積田 ( せきた ) 神社は、近鉄大阪線:名張駅から東へ1㎞、
名張川の畔に鎮座されます。
鎮座地:三重県名張市夏見2162番
積田神社は、春日大社の奥宮です。
山陰地方でよくみかけるタイプの狛犬。
平成十二年五月に奉納されています。
参道の左に、周辺にあったと思われる仏像が祀られています。
最も右にあるのは庚申塔です。
立派な乳柱 ( にゅうちゅう、ちちばしら、気根 ) を持つ公孫樹。
左に手水舎。
奉納時期は不明、平成期だろうと思います。
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積田神社
祭神 武甕槌命 ( たけみかつちのみこと )
天児屋根命 ( あめのこやねのみこと )
経津主命 ( ふつぬしのみこと )
姫大神 ( ひめおおかみ )
由緒
当積田神社は、又の名を積田の宮 ( つむたのみや ) と云われ、人皇
四十八代称徳天皇の御宇、神護景雲元年 ( 皇暦767年 ) 丁未六月
二十一日鹿島大神 ( 武甕槌命 ) が常陸国鹿島 ( 茨城県現鹿島神宮 )
より大和国春日大社 ( 奈良 ) に御遷幸の丁途次、数カ月の間滞留
あらせられた。
古書には、伊賀の国名張群夏見郷御成の宮域は宇成神社とも書かれて
ある。
御成祭 毎年七月
大祭 毎年十月
( 境内説明文 )
本殿に向かって右に、御柿へ向かう門があります。
一旦、御神域に出ます。
神々しいです。
1200年の幹は真っ黒で、何の木なのかわかりません。
しかし、新葉を見ると柿の葉です。
参拝の栞に、神柿の事が書かれています。
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当積田 ( せきた ) 神社は又の名を積田の宮 ( つむたのみや ) とも
言われ、今から約1240年前の人皇四十八代称徳天皇の御宇神護景雲
元年 ( 767年 ) 丁未 ( ひのとひつじ ) 六月二十一日 鹿島大神
( 武甕槌命 ) が常陸国鹿島 ( 現茨城県鹿島神宮 ) より大和国春日大社
( 奈良 ) 御遷幸の途次留在された霊蹟にして、古書に伊賀の国名張郡
夏見郷御成の宮 或いは宇成神社とあるのは即ち是である。
爾来この神社が南都春日大社奥宮といわれている所以である。
旧記による鹿島大神御遷幸の行程は、次のように述べられている。
白鹿に乗られ、柿の枝を鞭とされ、供奉の社司時風秀行 ( ときかぜ
ひでゆき ) と舎人 ( しゃじん ) 紀乙之麿 ( きのおとのまろ ) を従えて
鏡池
( 本社のすそを流れる供奉川 ( ぐぶがわ ) を隔てて対岸にある小さい池で
鹿島大神遷幸の際、宮地をたずねられたとき、御神影が映ったという池 )
で初めてここで休まれてから、一之瀬
( 一の井・ミヤの井とも言われ、本殿の北方糸川の上流 )
で沐浴され、次に宮橋
( 供奉川に架けられた御遷幸の時、お渡りになられた橋 )
を渡り本社に鎮座されたと言われる。
また、この外、御遷幸の際、関係のあった霊蹟が今も数多く残っている。
( 参拝の栞 )
本殿は、当然春日造。
境内に戻りました。拝殿からの眺め。
参道を帰る途中、鏡池の遥拝所へ向います。
5mほどの、とても大きな石燈籠。
その隣りに、鹿の像。
その後方に鏡池遥拝所があります。
茂みで何も見えません。
供奉川を渡って鏡池へ向かいます。
小さな池が鏡池。
嶋のようなところに鏡池社が鎮座されます。
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鏡池社由来
私達の守護神であります当地氏神積田神社の起源は古く、今から千二百年前
といわれています。
積田神社の主祭神武甕槌神が、常陸国鹿島よりこの伊賀の国夏見郷に御滞在
せられた所 ( 御座跡現在寺田病院裏 ) より一ノ瀬川 ( 現在比奈知川 ) を
お渡りなされる時に、この池にお立寄られわが姿が水面に映られたので
鏡池と名付けられたと伝えられている。
その後、積田の宮において毎年祈年祭・宮籠・出穂祭・秋季例祭の翌日鏡池祭
が行われ、大祭の御饌に用いたる装束・祭具等を池頭の森の中に納め、
折懸樽と称し竹の節間を曲げて作りしものに神酒を奉り祭典を行う。
又当鏡池は奈良猿沢池の水質と同じであって、当池が濁ると猿沢池も濁る
と伝えられている。
( 積田神社境内説明文 )
以上。