087

 

地図の中に、「 美旗 」 という校名も見えます。

「 みえの歴史街道 」HPによれば、明治二十一年の小村合併の際、

「 美濃原村 」 と 「 小波田村 」 が一緒になって 「 美濃波多村 」、

簡素化した略称が 「 みはた ( 美旗 ) 」 となったそうです。

各地区の神社を合祀して建立された神社が 「 美波多神社 」。

 

 

御神域の前に駐車場があり、その隣りに忠魂碑が建立されています。

 

 

 

左に手水舎。

 

 

 

 

 

 

    

 

平成三年十月に奉納された狛犬。

 

    

 

美波多神社公式HPの記事を転載します。

 

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​御祭神

・​天照皇大御神 ・建速須佐之男神 ・応神天皇 ・天児屋根命 

・宇賀能御魂神 ・火之迦具土神  ・大物主神 ・五男三女神

・菅原道真公  ・加納直盛公   ・大山祇神 ・菊理比賣神

・大綿津見神  ・國津大神           (十四柱)

 

​美波多神社略史  お宮さんと新田地区の歩み

 

承応三年(1654)~

加納直盛公、新田水路を現・青山町高尾より延伸し、新田村の開墾と

発展に尽力。

高原で用水の便を欠く荒野原であったが為に計画は困難を極め、

工事は息子の直堅の代まで及んだ。

 

承応年間

新田村の村民が氏神として三柱神社を勧請。

享保十六年(1731)十一月七日

新田村開墾の恩人として加納直盛公の遺徳を顕彰する為に、

三柱神社内に加納神社を創設。

 

明治四十年(1907)

山神社及び愛宕神社を合祀、大御原神社と改称。

 

明治四十三年(1910)三月

東田原・九頭神社、中村・國津神社、小波田・福田神社を合祀。

美波多神社と改称、現在に至る。

 

加納直盛公

​慶長十五年(1610) 伊賀上野生まれ。藤堂藩に仕え、伊賀加判奉行職。

当時、水の便悪く荒野原であった新田地区の開発に尽力し、

用水家としても名を残す。

延寶元年(1673) 六十三歳で病死。

現・伊賀市上野寺町の大超寺に墓所がある。

https://www.mihata-jinja.jp/about

 

もはや懐かしいアマビエが、拝殿に置かれています。

 

 

世界中に猛威を振るったスペイン風邪が、なぜ収束したのか、

コロナを通して理解出来ました。

ウイルスの力は、波ごとに弱くなっていくのですね。

 

豪華客船:ダイヤモンド・プリンセス号の客が次々と冒されていき、

上陸後は日本に拡がっていき、初回の波の頃は 感染 ≒ 死 だったから、

とても怖かった。

 

今後も新種のウイルスが拡がることもあるだろうが、最初の数年を

やりすごせば、何とかなりそうな気はします。

 

拝殿に向かって左に加納神社が鎮座されます。御祭神:加納直盛命。

 

 

 

加納神社と拝殿に間に、砲弾が奉納されています。

 

 

拝殿に向かって右に、神楽殿のような参集殿。

 

 

その後方に三柱神社が鎮座されます。御祭神不明。

承応年間 ( 1654頃 )、新田村の村民が氏神として勧請したもので、

こちらに遷座されています。

 

 

三柱殿の前の石は雨乞石で、田にこの石を沈めて焚き火をし、

雨乞い神事を行うそうです。

 

拝殿からの眺め。

 

 

 

以上。