鎮座地:三重県伊賀市桂
名張街道 ( 国道368号線 ) を降りて、桂方面に向かうと、駐車場に
でました。
乎美祢神社と彫られた石碑がありましたので、ここから先は徒歩で歩く
ことにしました。
この判断は大正解で、軽四がやっと通れるような道を歩いていきます。
若い女性に
「 軽四でなくて、軽だけでいいでしょ?四以外に軽があるのですか?」
と言われたことがあります。
125ccから250㏄未満の二輪を軽二 ( 二輪の軽車両 ) と呼びますので、
四輪の軽車両を軽四と呼ぶのは正しい。
しかし、最近は広告でも「 軽 」 と呼びます。
それはさておいて、集落を過ぎると中型トラックでも通れそうな道幅に
なりました。回り道して繋がっているのでしょうね。
鳥居に向かって右に手水鉢。
社殿の右前に、手水鉢なのか、切株なのか不明の物体。
覆い屋が拝所になっています。
式内社 乎美祢神社 伊賀国 伊賀郡鎮座
現社名 乎美祢神社
旧社格 村社
由緒はわかりません。
花垣住民自治協議会 HP に、紹介文が掲載されていましたので
転載します。
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乎美祢神社
名張川中流部右岸に位置する。山間部の丘陵地に集落が集中する。
地名は、カツラ科の落葉喬木の桂が多く茂っていたことによると伝わる。
「延長風土記」に見える呼美禰 ( おみね ) の里は、当地ともいわれる。
乎美祢神社は、平安時代の延喜式神名帳 ( 927 ) に記載されている
創祀の古男い社である。
江戸時代の名称は九頭大明神、明治時代以降は乎美祢神社と称している。
乎美祢神社は、元は長国寺の上の宇恵の峰にあったと言われるが、後に
現在の地に移ったと云われる。
乎美祢神社は、明治41年から昭和20年まで花垣神社に合祀されて
いたが、その時も境内林社地、鳥居、社殿なども残されていて、祭祀も
継続して行われていた。
https://hanagaki.net/katsura/katsura/
式内社は、かつて朝廷が 「 重要なお社 」 と認め官社とした神社ですが
その中には、現在はこのように忘れ去られたかのようなお社が有ります。
社殿に向かって右に境内社。御社名不明。
鈴は、木槌で叩くのだろうか?
その右、石のお社と鬼瓦。
山神。
社殿からの眺め。
以上。